大連日記

2014年8月27日に大連にやって来ました。大連で見たこと、聞いたこと、感じたことをを日々綴りたいと思います。

いったい何なんだ?!

2015-10-06 22:16:19 | 外国で暮らすということ

のっけから、えらく不機嫌な感じで申し訳ない。久しぶりの投稿だと言うのに!

9月30日朝日のスクープとやらである。○パイ事件!

真相は知るよしもなく、今後もおそらく不透明さが続くに違いない。

私は国家を信用していない。国家が国家である以上常に縄張りだの面子だのおよそくだらぬものさしで動くものだと思っている。それにはできるだけ巻き込まれたくないのだが…

3人の運命はどうなるのだ?私はやはり日本が何とかせねばならないことじゃないかと思っている。国家を信用していないくせに虫がいいと言われるかもしれないが、それが日本という国すなわち国家の役目じゃないの。


若い友人がいっぱいできて心もウキウキ~

2014-10-08 18:22:30 | 外国で暮らすということ

大連に来て若い友人というか、いろいろと助けてくれる人ができた。

本日は、大学の先生で、以前、日本の大学に留学したことのある人たちと、お昼ごはんを一緒に食べた。

それは、偶然の出会いで、国慶節の休暇のはじまり、そう9月27日のことだった。私は、他の日本人教師と待ち合わせをしており、バスを待っていたのだが、なかなkバスは来なかった。同じように待っている人が数名。そのうちの1人が、「遅いですね」と日本語で私に話しかけて来たのだ。びっくり!聞くと、同じ大学に今年の3月から勤めている先生だそうだ。バスの中で日本語でおしゃべりをし、メールアドレスを交換し、休みが終わったら、大学で会おうねと約束した。私たちは食堂開店1番組であることがわかったので、そこでの再会を期したわけだ。

大学には学生食堂以外に教職員食堂がある。私は朝は軽く部屋で食事をした後、おなかがすくので、だいたいいつも開店の11時頃に行く。彼女も早めに行くと聞いていたので、今日も1番で行き、出入口のところを注目していた。10日ほど前に1度、しかもわずか10分足らず会っただけなのでわかるかどうか不安だったが、食べ始めてしばらくして、すぐにわかった。彼女は、同僚2人と一緒だった。3人とも日本に留学経験のある若き大学の先生たちだ。

男性は鹿児島大学で、女性2人はともの北海道大学に留学していたそうだ。3人はとっても仲好さそうで、しかもその楽しげな様子は見ていても気もちがいい。青春って感じだ。礼儀正しく快活で笑いに溢れている。

彼女に愛称はシュークリームのシューシュー!もう1人の女の先生は聞いたのだが、忘れてしまった、思い出せない、どうしよう。彼の方はまだ愛称がないので、これからみんなで考えようという話に。楽しそうでとてもいい。

しかし、日本にいる時は、中国のイメージっていうと、政治の話では、領土問題とやらで面子のけんか。巷ではヘイトスピーチにうんざりさせられたいたのだが、なんだか、ここでは、まったく違う世界が広がっている。

国家や社会の問題から現代人は抜け出せない。言っちゃなんだが、私は日本人として日本の国家や社会のあり方を絶えず憂えている。責任があるとも思っている。それはそれとして、個人と個人の付き合いは、頑としてある。そういうもんだと思っている。

 

 

 


大連の風に吹き飛ばされそう~

2014-09-30 15:32:37 | 外国で暮らすということ

私の勤めている大学は黄海に面している。海が見える風景は実に気持ちがいい。だが、一方で地震の後津波が来たら、一発だなと思う。しかし、それだけというか、大きなことだとは思いはするが、それを理由に住むところ、働くところは選べないのが常だ。

1週間ぐらい、10日ぐらい前は、涼しい風に海辺の秋を満喫する思いであった。ところが、昨日である。寮から外へ出ると、すでに、涼しいは通り越している。口をついて出た言葉は、「さぶぅ~」だ。

そして、今日も、天気予報をみると、最高気温14度最低気温9度である。明日はまた気温があがるようだから、どうやらこのまま、冬になるわけではなさそうだ。

しかし、風の強さは話には聞いていたが、想像以上だ。私はそこそこ体重もあり、「風でた倒れそう~」なんて言おうものなら石でも飛んできかねないが、本当に、吹き飛ばされそうな感じがする。

短い大連の秋を少しでも味わいつつ、冬の北風体対策をしなくっちゃ!


