千寿の碁紀行

小林千寿の世界囲碁普及だより

MGプレス『碁縁旅人42回』 『世界で音楽を聴く』

2022-12-26 14:57:51 | 旅行
年末年始になると優雅な音楽が聴きたくなります。
私がクラシック音楽を真剣に聴き始めたのはプロ棋士になり1人暮らしを始めた21歳の頃です。囲碁の勉強が捗(はかど)る音楽をいろいろと探し始め、「バッハ」と「グレゴリオ聖歌」に至りました。
それをきっかけに、ニューヨークで数カ月間、囲碁指導をしていた時にユル・ブリンナーの「王様と私」を観(み)てミュージカルの楽しさに目覚め、幾つか行きました。
同じ演目でもサンフランシスコで鑑賞した「キャッツ」は涙が自然と出ましたが、パリの公演では「人生が明るい!」と苦労を笑い飛ばすようなエネルギーがあって、国によって解釈が随分違うと気づかされました。
欧州囲碁普及でウィーン、パリに住んでいた時は、機会をみつけて教会のオルガン、オペラのコンサートに行ったものです。
イタリア・ベローナの大きなコロシアムで真夏に観たオペラ「アイーダ」は5時間ほどの長い舞台の上、真夏でも寒い夜だったので、休憩時間に外のカフェに出てホット・チョコレートを飲んで凌(しの)ぎました。本物の動物の行進もあり、音楽的というより話の種には良い舞台でしょうか。
またバブル絶頂期の日本では有名音楽家の演奏会も多く賑(にぎ)やかでした。
1996(平成8)年6月の朝、一本の夢のような電話がありました。それはその日の夕方に東京・国立競技場である3大テノール(ルチアーノ・パバロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス)のコンサートを聴いて感想を新聞記事に書くという素晴らしい依頼だったのです。
その後、敷居が高かったピアノ演奏も聴く機会に恵まれました。同じ曲、同じピアノでも弾き手が違うと、こんなにも変わるのかと驚かされます。
最近、戦火にあるウクライナ・キーウの国立歌劇場で公演が続けられていると知りました。
今年も心配事が増え、大変な年でした。来年は世界が平和になり健康な年でありますよう願います。

https://mgpress.jp/2022/12/23/%e3%80%90%e5%b0%8f%e6%9e%97%e5%8d%83%e5%af%bf%e3%83%bb%e7%a2%81%e7%b8%81%e6%97%85%e4%ba%ba%e3%80%9142-%e4%b8%96%e7%95%8c%e3%81%a7%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e3%82%92%e8%81%b4%e3%81%8f/


ニューイヤーコンサートで有名なウイーンの楽友会館の入り口










Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MGプレス『碁縁旅人41回』 『私のカタール』

2022-12-26 14:40:18 | 旅行
今回のサッカーのワールドカップ(W杯)でアジア勢の勢いが素晴らしく、日本も強豪のドイツ、スペインに勝って決勝トーナメントに進出したのは大金星です。開催国のカタールは遠い異国ですが、W杯を通じて急に身近に感じるようになりました。
私はカタールに行ったことはありませんが、パリに住んで囲碁普及をしていた時に運良くカタールがスポンサーの競馬の祭典「凱旋門賞」でVIPルームに招待されました。
その時にカタールの文化紹介のコーナーでヒジャブで髪を覆った美しい女性と記念写真を撮りました。その時にさり気なく「手を出して」と言われ、手を預けるとあっという間にペーストのようなもので模様を描かれました。それは彼女の手にも描かれた「ヘナのタトゥー」だったのです。
以前、スイスのホテルでサウジアラビア人の結婚式の新婦がお祝いの時に描くと説明してくれたことがあったので、その日は気楽に帰宅しました。ところが、それは洗っても10日間ほど消えないものだったのです。
そして翌日、習っていた大人のフランス語のクラスで白人のクラスメートが一様に凍り付く反応にビックリ。ヘナタトゥーは「宗教、アラブ文化」を象徴するもので、それをしている私もそうした宗教、文化を持っているように見られると知らされたのです。国際社会において、それは無知で軽率な行動でした。
間の悪いことに、その2日後に国際的な会合に招待されていました。私はいろいろと考えて右手を大きな包帯で巻いてけがをしたことにし、左手で握手をする許しを得て何とか切り抜けました。
植民地が多かった欧州などには、多国籍のルーツを持つ2世3世の人々が一緒に暮らしています。文化、歴史、習慣が混じるカオスの世界です。
カタールのW杯では、そのカオスが見え隠れし、その上、国際問題も重なり、複雑な思いです。でも選手たちの素晴らしいプレーが心を洗ってくれます。
https://mgpress.jp/2022/12/09/%e3%80%90%e5%b0%8f%e6%9e%97%e5%8d%83%e5%af%bf%e3%83%bb%e7%a2%81%e7%b8%81%e6%97%85%e4%ba%ba%e3%80%9141-%e7%a7%81%e3%81%ae%e3%82%ab%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%ab/


凱旋門賞のカタール紹介コーナーで、ヒジャブをかぶる女性と、ヘナタトゥーを施された筆者

筆者の手に書かれた、すぐに消えないヘナタトゥー



Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MGプレス 碁縁旅人40回 『海外の生活』より

2022-12-04 15:28:32 | 旅行
ネット記事を通じて女優の杏さんがパリにお子さんたちと移住した様子を読むと、私の海外の生活を思い出します。
私の初海外生活は1980年にニューヨークに半年。この時はマンハッタンの便利な家具付きの部屋だったので、簡単に生活ができました。
次の98~2000年の2年間がパリ十六区(パリの中心地)。家具付きの部屋の上、大家さんが日本の方でメンテナンスがよくてインテリアもかわいく、買い物も便利な場所で快適に暮らせました。
次の04~07年のジュネーブは物価が高く、部屋を探すのが大変でした。数カ月後に新築の総合マンションに滑り込みましたが、入居して驚いたのは1970年以降の建物には核シェルターの設置が義務付けられ、洗濯機は自室には置けず共有の洗濯室を日時を決めて使用するのが決まり。また、その時から家具はイケアで購入して自分で組み立てるのが普通になりました。
その次のウィーンでは想像を絶する部屋探しでした。
入居する条件にトリックがあり、例えば契約書に「ピアノ設置可能」。他のページに「1平方メートルに100キロ以上不可」となっていて、事実上、普通のピアノは置けないのです。オーストリア囲碁協会の面々が細かく契約書をチェックしてくれたので、難を逃れられましたが、本当にあちこちに罠(わな)のようなものがあって苦労しました。
そして女優の杏さんが住み始めたパリ。ここは約束の時間に遅れること、大家さんがあちこち壊れてもなかなか直してくれないことは普通。やっと直してくれても直(す)ぐに壊れることも日常茶飯事。どれほど、困ったり怒り心頭に発する思いをしたことか…。それでも慣れと生活の知恵で、何とか楽しく暮らせるようになるものです。
そして久しぶりに帰国した時に列車が10分遅れた謝罪のアナウンスに違和感すら感じる次第でした。ところが日本の生活に戻ると、今度は少しでも遅れたり壊れたりすると不満が。実は便利で正確な日本が特別なのです。
https://mgpress.jp/2022/11/25/%e3%80%90%e5%b0%8f%e6%9e%97%e5%8d%83%e5%af%bf%e3%83%bb%e7%a2%81%e7%b8%81%e6%97%85%e4%ba%ba%e3%80%9140-%e6%b5%b7%e5%a4%96%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb/

水回りの故障が続出の亜P里で借りていた部屋の素敵な室内
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする