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卑弥呼時代前後の朝鮮半島南部

2022-11-03 18:54:11 | 極東古史考
当時 現在のソウル以北 朝鮮半島西北部は楽浪郡 漢の領土である

三韓の記述 後漢書

韓有三種:一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁辰。馬韓在西,有五十四國,其北與樂浪,南與倭接,辰韓在東,十有二國,其北與濊貊接。弁辰在辰韓之南,亦十有二國,其南亦與倭接。凡七十八國,伯济是其一國焉。大者萬餘户,小者數千家,各在山海間,地合方四千餘里,東西以海為限,皆古之辰國也。

韓に三種あり 一曰く馬韓 二曰く辰韓 三曰く弁辰
馬韓は西にある 54国がある その北は楽浪郡と接し 南は倭と接す
辰韓は東にある およそ12国 その北は濊貊と接す

弁辰は辰韓の南にある また およそ12國,その南は また 倭と接す
凡そ七十八國 伯済はこれ其の中の一國だろうか
大者 所謂大国は萬餘户 小者 所謂小国は數千家 
各々 山や海の間にあり
その地 合わせて 縦横それぞれ四千餘里 
東と西は海を以て限りと為す 皆 古の辰國である


素直に解釈すれば 三韓は 東西が海と接し 南は倭と接している
おおよそであるが 現在の全羅南道 慶尚南道が倭になる
この時代 厳密な地域区分を当てはめるのは妥当ではない
倭人が この地域に雑居していたのだろう
我々の先祖の一つである倭人が朝鮮半島に沢山の国を作っていたということだ


馬韓人知田蠶,作綿布。出大栗如梨。有長尾雞,尾長五尺。邑落雜居,亦無城郭。作土室,形如冢,开户在上。

馬韓人は耕作や養蚕を知っている 綿布を作る
(これは 真綿 絹綿である
木綿が朝鮮半島に伝わったのは1364年 日本へは799年だったが栽培は1年で途切れた)
梨のような大栗が取れる 尾長鶏がおり 尾の長さは五尺ある
邑落雜居し 亦 城郭はない 
土室を作る その形は墓のようである 出入口は頂上部にある

これは東北アジアの住居形態だ 後に竪穴式住居に発展する
こんなような住居と言う


3世紀 百済も斯蘆も78カ国の1国に過ぎず
後の伽羅国も数ある倭人の国の一つ 狗邪韓国も同じ

嘗て 後の大宰府周辺に邪馬台国があった 
3世紀後半 北九州ヤマトは 畿内ヤマトに併合された
任那を含む邪馬台国問題が片付いたのは 継体天皇の時代 300年後の事

伊勢神宮について 自分の妄想であるが
このような考えを持つ人も ちらほら見かけるが
なんか 引っかかる

ひょっとして
伊勢大神宮の 天照坐皇大御神と豊受大御神は
北九州の 卑弥呼と台与では? などと思う

滅ぼしたのだが その神威と祟りを恐れ 皇室が祀ったのだと思う

持統天皇以外 伊勢神宮が出来てから行幸した天皇がいないのも不思議だ

二度目に行幸したのは明治天皇だ
何故なんだろう?

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