赤塚不二夫保存会/フジオNo.1

『もーれつア太郎』に対する批判と、その50年

2016年5月、ウェブサイト「アトラス」に、とある記事が掲載された。
→http://mnsatlas.com/?p=4239
赤塚不二夫の漫画『もーれつア太郎』を取り上げたもので、読むと一目瞭然だが、記事執筆者の理解不足が甚だしいもの。

内容は今では不謹慎、不適当と叫ばれかねない部分や、後に問題を起こしたアニメ主題歌歌手の島田紳助を中心にフューチャーしたもので、そこを記事にして公にさらす意地汚さはうわべの作品イメージを下げるのみで、子供じみたことだ。
今回のブログでは作品を解説していくかたちで「アトラス」の記事による誤解を訂正していきたい。



実に今から49年前、「週刊少年サンデー」1967年48号の誌上に産声を上げた『もーれつア太郎』。まず、当時の赤塚の状況を整理してみよう。

「週刊少年マガジン」で1967年15号からスタートした『天才バカボン』は、すぐさま人気作品となり、同時に部数を上げていく要因となる。そこで「週刊少年サンデー」は1962年12号からのロングランだった『おそ松くん』の週刊連載を終了させ、1967年33号から月に一度の長編連載へチェンジ。赤塚に新連載を依頼する。「サンデー」の行動から見て取れるように『おそ松くん』のヒットにより赤塚への期待度は高く、タイトルすらも決まっていない時点で東映動画(現・東映アニメーション)がアニメ化を打診してきたというのだから驚きだ。

『おそ松』とも『バカボン』とも違い、更にアニメにしやすいもの…という中で考え出されたのが江戸っ子達が活躍する浪花節・下町人情モノ『もーれつア太郎』だ。タイトルは“猛烈に当たろう”をもじったものであり、丸善石油のCMで小川ローザの発する「oh!モーレツ」は『ア太郎』連載中に話題となっていることを付け足しておきたい。

妻に先立たれた“×五郎”は、生業である八百屋の八百×をほったらかしにして占いに夢中。そんな中、一人息子の“ア太郎”は持ち前の明るさと器量の良さで八百×を切り盛りする中、×五郎は木にひっかかった風船を取ろうとして落下、急死してしまう。

ア太郎「とうちゃん おれ いつまでも めそめそ しないよ」「おれ ひとり でも がんばるから とうちゃん 天国で みてなよ!!」-「父ちゃん天国よりかえる」より(竹書房文庫『もーれつア太郎』1巻)

ところがドッコイ、そこで終わらないのが赤塚漫画。天国の帳簿には×五郎の名前はなく、急きょ地上へ舞い戻ることになるが、体はもう焼いてしまいお骨になっており戻る体がない。そんなところでフワフワと浮いた幽霊の×五郎が登場した。このアイディアは同時期にヒットしたザ・フォーク・クルセダースの『帰ってきたヨッパライ』を彷彿とさせるが、赤塚は1942年に公開された映画『天国の階段』で描かれる臨死体験をヒントにしている。

幽霊となって復活した×五郎を皮切りに、ア太郎一座に個性豊かなメンバーが続々加わる。江戸っ子気質溢れる硬いおデコの“デコッ八”はア太郎を惚れ込み弟子入りすることとなる。そのデコッ八に惚れこんだのが浴衣に身を包み、ブタを子分として従える昔気質のヤクザ“ブタ松”。更にそのブタ松を憎むのは元貴族でスーツ姿のギャング“ココロのボス”だ。二人の子分を従えるも身なりは狸と人間のあいの子の様。片言の日本語に語尾にはいつも「~ココロ」と付けるのは、赤塚が飲み屋で出会った中国人がモデルだという。

ブタ松「かわいい 子分を だれが うるもんか!!」―「ブタ松親分なぐりこみ」より(竹書房文庫『もーれつア太郎』3巻)

ボス「そんな ピドイ やつは」「ユールセナイ! ! ユールセナイ! !」―「ニャンゲン=うらぎり」より(竹書房文庫『もーれつア太郎』6巻)



