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高松塚壁画館 ~飛鳥時代の鮮やかな壁画には息が止まる

2018年02月27日 | 城・屋敷・歴史遺産


高松塚古墳は思ったより小さい

日本の古代史上最大の発見とも言える「高松塚古墳」が発見されたのは1972年、間もなく半世紀が過ぎようとしています。壁画の劣化や修復方法の議論で右往左往したこともありましたが、現在は石室内から壁画が取り出され10年かけて修理が行われています。

飛鳥美人の群像や玄武など四神像の壁画はとても飛鳥ロマンを感じさせます。高松塚古墳の壁画が描かれていた石室は、大人二人がやっと入れるほどの大きさにすぎないため、そもそも実物の公開は不可能です。そのため壁画の模写や石室のレプリカを展示し、高松塚古墳の全貌を解説する施設として1976年に「高松塚壁画館」が設けられました。

1,300年前の飛鳥人が描いた見事な壁画を色鮮やかに見ることができます。飛鳥の中でも必見のスポットです。

高松塚古墳は、発見当時は雑木林の中にありましたが、現在は小さな墳丘上に土が盛られ、築造当初と考えられる姿に復元されています。高松塚壁画館は古墳のすぐそばにあります。


壁画館の入口

壁画館は、古墳発見の翌年に7,500万枚も発行された飛鳥美人の図柄の記念切手料金に含まれていた寄付金4億円を原資に、建設されました。切手が7,500万枚売れるとは、当時のブームがいかにすごかったかがわかります。

壁画館を運営するのは、松下幸之助が初代理事長になって設立された現在の(公財)古都飛鳥保存財団です。遺跡保存がほとんど顧みられていなかった1970年、松下幸之助は当時の佐藤首相に訴え、飛鳥の遺跡保存の具現化に道筋を付けました。高松塚古墳など飛鳥の遺跡の多くは、こうした多くの人々の熱い思いによって支えられています。


石室内の壁画の配置
【画像出展】 壁画館パンフレット

壁画模写の展示室では、実際の石室内の壁画と同じ配列で模写が並べられています。部屋の大きさは実際の石室よりはるかに大きいですが、石室内の雰囲気がよく伝わってきます。模写は平山郁夫の指揮の下、当時の日本を代表する画家たちが2年以上の時間をかけて行ったものです。

壁画の中では、飛鳥美人で知られる「女子群像」が圧倒的に有名です。「男子群像」も女子と同様の配色で飛鳥時代のファッションの優美さが伝わってきます。男女とも中国や朝鮮半島の影響を強く受けていることがわかるデザインです。

本物は劣化により鮮やかな色彩が失われています。現在行われている修復作業に大いに期待します。壁画館の模写には一部復元した部分も含まれます。そのため壁画館の模写が最も飛鳥時代の状態をしのぶことができるのです。

四神の中で北方を護る「玄武」も鮮明な亀と蛇の描写を確認できます。玄武はキトラ古墳のものが有名ですが、高松塚の玄武もキトラと同様、神秘的な美しさを秘めています。高松塚の玄武は亀の頭と甲羅の部分が失われていますが、蒼色の描写がとても鮮やかです。

室内には石室のレプリカもあります。鎌倉時代の盗掘で開けられた穴から石室内の様子を見られるようになっています。星座の配置図を天井に描いた「星宿図」もとても神秘的です。キトラにも同様の正座が描かれていますが、飛鳥人がこうした天文学の知識を持っていたとは驚きです。

飛鳥観光は最寄りの近鉄・吉野線・飛鳥駅が玄関口になります。高松塚エリアは駅から歩いて10分ほどで、飛鳥のスポットの中でも駅から最も近いところにあります。飛鳥駅にはレンタサイクルも揃っています。徒歩や自転車で飛鳥の里を周ると心が軽くなります。古代のロマンを感じるために、ぜひ訪れてみてください。

こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。



壁画を発掘した日本考古学の第一人者が語るエピソード


高松塚壁画館
http://www.asukabito.or.jp/hekigakan.html

原則休館日:年末年始


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