今日は日曜日 茶碗洗って 床をコロコロローラーで掃除する 階段も
妻は出勤 天気はいい だけど 今日も家で過ごす事にする
今日は 積んであった後漢書を読んでみる事にした
30年以上前に 台湾中華書局から買った本 もう何百回となく読んできたが飽きない
中国の正史はその王朝が滅んでから100年以上経ってから 大勢の歴史学者と膨大な資料と討論によって完成する
嘘偽りを書けば首が飛ぶ だからその信ぴょう性は高い
今日は 日本人ではなく 第三者の目で異国を眺める目線で読んでみる
東夷はあの孔子が住んでみたいなどと言う地方であったので ただの野蛮な国とは思えない
しかし 何時も思うのだが
現代日本人である自分が2000年近く前の中国満州や 朝鮮半島 日本列島の出来事を読めるのは漢字のおかげだ
勿論発音は出来ないが 意味は通じる 2000年近く前の化石の様な中国表意文字を現代も日本人は使っている
不思議だ
秦は燕と遼東国を滅ぼしたのがBC226 今の満州の衛満朝鮮は征服されていない
「史記」の秦本紀にある
「遂に燕太子軍を破り 燕の葪城を取る 太子丹の首を取る 燕王は東の遼東を収めそこの王となる」
又 列伝には
「十月葪城を抜く 燕王喜 太子丹等悉くその精兵を率いて遼東において東を保つ」
BC221
「秦 王喜を虜え遼東を抜く 秦は燕を滅した」
「漢書」の異姓諸候王表第一を見る
燕の都は葪城 遼東の都は無終城とある
中国の街とか都は基本的に城塞都市であり 城郭国家でもある
つい我々は面の領域国家を思い浮かべるが
中国の当時の国は 点と線だけである
中国の史書にある ◎◎郡とか ◎◎県とあるのはとりもなおさず城塞都市である
その各点 つまり城の軍事力が影響を及ぼす範囲が領土となる
城には大小あるが 大きな城では一辺が数km四方 厚さ10m 高さ20m以上の城郭によって囲まれる
その中に王宮や官舎 市場や農地 王族 貴族 官僚 兵士 一般庶民など数万乃至数十万の人々が暮らしている
勿論 城の周囲にも畑や放牧地があるが 農民 商人は夕方には城へ戻る事が多い
従って 夜 人々にとって城外は危険であり 治外法権の状態になる
燕の葪城は 現代の北京の南 大興市の南西だ では この当時の遼東とは
「中国歴史地名大辞典」劉釣仁著(1931頃執筆か?)を見る
今河北省玉田県城とある
「中国分省地図」凌雲書房 1921年発行の直隷省北部の地図を見る
直隷省は今の河北省 葪は今の北京の南の大興である
秦の始皇帝はゼロから万里の長城を作ったのではない
戦国の燕や斉や趙の作った長城を補修強化したのだ
現在の長城は明代のものであるが 基本的は燕の長城と見ていいのではないか
「太康地記」には
「秦塞自五原北九百里謂之造陽東行終利賁山南漢陽西也 漢一作漁」とある
現在の遼東にあるのは多分 燕の木柵ではないだろうか? ひょっとしたら衛満朝鮮の可能性もある
従って 秦の始皇帝の全国行幸は せいぜい この渤海湾の山海関までで その北は強固な支配権は及ばなかったように思う
玉田県は北京の東にあった
当時 燕国城及び遼東国城は全て 塞の内 万里の長城の内側にあった
さて 衛満朝鮮 秦に滅ぼされなかった国だ
もう一度復習してみる 「史記」の朝鮮列伝を読む
朝鮮王になった燕人衛満の都は王険城
「集解」の注に
「地理志遼東險瀆縣朝鮮王舊都」とある
險瀆縣 鮮都と通音である 共にxian-duと発音する
中原以外の場所では 現地音に漢字の文字を当てはめるのが中国の方式だ
だから字面より音が大事だ 文字にこだわると間違う事もある
その盤山街は大凌河に沿ってある 紀元前遼東湾は海城街近くまで内陸に食い込んでいた
北に 穢貊の北鎮 醫巫閭山を控えた場所にある
AD57年の倭奴国の使いは自らを 「大夫」と称した
また皇帝に拝謁する以上 上表文を提出してるはず
でなければ 門前払いとなる 会う事すら出来ないはず
後漢は あまりにも 何百年も前の 古い昔の周礼の身分制度を倭の使いが自称したので わざわざ東夷伝にその事を記述したくらいだ
北九州の弥生人は周代 必ずこの辺を通ってるはず
或いは 箕氏朝鮮と何らかの関わりがあったと思われる
スサノオノミコトが 弁辰の南にあった狗邪韓国 伽耶と何らかの関係がある事はわかっている
伽耶の亀旨峰 が 筑紫の日向の高千穂の久士布流多気 くしふるたけと同根である事も
狗邪韓国が 南に追いつめられた馬韓の辰王の末裔である事も
嘗ての任那伽耶が倭種の重要な一国である事も
日本列島における倭の諸国は 大和にやがて統合された
だが 北九州や伽耶の倭種は ずっと大和に反発し 素直にまつろわぬ国であった
古代の倭国は 南韓と北九州の環玄界灘の海洋国家群だった
だから 後の大和にとって 大宰府とか日本府のような 「大和の御言持ち」の様な外的機関が必要であった
満州 朝鮮半島は 倭種が辿って 住み 移動した 祖父の地である
現代日本人の3分の1以上を占める弥生人の末裔にとって
自分はのんびりとした1万年を過ごした 縄文の血が濃い遺伝子を持っているので
倭種を客観的にみる事が出来るのだろう
とりあえず 今日はこのへんで終わりにしよう
歴史は頭脳の散歩だ
散歩が趣味 ちと 節約趣味であるけれど
さて 寝るかな