“ブタ松”と“ココロのボス”…この二人の登場が「アトラス」の記事で指摘された、「今では不謹慎、不適当と叫ばれかねない部分」である。ア太郎とデコッ八の親分子分関係、「おいデコッ八!」「へい親分!」なんてのもヤクザ特有の親分・子分の関係性を真似たものだし、デコッ八は清水次郎長に心酔している。

1967年~1970年の連載当時、ヤクザは今よりも身近な存在だった。特にヤクザ映画の影響は大きく、今なお人気の高い『網走番外地』は1965年、『緋牡丹博徒』の第1作は1968年に公開されている。アウトローとして登場するヤクザは、切った張ったの過激なシーンと共に、義理と人情、繋がりを重んじて勧善懲悪をするスーパーマン的崇拝を受けてもいたようだ。赤塚はこれらのキャラクターの登場について、インタビューに答えている。

―デコッ八がでてきたんで、任侠路線と言いますかねぇ、対抗役としてブタ松が出てきた。ブタ松の対抗役としてココロのボスが出てくる。これはヤクザ映画の古いヤクザと新興ヤクザのパターンみたいな気もするけど。
「デコッ八がからんでくるから、今の東映ヤクザじゃなくて、次郎長とか森の石松みたいなものになっちゃうね。ぼくはヤクザ映画は嫌いだから見ないし、今のヤクザ映画は残忍でユーモアに繋がらない。ぼくが好きなのはどこかぬけたヤクザでね、今の時代に三度笠かぶって道中ガッパ着て歩くような。」―『赤塚不二夫自作を語る』より(話の特集社『赤塚不二夫1000ページ』)

ブタ松もデコッ八も、ある時はゆかいなオヤジとして、ある時はアドバイスをくれる年長者として登場するキャラクターだ。何にせよ、同調圧力による、アウトローと呼ばれる者への嫌悪はどんどん大きくなるばかりだ。当時と今を、同じ定規で測ることが間違いなのではないか。赤塚はヤクザ映画による表現を好ましく思っていなかったと答えている。この二人はヤクザの風刺、つまりカリカチュアに過ぎない。

赤塚不二夫は時代とがっぷり四つで取っ組み、見事作品に落とし込む漫画家である。『鉄腕アトム』、『ブラック・ジャック』でお馴染みの漫画の神様・手塚治虫は、巖谷國士との対談で赤塚を「風刺精神の鬼」(『二十世紀の印象』より『手塚治虫全集別巻 手塚治虫対談集』4巻)と評している。その精神は『ギャグゲリラ』や『今週のダメな人』等の時事漫画を見てもらうとわかりやすい。漫画のアイディアだってそうだ。数人のブレーンのアイディアを一つのストーリーにまとめていたのはいつも赤塚不二夫その人だったのである。

言葉に惑わされてはいけない。イメージに惑わされてはいけない。バカが真実を語るのが『天才バカボン』なら、『ア太郎』が語るのはヤクザなんてものではなく、一人ひとりの心の中にある任侠であり、侠気である。弱い者を助け、強い者をくじく。今でも通用する様に言い換えるならば男気と言えばぴったりだろうか。



その後、遂に三島由紀夫も「ファンである」と称賛した(「サンデー毎日」1970年2月1日号掲載)不滅のキャラクター“ニャロメ”“ケムンパス”“べし”が登場する。

赤塚漫画ではよく、時間経過・場面転換などのシーンで、また「めくり」の構成のページ合わせとして、ストーリーとは関係の無い1コマが突如挿入されること、またコマの隅に名前の無い妙なキャラクターが描かれることが多い。『天才バカボン』の“夜の犬”や『おそ松くん』の“こちらを向いて「ギャハハ」と笑うおじさん”などがそれだ。赤塚は『ア太郎』にも同様のキャラクターを登場させる。ネコを描き、タイガー立石の漫画『コンニャロ商会』(毎日中学生新聞・1967~1968年)で印象的だった「この野郎め」や「畜生め」を擬音化した、ニャロニャロ、コンニャロメ、ニャロメというセリフを付けたのだ。熱心な読者がまず食いついた。ファンレターで「このキャラクターは何ですか?」と尋ねたのだ。赤塚は四足歩行のネコを立たせ、二足歩行へ。更に言葉を与えたのだ。

