https://mgpress.jp/2021/09/10/%e3%80%90%e5%b0%8f%e6%9e%97%e5%8d%83%e5%af%bf%e3%83%bb%e7%a2%81%e7%b8%81%e6%97%85%e4%ba%ba%e3%80%9111-1974%e5%b9%b4%e3%81%ae%e3%82%bd%e9%80%a3%e3%81%ae%e5%9b%b2%e7%a2%81%e7%95%8c/
長野県の秋は早いですね。8月末からトンボが飛び始め、コスモスが気持ちの良い風に揺らぎ、リンゴの実が日ごと大きくなり色付いてきました。
今回は囲碁指導で訪ねたロシアでの「キャビア」の話を。1974年8月、鉄のカーテンに覆われた共産国・旧ソ連に日本から初めて囲碁のプロ棋士が訪問、
モスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルク)で10日間指導しました。それが本田幸子先生(当時三段)と私(同二段)です。女性2人では心細
いだろうと、毎日新聞社のロシア語が堪能な井口昭夫氏も同行。世界が東西に分裂している時代でしたから財界の錚々(そうそう)たる方々からも「ソ連に
入ったらホテルの部屋でも絶対にソ連の悪口などは言わないこと。盗聴されていると思って行動しなさい」と厳しくアドバイスを受け緊張しました。
しかし、碁を打てば言葉が通じなくても心が通じるのが囲碁。当時のトッププレーヤーたち(日本のアマ五段相当)と毎日顔を合わせているうちに打ち解
けていきました。
そして共産国でゲームはマインドスポーツに属し、体育協会から夕食の招待を毎晩のように受けました。でも、その夕食は冷たい物ばかり。魚の薫製、キャ
ビア、そこに添えられた生野菜。
ロシアの囲碁協会の面々は私たちに、黒パンにバターを分厚く塗って、その上に真っ黒になるまでキャビアを載せて「食べてください」と。彼らは、キュウ
リ、トマトを食べるばかり。1枚のパンを食べ終えると、すぐに次のキャビアが。高価なキャビアでおなかがいっぱいになる夜が3晩も続くと、さすがに他の
物が食べたくなり、野菜に手を出そうとすると「ニエット!(だめですよ!)」と。理由を聞くと彼らにとって生野菜は手に入れ難く、キャビアより貴重な
食物だったのです。
私は、その時に一生分のキャビアを食べてしまったのでしょう。また食べたいと思えないのです。
モスクワ
当時のロシアのトッププレイヤーと指導碁
本田幸子先生(筆者の右隣)その隣が毎日新聞社、囲碁将棋観戦者の井口昭夫氏 後はロシアのトッププレイヤー
ミニスカート全盛期。