東洋文庫のモリソン書庫、とても美しい
東洋文庫は東京・駒込にある世界トップクラスの東洋学の研究図書館で、三菱財閥の三代目・岩崎久彌(創設者・弥太郎の長男)が1924年に設立した。タイムズ記者だったモリソンが収集した膨大な中国文献コレクションの購入をきっかけに、広くアジア全般の歴史や文化を研究する東洋学の文献を収集し、国宝5点、重要文化財7点を含む蔵書が現在は100万冊に達する。
図書館として文献は誰でも閲覧できるが、2011年にオープンした「東洋文庫ミュージアム」では貴重書を楽しめる面白い展示を行っている。
展示エリアで最初に目に飛び込んでくるのは「モリソン書庫」。モリソンの北京の自宅書庫を再現したもので、二階まで吹き抜けの本棚が部屋の三方を取り囲み、本物の貴重書がびっしりと並んでいる。本を手に取って閲覧することはできないが、整然と並ぶ本の多さと棚の高さはまさに圧巻である。特に男性は、子供の頃に博物館の入口でこれから何が見られるかワクワクした気分を感じるだろう。
解体新書、東方見聞録、史記、好色一代男といった誰もが一度は聞いたことがある貴重書が、作品保護のために入れ替えしながら順次展示されている。普通の博物館の解説パネルにはない、作品の特徴を一言で表したキャッチコピーがここの売り物で、どのコピーが読む気にさせるか、比べてみても面白い。英文の解説も非常にしっかりしており、外国人のお客様を案内しても安心だ。
収集と運営には岩崎家の財力が大きく貢献したが、終戦直後に大きな危機を迎えることになる。財閥解体のあおりで文庫の経営を支援できなくなり、貴重な蔵書が散逸の危機に瀕したのだ。
この危機を救ったのが、当時の文庫の理事長で、終戦直後に首相を務めた幣原喜重郎。彼は東洋文庫を、岩崎家のもう一つの文化遺産の宝庫である静嘉堂文庫とともに、国会図書館の支部として国の管理下におくよう働きかけ、運営は安定するようになった。
終戦直後は「財産税」支払いのために、美術品が大きく散逸した時代でもある。最高税率が90%にも達したため、納税のための売却が多発したのだ。明治維新後の寺や大名家からの売却ラッシュと並んで美術品が大きく流通し、数多くの日本や世界の美術館が現在の充実したコレクションを形成できたのは、この2回の時代の急変によるものが大きい。
岩崎家は戦前に、所有する文化財を財団法人化した東洋・静嘉堂の両文庫に移していたため、財産税による散逸を免れている。美術品は富裕層の道楽として身近に置くものであり、美術館で公開したり恒久的に安全に保管したりする考えが希薄だった時代に、先見の明があったのだ。
ワシントンDCのナショナル・ギャラリーを創設した銀行家メロン、大原美術館を創設した紡績王の大原孫三郎。岩崎久彌と同世代の実業家には、著名な美術館のコレクションに貢献した人が多い。かけがえのない文化財を今に伝えた彼らの行動には感服する。
文庫の中庭はシーボルトの植物図鑑に掲載されている花や木が季節を楽しませてくれる。奥のカフェは岩崎家が所有していた小岩井農場直営で、美しい中庭を見ながら農場の味を楽しめる。また文庫の目と鼻の先には柳沢吉保の屋敷跡である「六義園」がある。実はこの園も、一時岩崎家の所有となり、久彌が東京市に寄付したものだ。ぜひ一緒に立ち寄ってほしい。
日本や世界には、数多く「ここにしかない」名作がある。
「ここにしかない」名作に会いに行こう。
三菱財閥は、岩崎弥太郎を継いだ弟の弥之助以降の久彌、小彌太までの三代で、
大きな信用と財産を築いたかがよくわかる。
歴史作家の著者・河合敦氏の文章は読みやすい。
(幻冬舎新書)
休館日 火曜日(例外が発生する可能性もあるので訪問前にご確認ください)
公式サイト http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/museum_index.php