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赤塚不二夫保存会/フジオNo.1

『ニャロメ紳士録』

『ニャロメ紳士録』
「カスタムコミック」1980年12月号~1982年4月号

1/1980年12月号/≪ギョーザ・パーティ≫の巻ニャのだ‼/なし
2/1981年1月号/≪山本晋也≫の巻ニャのだ‼/なし
3/2月号/≪ボブ・クラーク≫の巻ニャのだ‼/なし
4/3月号/≪所ジョージ≫の巻ニャのだ‼/なし
5/4月号/≪たこ八郎≫の巻ニャのだ‼/なし
6/5月号/≪篠原有司男≫の巻ニャのだ‼/なし
7/6月号/≪赤瀬川原平≫の巻ニャのだ‼/なし
8/7月号/≪奥成達≫の巻ニャのだ‼/なし
9/8月号/≪栗原満≫の巻ニャのだ‼/なし 
10/9月号/≪豊岡征則≫の巻ニャのだ‼/なし
11/10月号≪橋本保雄≫の巻ニャのだ‼/なし
12/11月号/≪九十九一≫の巻ニャのだ‼/なし
13/12月号/≪高平哲郎≫の巻ニャのだ‼/なし
14/1982年1月号/≪ちばてつや≫の巻ニャのだ‼/なし
15/2月号/≪荒木経惟≫の巻ニャのだ‼/なし
16/3月号/≪篠原勝之ことクマさん≫の巻ニャのだ‼/なし
17/4月号/≪坂田明≫の巻ニャのだ‼/なし

・解説
今回取り上げる『ニャロメ紳士録』は、赤塚不二夫の交友関係をテーマとした作品の中でも“写真を多用したエッセイ漫画”という形式の珍しい作品だ。同様の先行作品に藤子不二雄Ⓐの『パーマンの日々』(「ビッグコミック」1978年~1980年)があるが、赤塚はニャロメを進行役兼自身の分身として登場させ、現実を赤塚ギャグの世界に引き込んで描いていく。初回は新宿のスナック“アイララ”に集うタモリらが登場したが、以降は毎回ひとりの紳士(女性は残念ながら不在)にフォーカスを当て、その人となりを掘り下げていく構成となった。

連載は日本文芸社の「カスタムコミック」。創刊当初は辰巳ヨシヒロや松本零士を擁し、他ジャンルで活躍する漫画家にギャグ漫画を描かせる「カスタムギャグ」のページで読者を硬派に惹きつけた。1979年5月創刊号は隔月刊・平綴じだったが、1980年12月号より月刊・中綴じ化。連載漫画も軟派な劇画誌寄りとなった。この誌面リニューアルと共に本作の連載も開始されている。同時期連載に『俺は空輸屋』(さいとう・たかを)、『十八文』(石ノ森章太郎)、『ヨッ!兄弟』(ありま猛)など。1982年10月号で早くも廃刊、短命に終わってしまう。

登場する赤塚の友人たちの中には、既に現役を退いて久しく、解説が必要な者もいるはずだ。
篠原有司男は「ギューちゃん」の愛称で親しまれる現代芸術家。風刺漫画誌「MAD」の漫画家ボブ・クラークと同じく、1971年のアメリカ遊学の際に親交を深めた。
栗原満は大相撲力士“玄武満”の本名。赤塚から贈られたバカボンのパパの絵を用いた化粧廻しを着用して話題を呼んだ。引退後は故郷の北海道でちゃんこ店を経営。
豊岡征則ことアト゚イはアイヌ文化を広めるアーティスト。赤塚は彼の率いる「アイヌ詞曲舞踊団モシリ」のパフォーマンスに惚れ込んだ。
橋本保雄はホテルオークラの副社長・顧問を務めた重鎮ホテルマン。赤塚は橋本の著書『ホテルオークラ橋本流接客術』(1999年)に帯文と似顔絵を提供している。

本作は全話が一度も単行本化されていないが、80年代前半における赤塚コミュニティの実像が刻まれている点において、見逃せない資料的価値を有している。赤塚ファンのみならず、友人たちのファンにも存在を知らしめたい作品だ。

・単行本
未収録

・関連ページ
伝説のバー〝ホワイト〟での交友録をコミカライズした 『四谷「H」』(名和広さんによる『ニャロメ紳士録』評)
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