彼岸のほかに、施餓鬼、盂蘭盆会、祗園御霊会、八幡放生会などが各宗派で行われていますが、ここでは施餓鬼について述べてみたいと思います。
3.施餓鬼(お施餓鬼)
施餓鬼という行事は、諸宗派で行われており(ただし浄土真宗では行われません)、本山のような大寺院から一般寺院に到るまで行われています。この施餓鬼会は多くの近隣の僧侶や大勢の信徒が寺に参集して行う、寺院の年間行事の中でも最も大きな法会に位置づけられていると言えます。
ところで施餓鬼とは、文字どおり餓鬼に飲食等の施しをすることですが、餓鬼について少し説明しますと。仏典に出てくる言葉は、多くの意味を持っています。これは広い地域にわたって長い年月をかけて仏教が伝えられ、変化してきた結果であり、この施餓鬼もそうなのです。さて、この施餓鬼は、元来は死んだ人間の意味でした。インドではプレーターと言われています。残された人が供物をささげますと、祖霊となってくれるのですは、それを怠ると亡霊になると考えられました。一方人間の魂が生死をくり返すことを輪廻といいますが、仏教はそこに六つの世界(道)をたてました。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天です。このうち餓鬼世界(道)の住人つまり餓鬼は、飢えも、のどの乾きも決して満たすことはできないとされています。日本では、この意味で餓鬼を考えています。
仏教においてこの餓鬼なる存在に供養するということはいかなる意味を有するのでしょうか。その典拠となる経典のいくつかが、テキストに紹介されています。
施餓鬼会の成立に最も関係の深い教典は『救抜焔口餓鬼陀羅尼経』です。すなわちそこでは、仏弟子の阿難(アーナンダ)が一人の焔口餓鬼に、汝は三日後に死んで餓鬼道に落ちるであろうと予言され、同時にそれを免れる方法として餓鬼道にいる一切の衆生への供養を告げられます。しかし仏弟子として蓄えなどを持たぬ阿難にとってそれは不可能です。困った阿難は釈尊に尋ねると、釈尊は、「無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼」という秘咒をとなえることによって餓鬼に供養し、苦を脱せしめ、さらに施す者も寿命を延ばすことができると教えたのです。
このように経典では餓鬼や鬼神の救済ということによって高徳を積むことが強調されていますが、中国・日本の仏教ではこの思想は法会として行われました。中国の南北朝の梁の武帝がはじめて水陸会(無遮会)という行事を行い、水や陸に飲食を散じて一切の諸霊の供養をしています。唐代では、先の『救抜焔口餓鬼陀羅尼経』などの施餓鬼経典が翻訳されると、施餓鬼会が行われるようになり、宋代の天台宗の尊式は『施食法』『施食方式』を著し、法会の形式を整備しました。
日本には弘法大師空海によって、『救抜焔口餓鬼陀羅尼経』が伝えられ、真言宗から各宗派に取り入れられています。
こうして日本の各宗派において、施餓鬼会は盛んに行われているのですが、その儀礼の意味内容は微妙に変化しています。というのも本来の餓鬼供養では、餓鬼を驚かせないために、法要中鳴らし物はせず、真言もごく小さく唱えなければなりません。また餓鬼が華々しいところには近づけないため、夜分灯明もつけずに本堂の外で行うものであります。しかし今日では鼓鉢などの鳴らし物を用いて本堂内で盛大に行っています。実は今日の施餓鬼会では、餓鬼そのものから、三界万霊への供養に転じ、信徒の先祖代々の精霊供養などが中心となっているのです。
こうした施餓鬼会のあり方は、日本独特の祖霊信仰からも考慮すべきであると思います。たとえば今日儀礼として用いられる施餓鬼棚は日本古来の魂祭りの精霊棚であるといわれます。魂祭りでは、死後間もない荒々しい魂(新魂であると同時に荒魂)を恩寵のカミ・ホトケに転換する儀式であるとされ、こうした魂祭りのようなものが本来の日本人の心の底にあって、その上に仏教の施餓鬼思想があるとも考えられるのです。仏教思想が民間の祖霊信仰と結びついたからこそ、今日に到るまでこの施餓鬼会の伝統が残っているとも言えるのです。
なお、この施餓鬼会のことを黄檗宗では普度勝会、又は普度会といい、長崎の宗福寺では、華僑の人々が故郷を偲んで毎年旧暦七月中に行われています。この法要によって中国における伝統的な施餓鬼のあり方を知ることができ興味深いものがあります。この施餓鬼は宇治の黄檗山萬福寺(黄檗宗本山)などでも行われています。 おわり
