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卑弥呼時代の 倭・加羅任那・新羅の位置関係を再考してみる

2013-08-13 22:23:17 | 極東古史考

現代の中朝韓の歴史認識は 我々日本やヨーロッパと捉え方が異なる

我々は現代に系譜する自民族を主体の歴史を自国の歴史とする

彼らは現在の支配地域の歴史を自国の歴史とする
自民族が 昔その地にいなくても 民族が異なろうと 自国の歴史とする

我々は他民族がこの日本の一部でも支配すれば それは他民族の歴史と認識する
それを日本人の歴史とは見ず 嘗て異民族による支配があったと記述するだろう 

彼らの歴史認識は 我々から見れば不思議な捉え方と奇妙に思うが
彼らにしてみれば不思議ではないのだろう
陸続きで 民族が絶えず入れ替わる土地なので そのような考えになるのだろう


中国南北朝時代
建康に入った蕭衍は502年に和帝より禅譲を受けて梁を建国する

梁の普通2年は西暦521年 百済に随行して朝貢したとある
普通元年には 高句麗がこの梁に朝貢している 

新羅は 当時 辰韓地域の一小国で 馬韓に服属したり 倭に服属していた
風俗は高句麗に似ていて 文字を持たなかった
日本の継体天皇の時代の頃である

現代の中朝韓の人々は 異常なほど上下優劣関係に拘る
奇妙な拘りである これも自分の理解の範囲を超えている

歴史は起きた出来事であり
過去は そうゆう状態であったと言う意味しかない
彼らの論理を無視した自己撞着には辟易することもある
彼らは真実を知る事より 今の自分のプライドを保つ事だけが唯一の望みなのだろうか
それは歴史と無関係で 個人の趣味趣向の問題である

それでは 永遠に真実に対して無知である事を続ける事になる
大事なのは歴史の真実を知り そこから反省と進歩を学ぶ事なのだと思う

自分個人としては歴史的事実が大事であって 
互いの 支配 被支配 大国小国など どうでもいい事である 
歴史は一つしかない それを調べるのが 現代人の務めと思う 

魏書によれば 馬韓・弁韓・辰韓の韓の地は 東西が海 南は倭と陸続きと記す
朝鮮半島の南の一部は 倭であった
849ページ後ろから2行目に百済が書かれている

馬韓は 現在の韓国の 京畿道 忠清道 全羅道地域に相当する
韓の西 馬韓地域の55諸国の1国に百済がある
当たり前であるが この頃は馬韓の小さな地方勢力にしか過ぎない
これが他諸国を征圧し 馬韓の辰王である月支国を滅ぼし馬韓全土を掌握し 後の百済となる


新羅は元は斯蘆国とも鶏林国とも言われている 
読みはシロ或いはシリンであるので シラ或いはシㇽラが原音だろうと推定する
日本ではシラキ キは城(城郭で囲まれた国)を意味するので シラのキ
或いはシㇽラは日本人には発音しにくいので シンラと日本訛りになった可能性がある
どちらにしても 大国で5000戸 5人家族であれば 2万5千人 多めに見積もっても 人口3万人で大国である
小国であれば700戸 3500人程の国である
新羅はまだ小国の一つであった 壮大な歴史を描けるわけもない
この地域の大国としても 人口3万の国である
韓半島はそのような国々の興亡の歴史である

当時であれば 人口はこの程度であったのは世界共通だ
あの大月氏国でさえ 人口は40万ほどだった

卑弥呼の時代 倭の人口はせいぜい60万人程であったと推定されている 150万との説もある 定かではない
当時の魏の人口は430万人

で 弁辰つまり弁韓であるが 多分 後の加羅北部 海に接していない頃の風俗
身長が高く 清潔で長髪 法俗峻厳とある 
古代の高車丁霊 満州のチュルク(古代トルコ族)の可能性が高い
半島は 民族の入れ替わりが激しいので 資料だけで後を追うのは難しい

854ページ2行目に 狗耶韓国がある これが倭の北岸である
弁韓の南 半島の南端にある
狗耶韓国 つまり金官加羅は倭種の国であった
今の慶尚南道にある金海市周辺である

この地域では BC300年前後から 今までの在地の土器と異なる弥生式土器が出現している

日本人の御先祖の一つである倭種は 中国での戦いに敗れ 海に散らばった呉や百越の人々である
縄文と倭種の混血が日本人である 半島に居住したのは 縄文と混血しない倭種である 
同民族の倭種であるとも言えるが 厳密には日本人ではない
現地で原住民と混血した倭種が作った国が加羅であり 列島の倭の影響下にあった 

5世紀初めには倭国の支配力が強まると伴に任那地域では金官国の影響力が衰え
5世紀後半には加羅地域で大加羅国(慶尚北道高霊郡)の影響力が強くなった。

512年 継体天皇は4県を百済へ割譲し
532年 南部の金官国が新羅に投降
562年 洛東江流域の任那諸国を新羅が滅ぼした

これが歴史の経緯である
韓国の歴史の一部は 現韓国人の歴史であると同時に
我々日本人の倭種としての歴史でもある
民族を歴史の主体と考えればだけど
自分は歴史は民族の興亡と考えるから
任那加羅は倭種の歴史の一部と考える 

半島に YAP遺伝子の痕跡はない
混血の日本人は半島で子をなさなかった
日本人がその地で 原住の民を支配し 王になった事はない
影響力を及ぼしたが 日本人の血は残していない
嫁さんとして 通婚はあっただろうが 日本人は列島内で完結している

さて 休日

頭で遊べるっていい

考えるのは楽しい 

 


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