JW2世の人が書いたブログを読んでみると、
子どもの頃に「ムチ」を受けたのがトラウマになるくらい辛かったという経験とか、
楽しみごとは何もできなくてさびしかった、という話を多く目にします。
ムチの是非の論議はまた別にやるとして、JW の子どもとして
あまり幸せではない時代を過ごした人が少なからずいるのも、また事実。
(ノーテンキに幸せな人もまーいますが・・)
王国会館に行くと、元気で活発な若者にまぎれて、
必ずどの会衆にもいるんですよね、「オレは楽しくないぞ」といった
顔をした2世ッ子が。「親に連れられて来てますっ」というのアリアリ。
でまた、その親は概して、霊的には元気もりもりで、子どもの意思に反して
「ウチの子は高校を卒業したら、すぐ開拓を始めさせます」みたいな。
で、世の常として、そうした子が「集会行かない!」と宣言したらモー大変
宣戦布告。ドロドロの親子戦争の勃発ですよ。力ずくでも連れて行こうとする
親と、決意の固い子。泣き落としからエサで釣る、脅迫、何でもアリ。
上記はフィクションですが(爆)、似たような光景って
日常JW社会によくあるんじゃないでしょーかねー?
(アルレッキーノさんちに書いてあった友だちの親もスゴそう・・)
そういうことが起きると、いつも思ってました。
「クリスチャンの親って、こうすべきなんだろうか??」
クリスチャンの親の理想系、って、放とう息子のオヤジさんみたいな
タイプじゃないかと、個人的には思っているんですよ。
( ルカ 15:11‐32 に書いてるお話です)
偉大な人の本にもちょっと書いてはありますけど、放とう息子が
家を出て行こうとしたときに、父親は咎めることもなく、財産の半分を
気前よく渡して息子を送り出してます。
オヤジも馬鹿じゃないでしょうから、この息子が何を企んでいるかくらい
察しててもおかしくはないでしょう。でもオヤジさんは「去るもの追わず」だった。
放とう息子の話自体は、息子が本心に立ち返って、戻ってきた子を
温かく迎えた父親の寛大さがエホバの愛の深さを・・・とかいうことに
なっていますが、黙って送り出したときの方が、覚悟も信頼も必要だった
わけだし、愛のある行動だったんだと思うんです。
だからこう、「子どもが真理から離れる」ということに目くじらを立てる
JWの親って、神に見倣っているわけでも愛のある行動を取っているわけでもなく、
単に親としての自分の権威が傷つけられたんで逆上しているだけではないかと・・
「エホバを悲しませるようなことをして、なんとも思わないのか?」
「サタンを喜ばせることになるんだよ」
と言って脅したりするけど、それもねぇ・・。心理的圧力加えて
言うこと聞かせようというつもりなんでしょうか?
それってクリスチャンの親の取る行動じゃないように思う。
「霊的に活発でなくなる=霊的な死=不幸」という公式が頭にあるのか、
必死の思いで留まらせようとする親は多いけれど、
それは立場上感情的にそう思うのであって、離れた人がみな
不幸かというと、そういうことはないでしょ
すごく幸せになるかもしれないし、またJW社会に戻ってくるかもしれない。
どっちになるにしろ、その時の決断がその後の人生をすべて決める
わけじゃないんだから、もちょっとさぁ、あのオヤジさんのようにさぁ、
(ミョーに馴れ馴れしいヤツ・・)
寛大であってもええんでない??
霊的バリバリお母さん姉妹が多い中、ごく少数ですけど、
スーパー温厚&寛容な母親、という姉妹もいて、
そういう家庭の子はのびのび育ってて、とても羨ましい。
ウチのオカンは、器が小さいんだよねー。電話すると
「またそんなこと言って・・」
とか言うし・・
ともかく聖書の権威を、あたかも親のエゴのバックアップであるかのように
利用するのだけはやめた方がいいと思いまーす。
自分の考えはエホバのお考えに一致してる、と錯覚している親が
いかに多いことか・・
私も同じように感じましたよ<父親
あんな父親、めったにいないっすよね。
あんまり出てこない視点だとは思いますが、独自でもないつもりです。
(どっかの出版物にも出てたような)
親御さん挨拶、行かれるんですか?
いつもコメントありがとうございます。へへ、まだまだ若輩者です。
親の視点からいくと、確かにそうかもしれませんね<永遠の滅びの恐怖。
ある方面の人に言わせると、「それがマインドコントロール」とか言いそうですけど。
恐怖心があるのもよくわかるし、それだけ子への愛情が深いんだとは思います。
でもやっぱり、長期的な視点は欠けてると思うんですよ。
「子を失いたくない」という感情の方が先にたっているような。
でもこの辺は、親でない私がいろいろ論じても堂々巡りになる感がなくもないです。
(若輩者ですから)
あ、はじめまして。