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井伊の殿様は絶品コレクター ~彦根城博物館

2017年03月18日 | 美術館・展覧会

彦根城の美しい中堀

 

 

彦根は、西国や京の都から東国へ入る交通の要所である。関が原で勝ったものの、秀忠率いる本隊が戦に遅参したことで西国をほとんど豊臣恩顧の大名に与えざるをえなかった徳川家康は、徳川四天王と言われた重臣の中から井伊家にその地を託した。以来、井伊家は幕末まで彦根を治めることになる。

 

関ヶ原の戦い以前から徳川に臣従していた譜代大名の中で、江戸時代を通じて一度も領地替え(転封)や改易がなかった大名は井伊だけである。関ヶ原の戦い以後に徳川に臣従した外様大名でも前田・島津・毛利などだけでほとんどいない。

 

また井伊家は幕府の中で、現在で言う首相である「老中」だけでは難儀する一大事に臨時に設けた「大老」を出せる譜代大名四家の一つで、幕末の井伊直弼(なおすけ)はあまりによく知られている。石高も30万石で御三家の水戸徳川家35万石と大差ない。

 

井伊家はこのように、江戸時代を通じて築き上げた「血統」は、数ある大名の中でもトップクラスである。ここまで井伊家を持ち上げるのは家の格を評価することが本意ではない。多くの秀逸な文化財が伝えられていることを評価したいのが本意だ。

 

井伊家が伝えた文化財は「彦根城博物館」で管理・公開されている。国宝の天守閣のそばに表御殿を復元して1987年に建設されたもので、博物館としての機能以外に、茶室や庭園・能鑑賞も楽しめる。

 

コレクションの目玉は何といっても国宝「彦根屏風」だろう。江戸時代の絵画の中でも私にとって1,2を争うお気に入りの絵だ。

 

彦根城博物館 国宝・彦根屏風

 

江戸時代初期の寛永年間1630年頃、京都の三筋の遊里(1641年島原への移転前)の様子を描いたもので、市民の日常を描いた風俗画の傑作であり、浮世絵の源流と考える人も少なくない。作者は狩野派の誰かとみられているが、一時は岩佐又兵衛とする説もあった。

 

江戸時代初期の遊里は、時代劇のイメージが強い江戸時代後半の吉原遊郭とは異なる。富裕層がウィットに富んだ会話や恋愛ゲームを楽しむ文化サロンであり、今でいうと会員制の高級クラブに近い。客の男性は高額の料金を払って遊里の女性と対面する権利を買い、女性のお眼鏡にかなうよう自分の教養レベルをアピールした。

 

双六、三味線、煙草、洋犬のペット、恋文、といった当時のサロンで人々が最先端文化を饗する様子が赤裸々に表現されている。一方、俵屋宗達の風神雷神図屏風とも共通するが、この時代の屏風絵の特徴として背景が金地一色で何も描かれていない。それが逆にモチーフとなる人物の動きを際立たせている。

 

「彦根屏風」を入手したのは、直弼の兄で一代前の藩主・直亮(なおあき)。彦根城博物館に伝わる井伊家伝来品は多くは直亮が収集したものだ。直弼は藩主になってすぐ黒船来航に対処する幕府要職についたまま桜田門外の変で落命し、藩主在位期間としても10年に過ぎない。一方、直亮は在位期間が38年と長く、大名風流を吸収する時間に直弼より恵まれていたことは否定できない。

 

彦根は、隣町の長浜と並んで、いにしえの街並みを観光資源として軌道に乗せた成功例として、全国的に知られている。ふなっしー/くまモンと並ぶ全国レベルの知名度の「ひこにゃん」も、彦根の街の盛り上げに引き続き頑張っている。「ひこにゃん」を見ると、井伊の殿様は彦根の人たちに愛されていると感じる。

 

ひこにゃんパフォーマンス

 

 

日本や世界には、数多く「ここにしかない」名作がある。

「ここにしかない」名作に会いに行こう。

 

 

 

 彦根城内にある滋賀県の名門・彦根東高校出身の田原総一郎氏が、

井伊家が続いた知恵を熱く語る。

(プレジデント社)

 

 

彦根城博物館

http://hikone-castle-museum.jp/

原則休館日 展示替え期間

※日本画を中心に所蔵作品には展示期間が限られているものがあります。訪問前にご確認ください。

 

 


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