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現在の朝鮮半島住民は何処から来たかを考える①

2018-07-31 08:00:35 | 極東古史考

もっとも近隣の国であるし 彼等の民族構成を考えてみた

遥か 古代



箕子朝鮮 朝鮮が国号である

箕子 箕は氏(うじな)で箕と言う血縁集団 所謂クラン 
子は孔子老子の子で先生だろうか?尊称を意味する子かな?

於是武王乃封箕子於朝鮮而不臣也

史記の卷三十八 宋微子世家 第八

史記の周本記や朝鮮伝をめくってみたが 「朝鮮に封ず」が 見つからず ここにあった
勉強不足である

中国に於いて 姓はもとより 国名も中華族であれば一文字であった
国名も 内臣であれば 漢字一字であるはず
二文字である 蛮夷の王と同じ扱いである
だが土地を封じ 国号を名乗ることを許したのだから
これは武王の思いやりだろう
 
貴公は我が家臣ではないので 好きな時に朝貢だけしてればいい 後は自由にせよ と 言うことだろう

周の武王の 殷の血脈を次ぐ箕子への精一杯の処遇だったのかも知れない 自由に過ごせ と

中国は文字の国だ 紀元前の事が文字として残っている
だから現代の自分でも 過去を辿る事が出来る

召公奭の燕はまだ 今の北京まで至っていなかった
当時の遼東は弧竹国の南部で 灤河一帯 今の万里の長城の内側にあった 
現在の小凌河迄が弧竹国 そのすぐ外が東夷の地だった
その先の大凌河の左岸一帯の東夷の地に国としての支配権を与えられた
そこが朝鮮国である 最初の王險城が築かれた所だ

古代に於いて明確な国境があるわけではなく
国は点在する城と それを結ぶ道路だけで 領民は城内に居住していた
農作業が終われば城内に戻り 城は翌朝まで閉門された
点と線のネットワーク その範囲が国の領域
メインの城が落ちれば 国は滅んだ

朝鮮は殷の遺民と弧竹・燕・斉の移民と満州の原住民との混合国家だったと思う
当時の満州の国々にかなりの文化的影響を与えたと想像される

夫余の解氏であるが

源于姬姓,出自周武王之孙解良的封地,属于以封邑名称为氏。西周初期,周武王姬发的儿子唐叔虞之子姬良受封于解邑,姬良此后生活采食于解邑(今山西运城盐湖区解hài州镇),古称“河东解邑”。据史籍《万姓统谱》、《通志·氏族略》等记载,解氏出于姬姓,历史悠久,可追溯到中华民族始祖轩辕黄帝

 源于鲜卑族,出自南北朝时期鲜卑拓拔部,属于汉化改姓为氏。南北朝时期,鲜卑拓拔部中有解毗氏(解枇氏)。

と ある

夫余の始祖伝説 解氏

解慕漱は 姬姓 周の一族 中国人
柳花夫人も中国人だろう 満州族が柳花などの名称をつけるわけがない
夫余の支配層も中国系かもしれない

定かではない

どちらにしても
漢字一文字の単姓は中国特有の姓の付け方である

国名や姓など漢字一文字であれば 中国人あるいは中国化した夷と見做している
漢字二文字以上の国名や姓 部族名を持つものは四夷としている

朝鮮 夫余 烏桓 鮮卑 粛眞 匈奴 高句麗 百済 新羅 挹婁などは四夷

 月 氐 姜 塡 越 倭などは中国の同族或いは中国化した異族と見做して単漢字で表記している



日本は基本は複姓 姓は二文字以上が普通である
倭から日本へ国名が変わった時 日本は中国で無くなった





仕事が暇になったので 今週は休み
長い休日 調べものをしょう

それにしても 奇妙な台風だった
氷河期に入りつつあるのに 温暖化が加速している
自然は不思議で難しい



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