Garbanzo blog

政治経済と音楽のブログ。
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下衆の品格で充分

2010-07-26 13:18:12 | 社会

J-CASTで坂東眞理子氏がインタビューを受けた記事が出ている。
僕は彼女の女性の品格と親の品格を立ち読み(稚拙で全部は読む気がしなかった)したのだが
どちらも私見に満ちた通俗的な古い道徳を平然と読者に押し付ける下卑た本だった。
内容はさして変わらず、基本は自身の成功体験を元とする
極めて反論しづらい(する意味も価値もない)体験談で、
その根底にあるものは客観性も合理性も薄弱な、選民思想に近い「思い込み」だ。
ティッシュを貰うのは卑しいとか教養が重要とか安売りは買ってはならないとか、
本当にどうでもいい彼女自身の「貴族的女性の理想像」という
価値基準がダラダラと書き連ねてあるだけで、評価には値しない。

彼女は
wikipediaを見れば解るように経歴はエリートだが、
エリートの本分は社会の推進力になる事であってエリートが社会を構成しているのではない。
彼女の言う品格とは恐らくエリート達の小さなムラ社会に於ける不文律であって、
それは生け花や茶道の作法のように、現実社会には必要のないものであり、
庶民と自分達を「選別化」する為の暗号的な規則に過ぎない。

彼女が政治に関与してきた80年代後半から2000年初頭というのは
日本が(特に経済的に)コロコロと坂道を転げている時代であり、
現在進行形でふくらみ続ける借金を山積みにしてきた時代でもある。
そんな人間が「まず、基礎を身に付けて欲しいと思います」と言っても何の説得力もない。
品格ある彼女が次世代の為に成した事は借金をたんまり作って死ぬ事なのだろう。
そんな品格なら窓から投げ捨てた方がマシだ。

国家の品格の著者藤原氏や本書の坂東氏などの品格本はことごとく品性の下卑たもので、
現実に照らし合わせるという社会を評する時に最も重要な客観性が完全に欠落している。
自身の思い込んでいる道徳や常識が時代の変化によって世間に通用しなくなった途端
「火病りだす」のは老人のみならず新陳代謝が進まないせいで
制度疲労を起こしている巨大組織などにも共通して見られる醜悪さだ。
どの世代も、個人も、そして組織という集団も、彼らを反面教師とする必要がある。



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