3.施餓鬼(お施餓鬼)
施餓鬼という行事は、諸宗派で行われており(ただし浄土真宗では行われません)、本山のような大寺院から一般寺院に到るまで行われています。この施餓鬼会は多くの近隣の僧侶や大勢の信徒が寺に参集して行う、寺院の年間行事の中でも最も大きな法会に位置づけられていると言えます。
ところで施餓鬼とは、文字どおり餓鬼に飲食等の施しをすることですが、餓鬼について少し説明しますと。仏典に出てくる言葉は、多くの意味を持っています。これは広い地域にわたって長い年月をかけて仏教が伝えられ、変化してきた結果であり、この施餓鬼もそうなのです。さて、この施餓鬼は、元来は死んだ人間の意味でした。インドではプレーターと言われています。残された人が供物をささげますと、祖霊となってくれるのですは、それを怠ると亡霊になると考えられました。一方人間の魂が生死をくり返すことを輪廻といいますが、仏教はそこに六つの世界(道)をたてました。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天です。このうち餓鬼世界(道)の住人つまり餓鬼は、飢えも、のどの乾きも決して満たすことはできないとされています。日本では、この意味で餓鬼を考えています。
仏教においてこの餓鬼なる存在に供養するということはいかなる意味を有するのでしょうか。その典拠となる経典のいくつかが、テキストに紹介されています。
施餓鬼会の成立に最も関係の深い教典は『救抜焔口餓鬼陀羅尼経』です。すなわちそこでは、仏弟子の阿難(アーナンダ)が一人の焔口餓鬼に、汝は三日後に死んで餓鬼道に落ちるであろうと予言され、同時にそれを免れる方法として餓鬼道にいる一切の衆生への供養を告げられます。しかし仏弟子として蓄えなどを持たぬ阿難にとってそれは不可能です。困った阿難は釈尊に尋ねると、釈尊は、「無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼」という秘咒をとなえることによって餓鬼に供養し、苦を脱せしめ、さらに施す者も寿命を延ばすことができると教えたのです。
このように経典では餓鬼や鬼神の救済ということによって高徳を積むことが強調されていますが、中国・日本の仏教ではこの思想は法会として行われました。中国の南北朝の梁の武帝がはじめて水陸会(無遮会)という行事を行い、水や陸に飲食を散じて一切の諸霊の供養をしています。唐代では、先の『救抜焔口餓鬼陀羅尼経』などの施餓鬼経典が翻訳されると、施餓鬼会が行われるようになり、宋代の天台宗の尊式は『施食法』『施食方式』を著し、法会の形式を整備しました。
日本には弘法大師空海によって、『救抜焔口餓鬼陀羅尼経』が伝えられ、真言宗から各宗派に取り入れられています。
こうして日本の各宗派において、施餓鬼会は盛んに行われているのですが、その儀礼の意味内容は微妙に変化しています。というのも本来の餓鬼供養では、餓鬼を驚かせないために、法要中鳴らし物はせず、真言もごく小さく唱えなければなりません。また餓鬼が華々しいところには近づけないため、夜分灯明もつけずに本堂の外で行うものであります。しかし今日では鼓鉢などの鳴らし物を用いて本堂内で盛大に行っています。実は今日の施餓鬼会では、餓鬼そのものから、三界万霊への供養に転じ、信徒の先祖代々の精霊供養などが中心となっているのです。
こうした施餓鬼会のあり方は、日本独特の祖霊信仰からも考慮すべきであると思います。たとえば今日儀礼として用いられる施餓鬼棚は日本古来の魂祭りの精霊棚であるといわれます。魂祭りでは、死後間もない荒々しい魂(新魂であると同時に荒魂)を恩寵のカミ・ホトケに転換する儀式であるとされ、こうした魂祭りのようなものが本来の日本人の心の底にあって、その上に仏教の施餓鬼思想があるとも考えられるのです。仏教思想が民間の祖霊信仰と結びついたからこそ、今日に到るまでこの施餓鬼会の伝統が残っているとも言えるのです。
なお、この施餓鬼会のことを黄檗宗では普度勝会、又は普度会といい、長崎の宗福寺では、華僑の人々が故郷を偲んで毎年旧暦七月中に行われています。この法要によって中国における伝統的な施餓鬼のあり方を知ることができ興味深いものがあります。この施餓鬼は宇治の黄檗山萬福寺(黄檗宗本山)などでも行われています。 おわり