心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

赤ん坊から見た世界(その1)

2009-06-01 16:28:13 | 赤ん坊から見た世界
この前、“スキンシップ”についてお話しましたが、
よくある“HOW・TOマニュアル”ネタとちがって、

ズズンと腹にこたえる直球勝負に面食らった人もいらっしゃったようです。
(「日本中がこんな深刻な問題をかかえていたなんて!」と。・・)

こんな風だから、いつも険しい顔したおやじに想われているのが、ちと残念。

対面では(「大阪ハムレット」の)松坂慶子より、のほほーんとしたおじさんなんですが、

ペンを持つととたんに、「まだまだ伝えたい事がいっぱいあるんだー!」と
馬成りになって突っ走る。・・

たぶん読んでいる方も疲れるとおもいます。(笑)・・
まあ、ボチボチでけっこうです。

それじゃあ、今回は「赤ん坊から見た世界」をみなさんといっしょに
驚きながら感心させられながら、のぞいていきましょう!

「赤ん坊から見た世界」というのは、本のタイトルで
(言葉以前の光景)というサブタイトルが付いた無藤隆さんの名著です。

悲しいかな、わたしたちは赤ん坊だった頃の自分のことを記憶していません。

そのせいで、エセ育児家の餌食になって赤ちゃんをよけい困らせたり、

あるいはつい、ひとりの「人間」として扱おうとしたりしがちです。

しかし赤ん坊は生れ落ちてころっと寝転んだまま、何もできないヒトなのですね。

このヒトは「本当に何もわからない!何もできない!」ゆえに、

「泣きわめく」という人類以前にそなわる生存にかかわる能力を発揮して母親を引きつけます。

また、自分の身体生理の授乳と排泄にさえ「とまどっている」
新生児と言われる存在です。

(エーっ生まれてきたら、乳首吸ってお乳飲むなんて面倒なことしないと生きられないんだ!てな具合に、
赤ん坊も大変なんです。文字通り、外界の洗礼を浴びせられるのですから。・・)

このような赤ん坊の視線から世界を見つめ、少しずつ人間へと発達していく過程を
最先端の視座から

おとながあらためて再発見することに大きな意義があるようにおもい、
今回ひも解いてみようとするわけです。

この本の中には、まだ無垢の赤ん坊が「なぜ笑うのか」、「なぜ母親を見分けられるのか」。

あるいは「愛着の成立」「なぜ人差し指か」「言葉以前にイメージ記憶が始まっている」ことなど、

母親にとっても非常に大切で興味深い真実に満ちています。

*それではまず、赤ん坊がまだ胎児のころの興味深いお話から始めましょう。

-- 「胎児はとくに聴覚が早くから発達して、(胎内では視覚は必要が無いはず)

母親の声と他を聞き分けている。」 --

ここではもちろん、言葉の意味ではなく、
「母親」の声の調子を聞いて母なるものになじんでいるということでしょう。

胎児には胎内の世界がすべてであり、実態的な母を知る由もなく、

ただ羊水の海の中で、人類に刻印された月日が満ちてくるまでに、

生物の誕生以来の歴史を驚異的に体現しながら、自らの内臓系と神経系を育んで来る。

8ヶ月目を過ぎると胎児は、母体から伝わる心音や血流の音をベースにして、

羊水の海を通して聞こえてくる母親となるものの声に親和するようになる。

だが、やがて母親となるこの最も身近なものに、

耐え難いストレスが続くことがあった場合には、

胎内の羊水のpH(ペーハー)が弱アルカリから酸性に変化して

胎児の皮膚にアレルギーや炎症を遺したり、また心的なストレスの刷り込みが懸念されるわけです。

この程度には胎児と母親との心身のつながりは緊密で一体といえます。

ただ胎児にとっては防ぎようもない負のはたらきとしてふりかかってくる。

それが災難といえばそのとおりでしょう。

この胎児と母親との葛藤は、
わたしたちが想像する以上に熾烈なものかも知れません。

母体から切迫する大きな負荷の波から自らを守るということが

胎児にとって、「自閉する」ことであっても、

わたしたちはそのことをたしかに受け留めていくほかない。

(次回につづきます。)




コメント   この記事についてブログを書く
« 躁うつ症と絶望遺伝子の無関係! | トップ | 赤ん坊から見た世界(その2) »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

赤ん坊から見た世界」カテゴリの最新記事