「ニャロメー!! クソッタレメ!! ギャードマンが それで いいん ニャロかっ」―『花のデコッ八』「花のガードマン」より(竹書房文庫『もーれつア太郎』6巻)

それまで顔出し程度に登場していたものの、初めて二足歩行の姿で登場したのは増刊号の番外編『花のデコッ八』のゲストキャラクターとしてだった。その後、本家『もーれつア太郎』にも同様の姿で登場。間を置かずして同様に「~でやんす」の語尾を付ける毛虫のケムンパス、「~だべし」の語尾を付ける蛙のべしも登場。そこにアニメ第1期(1969年~1970年)もスタートし、熱心空前のニャロメブームへ。ネコなのに人間と同様の扱いを求める反体制派…という小さきニャロメの目線は、目ン玉つながりのおまわりさんとの対立エピソードも加味し、見事に学生運動家達の心を刺激。レコード『ニャロメの唄』や『ニャロメのマーチ』、ニャロメを案内役に据えた『ニャロメの万博びっくり案内』、ニャロメプラモにニャロメかるた、ニャロメバブルガムにニャロメミルクチョコ…といった商品化も盛んに行われ、時代を代表するキャラクターとなっていくのだった。

ブームの最中である1970年27号にて突然連載は終了。その理由はマーチャンダイジングにあると赤塚は回想(『赤塚不二夫自作を語る』より 話の特集社『赤塚不二夫1000ページ』)している。つまり、ニャロメに替わる新しい作品・キャラクターを求められたからなのだった。



1987年、テレビ東京での『天才バカボン』『元祖天才バカボン』再放送が時間帯ナンバーワンの高視聴率をマークしたことに目を付けた講談社が赤塚ブームを仕掛ける。翌1988年から『おそ松くん』(第2期)、『ひみつのアッコちゃん』(第2期)、『平成天才バカボン』が制作される流れで、1990年にアニメ『もーれつア太郎』(第2期)がスタートする。小学館の「少年サンデー」で誕生した『もーれつア太郎』は、ライバル会社講談社の児童向け誌「コミックボンボン」、「テレビマガジン」の誌面を飾ることになった。第2期では、『ア太郎一座が、男を咲かせます!』という予告編の決め台詞に絶妙なセンスを感じる。“一家”ではなく“一座”とすることで、ヤクザに対するマイナスイメージを避け、人生は喜劇か悲劇か、運命共同体の様な下町人情の中の侠気、『もーれつア太郎』の主題が浮かび上がってくる名文句である。

何も放送禁止だとか、封印だとかをすることはない。大部分を変えずとも、こうしたやり方で赤塚漫画の不変な芯は伝わるのである。どんな時代においてもだ。

『マルクス』、『毛沢東』などの著書のあるメキシコの風刺漫画家・ルイスとの対談にて、赤塚はこんな言葉を残している。

赤塚「僕の場合は(中略)なぜ描き続けているかといえば、ユーモア、ナンセンスを通じて読者に質のいいユーモア感覚を持ってもらいたいという、ただそれだけなんです。」―「芸術新潮」1982年1月号より

さて、「アトラス」の記事でも指摘されている通り、来年2017年は『もーれつア太郎』の連載開始50周年の記念すべき年となる。

現在、漫画は竹書房文庫から全9巻の文庫本、EBOOKJAPANから全12巻の電子書籍が出ており、アニメはギャオ等の配信サービスで1期、2期共に全話有料配信されている。気軽に触れられる環境にあることを確認してもらいたい。

ア太郎達は確かに、今も僕らのそばで新しいファンとの出会いを今か今かと待ちわびていることだろう。連載開始50周年となる来年、『もーれつア太郎』にどういったアプローチがなされるのか、期待する。
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