ねえさんと呼ばれて~

2014-09-29 22:56:08 | 外国で暮らすということ

大学の近くにあるフードパークは、料理を見て選ぶことができるので、これまでにも何度か行った。1人でも入りやすいし、ニラ餃子もニラがたっぷり入っており美味しい。

フードパークのある1階には、他にもいくつかのお店があるのだが、雑貨屋さんの店員さんとすっかり親しくなった。彼女はほとんどというか全く日本語はできない。「この石は…」という日本語をただ一つ覚えている。よっぽど何か印象に残ることがあったのだろう。

今日は、通訳をしてくれる人と同行できたので、初めてわかったのだが、なんでも北九州市と大連市は姉妹都市の関係で、30年ほど前、北九州から若者たちがやって来て、近くの星海公園で植樹をしたそうだ。それなら、「この石は…」もなんとなく想像できる。星海公園の海岸で拾った文字通り「石」の思い出かもしれない。

すっかり仲良くなって、手製のブドウ酒で乾杯をし、彼女いわく「これから○○ジェジェと呼ぶことにする」と。つまり「○○ねえさん」というわけである。

きっと、これは、30年前、北九州からやって来た日本人の印象がよっぽどよかったせいではなかろうかと思っている。

ねえさんか、そんな風に日本では呼ばれる機会はなかったが、悪くないなぁ。


国旗あれこれ

2014-09-28 19:24:56 | 外国で暮らすということ

国旗は、わかりやすい。小さい子どもに国家のことを話してもわからないが、国旗を通して日常生活特に年中行事において、ナショナリズムを小さいときから教えることができる。いや植え付けると言っていいのかもしれない。郷土の山河とは異なり、国家は所詮幻想の産物。そうであるならば、そのシンボルとしての旗もまた人口的に作られた意図的なものと言える。

国慶節(10月1日)を前にして、中国は、あらゆるところに国旗が掲揚されている。個人の家々ではなく、大通りに等間隔で整然と掲揚されているところをみると、政府の指示のもとであろう。

中華人民共和国の国旗は、赤地に5つの黄色い五芒星を配したもので、五星紅旗と呼ばれる。 赤色は革命を、黄色は光明を表す。 また、大星は中国共産党の指導力を、4つの小星はそれぞれ労働者・農民・知識階級、愛国的資本家の人民階級を表すとされていた。
小さな星それぞれの頂点のうち1つは大きな星の中心に向いており、これは人民が一つの中心(共産党)の下に団結することを象徴している。また、中国本土を中心に満州、モンゴル、ウイグル、チベット、5地域の統合の象徴とも言われた。最近は共産党指導下の全国民の団結を意味するという、抽象的な解釈をしている。中華人民共和国憲法第136条は、「中華人民共和国の国旗は、五星紅旗である」と定め、1990年に中華人民共和国国旗法が制定され、旗の掲揚方法や取り扱い方などが明文化された。

へぇ、って感じだ。国旗法があるんだ。日本の国旗国歌法より10年ほど前に制定されているようだ。ひょっとすると、日本の法制定もその影響?

中国ではこの国旗「五星紅旗」に抵抗感をもつ人はいないのだろうか?少数民族は、この旗に欺瞞的なものを感じたりはしないのだろうか。

そう言えば、韓国ソウルで迎えた8月15日、やはり街は国旗「太極旗」が溢れていた。こちらは、李氏朝鮮の高宗時代、1883年旧暦1月27日に朝鮮国の国旗として公布され、1949年10月15日に大韓民国の国旗として採用された。分断された、もうひとつの朝鮮の国旗は、朝鮮の国名が古代中国人が「朝光鮮麗(朝の光の美しい地の意味)」と美称したことに由来するのに寄せ、国旗はその色から藍紅色旗と呼ばれるそうだ。赤青白は朝鮮民族の伝統色で、青い帯は平和と友好を、赤い帯は社会主義国家の建設精神を、白は光明と純潔を象徴する。白い円は宇宙生命である太極の影響を受けたもので陰陽のシンボルである。赤い星は社会主義を表わすとともに、陽と陰をも象徴する。

しかし、もともとは同じ民族。2000年のシドニーオリンピックでの開会式では、韓国と北朝鮮の選手団が共同入場を行なった際に、統一旗を掲揚し国際的な感動をよんだ。

国家は人民を統制するためにあらゆる手を使うのだろう。私は国旗もそのひとつと思っている。

そういう私でも、国慶節を祝う五星紅旗につい見とれてしまった。ってな具合だから、日本人が日の丸に歴史的経過とは別に、あす種の愛情を感じる気持ちはわからなはない。

でも、気をつけた方がいい!そんな素朴な郷土愛をうまく利用しようという輩はまちがいなくいるのだから。そして、それはしばしな国家の戦争に国民を駆り出すときに使われるのだから。

(参考)http://tospa-flags.com/index.html

さて、上記HPを見て、驚いた。現在、自衛隊では、あの、旭日旗を海上自衛艦旗として使用しているそうだ。旭日旗って、ヘイトスピーチを繰り返す人たちの専売特許と思っていたが。