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甲府駅を北へ、武田通り上って行くと甲斐の国の名将「武田信玄公」を御祭神としてお祀りする「武田神社」へを突き当たります。
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武田氏館跡 (躑躅ヶ崎館跡)
「武田氏館」は、「躑躅ヶ崎館」とも呼ばれ、武田信玄の父、信虎が、永正十六年(1519)年に石和からこの地に、館を移したことから始まります。その後、信玄、勝頼と、武田家当主の館として使われました。そして武田家の滅びた後、文禄年間に館の南方に今の甲府城が作られるまでの、約七十年にわたり、この館一帯は、領国の政治、経済と文化の中心地として発展しました。
館は一辺が約二百メートルの正方形の主郭(現武田神社)を中心に、その回りのいくつかの副郭とによって構成された平城形式のものです。館の回りには、家臣の屋敷が建てられ、南方一帯には格子状に整備された道路に沿って、城下町が開けていました。
この館と城下町は、戦国時代の大名の本拠として、第一級の規模と質を誇るものです。
平成元年三月 文化庁
山梨県教育委員会
甲府市教育委員会
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参道には、6月30日の夏越祭に向けて「茅の輪」が用意されています。
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手水舎が「武田菱」ですね。
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旅の無事を願って(?)参拝。
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御祭神 武田晴信命(信玄公)
由 緒
武田晴信公は清和源氏新羅三郎義光公の後裔で、大永元年(1521)十一月三日、武田信虎公の長男として石水寺要害城に生まれました。幼名を太郎、童名を勝千代と名乗り、天文五年(1536)三月の元服に際し、将軍足利義晴から「晴」の一字を賜り晴信といい、従五位下大膳大夫に叙されました。
天文十年(1541)信虎公の後継者として、甲斐の国主となり、以後三十有余年領国の経営に力を尽くされました。
天正元年(1573)四月十二日、天下統一の夢を抱き京に上る途中、信州伊那駒場で病没されました。(行年五十三歳)
大正四年(1915)大正天皇の即位に際し、晴信公に従三位が追贈され、これを機として山梨県民はその徳を慕い、官民が一致協力して、社殿を造営、大正八年(1919)四月十二日、鎮座祭が盛大に齋行されました。
例 祭 四月十二日(御祭神御命日)
祭典終了後、神輿渡御が行われ、甲冑に身を固めた武田二十四将の騎馬が神輿に供奉し、豪華かつ勇壮な神輿の列が桜花の咲く中、甲府市内に繰り広げられ賑わいを見せております。
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御朱印をいただきました。
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