朝から雨が本降りだったので、「今日は休養日だな」と思っていたら、正午ごろにピタリと止んで蝉が鳴き始めた。
選んだのは近くにある浅間牧場。牧場といっても観光用に数頭の馬とヤギやウサギがいる程度の処だ。でも遊歩道を登りつめると見晴台に至り、格別の景色を楽しむことが出来る。浅間山(2469)は噴煙を上げていた。
その昔、1783年(天明3年)の夏八月五日、数ヶ月前から異常な鳴動を繰り返していた浅間が大爆発をしたのである。当時の人々は火山灰や噴石が降ってくる程度のものだと考えていた。火砕流の恐ろしさを知らなかったのだ。巨大な火砕流が北側斜面を駆け下り、途中の土砂をまきこみながら麓の村々を襲った。特に被害が大きかったのが嬬恋村(ツマゴイ)の鎌原(カンバラ)地区であった。降灰程度だと考えて居たであろう人々は家の中にいて、5メートルにも達する土砂に埋まった。犠牲者は477人であった。他方、近くにある高台に建つ鎌原観音を目指して駆け上った93人は助かったのである。
興味深いのは、その後の人々の動きである。この残った93名が力を合わせて村の復興に力を注いだのだ。妻を失くした男には妻を娶らせ、親を失った者には親を与え、子を失くしたものには子を与えたのである。こうして人工的に作られた家族が一致結束して村の復興に尽くしたと伝えられている。現実を受け入れ前へと進む日本人の素晴らしさがここにも見ることができる。
選んだのは近くにある浅間牧場。牧場といっても観光用に数頭の馬とヤギやウサギがいる程度の処だ。でも遊歩道を登りつめると見晴台に至り、格別の景色を楽しむことが出来る。浅間山(2469)は噴煙を上げていた。
その昔、1783年(天明3年)の夏八月五日、数ヶ月前から異常な鳴動を繰り返していた浅間が大爆発をしたのである。当時の人々は火山灰や噴石が降ってくる程度のものだと考えていた。火砕流の恐ろしさを知らなかったのだ。巨大な火砕流が北側斜面を駆け下り、途中の土砂をまきこみながら麓の村々を襲った。特に被害が大きかったのが嬬恋村(ツマゴイ)の鎌原(カンバラ)地区であった。降灰程度だと考えて居たであろう人々は家の中にいて、5メートルにも達する土砂に埋まった。犠牲者は477人であった。他方、近くにある高台に建つ鎌原観音を目指して駆け上った93人は助かったのである。
興味深いのは、その後の人々の動きである。この残った93名が力を合わせて村の復興に力を注いだのだ。妻を失くした男には妻を娶らせ、親を失った者には親を与え、子を失くしたものには子を与えたのである。こうして人工的に作られた家族が一致結束して村の復興に尽くしたと伝えられている。現実を受け入れ前へと進む日本人の素晴らしさがここにも見ることができる。
やっと、日常に戻りました。
鎌原観音2度行きましたので、情景など思い浮かべながら読ませていただきました。石段に残った火砕流の跡など目に浮かびます。
それにしてもこんなに穏やかな山が、或る日突然大暴れして甚大な被害を齎すとは、とても信じられないです。自然は奥深いものですね。
火砕流なんて雲仙普賢岳ではじめて耳にした言葉、心打たれる話ですね。
めんどくさいなぁ。小樽につきましたか?