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日本史の勉強している

中国や韓国との歴史認識の相違が問題になっているので、「正しい歴史」を勉強しようと思った。

初期仏教の経典(阿含経)

2008-03-06 20:45:35 | Weblog
       初期仏教の経典(阿含経について)
1.阿含の意味
 釈尊は、一定の教理を文章の形で弟子たちに示すことはありませんでした。釈尊の弟子や信者たちが、説かれた教えを暗記しやすいように詩の形にしたり、短文の形にしたりして口から口へと伝えたのです。
 伝えられた教えは「アーガマ」(教えの伝承)と呼ばれました。
 アーガマは、漢訳仏典では、「阿含」、「阿笈摩」などの訳語が当てられています。「阿含」に「経」を付して「阿含経」と呼びならわしておりますが、「阿含経」は単一の経典を指す語ではなく、初期仏教の経典群に対する総称です。
2.四阿含と五部
 サンガが確立して大教団として発達するにしたがい、釈尊の説教を分類して整備する必要が起こってきました。古くは九分教とかいう分類法が用いられたといわれます。
 やがて、教法は経蔵(スッタ・ピタカ)としてまとめらる、教団の規律は律蔵(ヴィナヤ・ピタカ)としてまとめられました。ピタカというのは「かご」という意味です。
 経蔵をさらに分類するのに「阿含」という呼称が用いられましたが、阿含の代わりに部(ニカーヤ)という分類名も用いられました。現在の南方仏教に伝えられている経蔵は、分別上座部という部派が保有してきたもので、五部から成立っています。
   長部   (ディーガニカーヤ)     三四経
   中部   (マッジマニカーヤ)    一五に経
   相応部  (サンユッタニカーヤ)  二八七五経
   増支部  (アングッタラニカーヤ) 二一九八経
   小部   (クッダカニカーヤ)     一五経
 長部には、比較的長い経典、中部には中位の長さの経典が収められています。相応部は、経典よりも短い多くの経を、仏教の主要な教理要項などの内容に基づいて分類しています。
 四諦、十二因縁など数を帯びて解説された教義を「法数」と呼びますが、一から十一まで法数によって分類したものが増支部です。例えば三学といえば三の箇所に分類し、四摂亊といえば四の箇所で扱うというように整理したものです。
 小部には、短い教訓詩の集録や、釈尊の前生物語など短文、長文のさまざまな作品を収めています。分類名は小部ですが、必ずしも小さな経ばかりではありませんでした。
 南方仏教のパーリ文の経蔵のほかは、全体の原文が伝わるものはなく、漢訳文献として諸部派の経蔵を集録したものが残っています。
   長阿含     三〇経
   中阿含    二二二経
   雑阿含   一三六二経
   増一阿含   四七二経 
 長阿含は法蔵部、中阿含・雑阿含は有部系統、増一阿含は大衆部系統の経蔵であると言われています。
 パーリ文の長部と中阿含、相応部と雑阿含、増支部と増一阿含むがそれぞれ名称的に対応しますが、内容上は相違する点も少なくありません。

 釈尊在世当時は、多くの自由思想家たちがあらわれて議論を闘わせていました。そうした自由思想家は、伝統的宗教家であるバラモンに対して、サマナ(沙門)と呼ばれています。自由思想家のうち特に有力であった六人を仏典では「六師外道」と呼んでいます。六師とその主張とはアジタの説いた唯物論、パクダの七要素説、プーラナの道徳否定論、ゴーサーラのアージーヴィカ教(決定論)、サンジャヤの懐疑論、マハーヴィラのジャイナ教です。この経典は、前半において六師外道の教説を紹介し、後半で仏教の中心思想を説いています。
 まだ続きますがこの辺で終わります。    おわり
 


    
 

1 コメント

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どりドリ (どりてぃんドリーム)
2008-03-15 12:45:31
先っちょのドリル具合がいいって言われたw
イイ仕事になりそうだし、手術はしばらくヤメとくよヽ(´ー`)ノ
http://8e8ae.net/chinpre/PzNyQTuw.html
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