鉄 時々TDR 27系統

04-Sep-22 試運転

男と男の子の違いは所詮持っている玩具の値段の違いだそうで、爺様の玩具はちょっと高いです。 

先日機会を得てここの所いじった車両の試運転。
分解して組み立てなおしたクモハ73原形

こちらは動力を抜いて、ピボット台車に振り替えたクモハ73先頭。
残りの3両はいじってないので前に進む時にテールライトが点灯しないかくらいのチェック。

後ろのクハ、モハを外して、クモハ73600偶数車に交代。

ライト、進行方向のチェック。
大丈夫でした。
横浜線あたりの付属3両編成みたいな。

6月初めにいじっていたのを今頃試運転。
今更ながら説明書が間違っているのを確認。
模型歴の長い私の判断の勝ち。
これで準急かすがの5連が組めるようになります。

コメント一覧

まるや
詳細なご説明有難うございました。
昭和30年といえば、気動車が初めて優等列車に使われたのですね。たった2両しかないキハ50が2両とも「かすが」に組み込まれていたとはうれしい限りです。もっとも22m車なのでポイントを痛めてしまうため、量産型のキハ51に置き換えられ、早い時点でキハユニ17に改造、1両は新潟地震の犠牲になってしまった薄幸のクイーン(私にとっては)だったようですね。
27系統
うちの模型の編成自体はJTB準急物語に載っていた写真を参考にしてます。 キハ55バス窓3両、キロハ18、キハ51。
鬼籍に入った同級生の大野さん、毛呂さん辺りが詳しそうですねえ。

さて編成表のサイトでは
S31.7.15の編成 206レの編成が
キハ44700 キハ44700 キハ44700 キロハ47000 キハ44700 になってます。44700はのちのキハ51ですが、準急色のキハ44700は聞いたことがありません。 旧色ではないでしょうか。 キハ51に改番してからキハ55の不足を補ったのだと思います。

遡って、
S30.3.22~ 209レ、208レ
名古屋-湊町
←湊町

<1 2 3 4>
キハ50 キハ17 キロハ18 キハ50
となっていますが昭和30年は1955年、気動車の改番は1957年ですからキハ50はまだキハ44600ですね。
それとキハ17の準急色もなかったと思うので旧色かなあ。
ちなみにキハ44700(51)の新製は1956年ですので虎の子の編成でしょう。
キハ44600の新製配置は奈良ですから、かすがにそのまま使っていたと。

気動車準急色の制定は1956年(S31)ですから昭和30年の頃は準急色でないと思いますので旧色でしょう。

取りとめなくてごめんなさい。
まるや
いつも楽しくブログを拝見させていただいております。
今回も美しいキハ55の姿、有難うございました。
さて実車の「かすが」ですが、初代の編成はキハ51,キロハ18などの17系で組まれていたと思いますが、試作車のキハ50は組み込まれていたのでしょうか。また初代「かすが」は旧気動車色だったか、準急色だったか、ご存じでしたらお教えください。
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