半世紀以上、生きていればいろいろなことがあり、いろんな人と出会うわけで。
多分これまで生きてきた中で、自分のとらえ方や、感じ方や、環境と違いすぎたことに
私がすごく驚くようなことも、他人には何でもないことなんだと思う。
普通に睡眠をとり、食事をして、排泄をする。
確かに生存している。
痛くも、痒くもなく 極あたりまえの環境の中、
それは、人間として、してはいけないこと、ダメなこと、と思うのは、個人の感情の相違があるんだね。
人間としての行いの中で、やってはいけないことっていうのは、六法全集の法律だけしかないのだろうか?
感情などそこには持ってはいけない。
法は、人や物に害を及ぼす事実の時に判断し、効力を発揮する。
事実、心の中や頭の中で思うことは、自由なのだ。
私の一番の弱点。 人に感情を持ってしまうこと。
これが、私の人生を大きく左右することが多い。
人に分銅されているのではない。 おのずと自分が判断してしまっている。
その判断が間違っていることに気づかされる。
どんなに意外で、驚きで、誤ちであったとしても。
いかに、自分の判断ミスだと思い知らされる。
まさに、目に見える、何の危害も損失も被害も与えていないのだから。
そんな、切り替えをするときも、助けてくれるのは、周りの人達である。
心の感情を持った部分から消去法。 削除。
それも、ゆっくり、ゆっくり時間をかけて。
そして、その場から遠ざけようとする。
それなのに、なかなかその場を離れられず、遠くへ行けない。
うかつに信頼していた訳ではない。むしろ、イシバシを叩いている方だと思っているからこそ。
心に、ダメージを食らってしまう。
そんな時、頭がクラクラして、呼吸困難になり、目の前が暗くなり、吐き気をもよおす。
夜は、ありえないような夢を見、夢なのか現実なのか戸惑う。
心臓の鼓動が、体中に響く。ドックン。ドックン。 胸骨が痛い。
ただ、自分の血圧が上がるだけ。
小さな、器の中、コップような出来事だから溢れこぼれちゃうんだ。
冷静にコントロールしよう、いや、忘れよう。 何もなかったのだ。と。
気付かなかった。 知らなかった。と。
ある意味、人間不信だけど、自分が勝手な社会適応障害なのかもしれない。
そして、もっと、遠くを見よう。
もっと、大きな大きな器を持てば、こぼれない溢れないんだから。