群馬県高崎市「倉賀野駅貨物基地」の北西、旧東中里村に鎮守する『火雷若御子(からいわかみこ)神社』へ参拝。
火雷若御子神社
明治十二年(一八七九)の「上野国神社明細帳」によれば、「当社ハ往昔、那波郡下ノ宮火雷神社ヨリ勧請スト言ヘドモ、其年月詳ナラズ、其後保食命ヲ合祭シ村名を以テ社号トスト伝フ」と記述されています。創建後、途中で中里神社と改称され、同二十八年に火雷若御子神社と復称されました。
祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)・宇気母智神(うけもちのかみ)です。境内社に秋葉社(祭神は軻遇突智神[かぐつちのみこと])、城峯社(大山祇命[おおやまぎのみこと])、八坂社(素盞嗚命[すさのおのみこと]、菅原社(菅原道真公)等が祀られています。
境内には近隣には見られない御沓堂(おくつ)があります。この土地の人々は農耕馬のための雷除けとして、無事に農業が営めるようにとの願いから、馬を引っ張ってお参りをし、御沓堂に馬のわらじや蹄鉄を奉納しました。今もその一部が残っており、道路沿いに石仏・石神等の石造物が並んでいます。
境内入口には遊具も揃った東中里町児童公園、奥には東中里公民館が建っています。境内も地域に親しまれてきた雰囲気があって心地よいですね。
では、参拝。
扁額の両脇には雷神さま。
その脇には神楽殿の額。社殿の北に神楽殿跡の立札がありますが、その名残でしょうか。
では、回ってみましょう。「辨戝天」、下の日付は祭典日でしょうか?
天王山
秋葉山
これは建立の碑のようです。明治27年に宮殿を建替え、神樂殿と沓堂を新築。28年に社号を火雷若御子神社と復称し御遷宮式大祭典を挙行したとあります。碑の最後に、明治34年1月27日氏子等建之とありますので、社の記録として建てられたのでしょうか? また、碑の後ろ側には、明治28年1月26日櫻樹15本奉納とあります。........ こっちが表?
これは戦没者の慰霊碑のようです。
天神様、道祖神、城峯山
初午の表札がありますが、ここが「御沓堂(おくつ)」のようです。
Google マップにも載っている芭蕉句碑。「稲妻に さとらぬ人の 尊さよ」とあって、右下は「はせを(=芭蕉)」となっているそうだ。(読めない ........ )
参道に「先考五十嵐府君碑」というのが建っています。建立の碑や芭蕉句碑にも五十嵐勘衛氏の名前が残っていてとても興味深い人物なのですが、ちょっと読み込めなかった。ネットで出てくるといいんだけど........。明治26年1月と日付があるので、宮殿建替えの前年ですね。この神社また地域に深い関わりがあったのかと思われます。また機会があったら高感度で読み込んでみたいと思います。
ということで、なかなか興味の尽きない火雷若御子神社でした。また、
「VC'S 高崎店」に来たら寄ってみよう........。なお、由緒書きにあった石造物は正面の幟立石脇に並んでいて、薬師如来、地蔵菩薩、地蔵大念仏供養塔、如意輪観音二十二夜、庚申塔、庚申塔、百番塔の7体でした。(記録もれでした
)