ヤングマガジン 1981年2号(1月19日号)
回数/掲載誌/タイトル/単行本
読切/ヤングマガジン 1981年2号/ヤング版 ひみつのアッコちゃん/①②③
・解説
「週刊少年マガジン」のアニメ特集号としてスタートした「少年マガジン ヤング増刊」を経て、1980年に創刊された「ヤングマガジン」。当初は隔週刊だったが、1989年8号からは「週刊ヤングマガジン」に改められた。
創刊号では手塚治虫、ちばてつや、柳沢きみお、永井豪らが執筆。また、現在まで続くちばてつや賞がスタートしている。
そんな、創刊間もない「ヤングマガジン」の通巻第14号である1981年2号にゲスト掲載されたのが『ヤング版ひみつのアッコちゃん』である。扉ページのアオリ文は「この読み切り作品にかぎり〝アッコちゃん〟18歳で登場!処女からなにに変身するの!?」という、コンセプトを端的に示すものだった。
大学受験を控える高校生となったアッコとモコが同じ男子に好意を抱くという起点こそ、かつての抒情的な魅力あふれる少女漫画を連想させなくもないが、それ以降は自慰行為やマザーコンプレックスといった、思春期男子の生態を生々しいギャグに転化したストーリーとなっている。
ラストのコマでは、魔法のコンパクトによる変身で、意中の男子の秘部を垣間見たアッコが「スリルのない人生なんて・・・・ もう二度とコンパクトを使うのやめよっと‼」とこぼす。ヒット作は終幕を否定する〝終わらない物語〟となる事が多い中で、『アッコちゃん』の核心を否定する台詞を言わせるあたり、やはり赤塚ギャグは容赦がない。単に、作品に赤塚の胸懐がにじみ出ているだけかも知れないが。
また、作中に登場する野球部の〝原君〟と〝川上君〟のネーミングは、当時の野球選手からいただいたものだろう。
表紙に「お年玉がわりに赤塚不二夫大人の処女をなくしちゃった〝ひみつのアッコちゃん〟読み切り20円分と北見けんいち先生の〝オシメいつとれる〟新連載30円分アゲル!師弟競演が見ものダゾ。」とあるように、北見けんいちの新連載にあわせた大御所ゲストとしての掲載であり、石ノ森章太郎の『二級天使 25年めのPARTⅡ』(1980年12号)や藤子不二雄Ⓐの『魔太郎が翔ぶ』(1981年13号・14号)と同じく、かつてのヒット作のリバイバル企画でもあったようだ。
更に見逃せないのが作中でアッコが発する「ヤングマガジンってイジワルな企画をたてるわね…」というメタ台詞であり、ここから推察すると、〝『ひみつのアッコちゃん』の後日談〟という企画自体が編集部から持ち込まれたアイディアという可能性もあるだろう。
掲載号をパラパラ捲っていると、『ヤンマガパロディシリーズ』の第1回として、赤塚がビニ本のカメラマンに扮したカラーグラビアを発見した。相手役は1980年~1982年に日活ロマンポルノで活躍した岸田真理。SKD(松竹歌劇団)の出身者で、“ポルノ界の白雪姫”との異名を持っていたようだ。
1987年より、(「ヤングマガジン」の版元でもある)講談社を中心とした赤塚リバイバル企画が始動することは既知の事実だろう。この辺りを起点として、赤塚の仕事は本作同様の大御所ゲスト、ヒット作リバイバル、後日談、また版権イラストが激増する。ピークを過ぎた漫画家のワークだと突き放せばそれまでだが、長きにわたってそれらを着々とこなしてみせたからこそ、現在まで赤塚不二夫が高い知名度を誇る事実に繋がってくるのだろう。
・単行本
①小学館・オンデマンド版赤塚不二夫漫画大全集・『1980年代』・2005年9月30日発行
②INFASパブリケーションズ・スタジオボイスコミックス『赤塚不二夫裏1000ページ』上巻・2008年12月19日発行
③宝島社・別冊宝島1769号・『赤塚不二夫マンガ大全 「ぜんぶ伝説のマンガなのだ」』・2011年6月14日発行
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