スケッチブック

写真と文章で、日常を記録に残す

観光案内ー③

2005-08-10 15:43:50 | Weblog
朝から雨が本降りだったので、「今日は休養日だな」と思っていたら、正午ごろにピタリと止んで蝉が鳴き始めた。

選んだのは近くにある浅間牧場。牧場といっても観光用に数頭の馬とヤギやウサギがいる程度の処だ。でも遊歩道を登りつめると見晴台に至り、格別の景色を楽しむことが出来る。浅間山(2469)は噴煙を上げていた。

その昔、1783年(天明3年)の夏八月五日、数ヶ月前から異常な鳴動を繰り返していた浅間が大爆発をしたのである。当時の人々は火山灰や噴石が降ってくる程度のものだと考えていた。火砕流の恐ろしさを知らなかったのだ。巨大な火砕流が北側斜面を駆け下り、途中の土砂をまきこみながら麓の村々を襲った。特に被害が大きかったのが嬬恋村(ツマゴイ)の鎌原(カンバラ)地区であった。降灰程度だと考えて居たであろう人々は家の中にいて、5メートルにも達する土砂に埋まった。犠牲者は477人であった。他方、近くにある高台に建つ鎌原観音を目指して駆け上った93人は助かったのである。

興味深いのは、その後の人々の動きである。この残った93名が力を合わせて村の復興に力を注いだのだ。妻を失くした男には妻を娶らせ、親を失った者には親を与え、子を失くしたものには子を与えたのである。こうして人工的に作られた家族が一致結束して村の復興に尽くしたと伝えられている。現実を受け入れ前へと進む日本人の素晴らしさがここにも見ることができる。

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8 コメント

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こんばんは (anikobe)
2005-08-10 19:37:11
お久しぶりのコメントです。

やっと、日常に戻りました。

鎌原観音2度行きましたので、情景など思い浮かべながら読ませていただきました。石段に残った火砕流の跡など目に浮かびます。
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anikobeさん、こんばんは (polo181)
2005-08-10 20:01:37
コメントを有難う。お久しぶりです。フレッツでなくてモペラで繋いでいますから貴女の部屋にお邪魔できなくて済みません。鎌原の資料館には、40台の女性が60台の母らしき女性を背負って観音様を目指して駆け上がり、一歩及ばず火砕流に巻き込まれて死んでしまったことを示す写真があります。母を捨てて自分だけで走れば間に合ったものを、最後まで母を背負い力尽きた写真には感動しました。多くの人に見てもらいたいと思いました。
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浅間山 (じゃこしかです)
2005-08-10 20:10:02
 雨が止んで再び探訪ドライブの開始ですね。

それにしてもこんなに穏やかな山が、或る日突然大暴れして甚大な被害を齎すとは、とても信じられないです。自然は奥深いものですね。
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じゃこしかさん、こんばんは (polo181)
2005-08-10 20:59:59
コメントを有難う。ただ黙々と観光案内人の役を務めています。軽井沢での滞在はあと1日となりました。明後日には八ヶ岳に戻ります。じゃこしかさんの部屋を訪問できなくてすみません。こちらはとても涼しくて毎晩熟睡できます。釧路の陽気はいかがですか?
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浅間山には (かと)
2005-08-11 01:10:13
そんな歴史があったのですか。

火砕流なんて雲仙普賢岳ではじめて耳にした言葉、心打たれる話ですね。

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かとさん、こんにちは (polo181)
2005-08-11 10:22:35
コメントを有難う。当時の人は火砕流の恐ろしさを知らなかったようです。そんな悲劇があった場所なのに、関東の避暑地として、今、栄えている。ちょっと怖い感じがします。もしもと思うと・・・
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浅間山は活火山! (熊子)
2005-08-11 20:39:08
そうでしたか、火砕流は恐いですよね。雲仙普賢岳の悲劇は記憶に新しいです。北も有珠山の噴火のときは恐ろしかった。火山灰が5メートルですか。ポンペイの悲劇のようですね。いろんな歴史があるのですね。浅間山といえば、連合軍事件を思い出しました。あの若者達はインスタント食品ばかりでカルシューム不足が悲劇の根源と聞きました。食は大事ですね。釧路も雌阿寒岳の小噴火が活発なんですよ。もし爆発したら私の地区も埋まるかも、、。
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熊子さん、こんにちは (polo181)
2005-08-12 12:56:41
コメントを有難う。返信が大変遅れました。済みません。たった今、八ヶ岳高原に戻りました。気温は20度!バンザーイ。志賀高原へ行った友達夫婦が明後日、ここを訪れることになっています。ですから、明日は掃除をしなくちゃ。。。

めんどくさいなぁ。小樽につきましたか?
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