「確かに彼らのやってることは許せないけど、アイデアの発想はすごいと思う。」
―FRIDAY 1997年7月11日号 より
サザエボン人形から始まる著作権騒動は今でも時折語り継がれているが、その後、それを面白がった赤塚不二夫が自身のキャラクターを合体させ、グッズを販売していたことはあまり知られていない。
それを報じた1997年7月11日号の「FRIDAY」を引っ張り出してみよう。『“サザエボン商法”に大激怒! 赤塚不二夫が「バカボンパパを守れ」と立ち上がった』という2ページの記事がそれだ。
まず、サザエボン騒動をおさらいしておくと、発端はダウンタウンの松本人志にある。大阪・毎日放送で1987年から1989年まで放送された『4時ですよ〜だ』の書道コーナー「笑道しませう」で、松本は人気キャラクターをかけ合わせたイラストを披露していた。そのうちの一つがサザエボンだったのだ。
大阪・十三駅近辺で露天商をしていたTOY魔人なる人物の娘がこれをスケッチ。サザエさんとバカボンのパパの人形を切り離しくっつけてサザエボンを作り売っていたというが、1995年になり静かな人気を嗅ぎつけた福岡のメーカー・タイセイが大量生産・全国販売。中国や韓国で生産されたコピー品も出回る程の大ブームとなったのだ。
あわせて、「週刊少年ジャンプ」の投稿ページ『ジャンプ放送局』や、横浜の山下公園の門に書かれた落書きが発端とする説もある。赤塚不二夫に詳しい著述家の名和広氏は、高校時代にこの落書きを発見、大きな衝撃を受けたというエピソードを聞かせてくれた。
この頃になるとドラえもん+バカボン=ドラボン、ミッキーマウス+バカボン=マウスボン、鉄腕アトム+磯野波平=鉄腕波平などのバリエーションもあったという。また、TOY魔人のいた十三駅の駅前西商店街には鉄わん波平を模した街灯をシンボルとした「波平(なみひら)通り」が誕生する。
人気は著名人にも広がっていく。当時巨人の長嶋茂雄は、サザエボンのキーホルダーを身に付けお守りがわりにしていた。また、当時オリックスのイチローこと鈴木一郎は、サザエボンのTシャツを着用していた。このTシャツはロックバンド「サイバーニュウニュウ」がノベルティとして制作したものだ。
サザエボンの起こりが何だったにせよ、このパロディはかつてない注目を集めた。数多くの者が商品化し、さらに数多くの者がグッズを買い求めた。言わずもがなだが、どれも『サザエさん』と『天才バカボン』の著作権者には無許可だった。
1997年になり、これは問題だと赤塚不二夫、長谷川町子、そして手塚治虫のプロダクションが裁判を起こすのだが、この時相手取ったのは「大量生産・全国販売」を行ったタイセイ。8月には販売を指し止める結果となり終息する。パロディへの意識を問う問題として、90年代後半の世間を賑わせたのだった。第2のヒットを生みだせなかったタイセイは2000年に倒産したが、TOY魔人はその後しばらく露天商を続けていたようだ。
騒動の顛末、サザエボンのバリエーションなどについては、二代目TOY魔人を名乗るTwitter、Instagramアカウントに詳しい。
赤塚が自身のキャラクターを合体させたグッズで対抗するのは、裁判真っただ中のこと。記事には赤塚が「天才ニャロボン」がプリントされたTシャツを着て寝転がる写真が掲載されている。周りには「天才レレレボン」、「天才ウナボン」、「天才ハジメボン」のTシャツもある。それぞれバカボンのパパとニャロメ・レレレのおじさん・ウナギイヌ・ハジメちゃんを合体させたキャラクター。これらを作り対抗したというわけだ。
赤塚はこうもコメントする。「元々ボクらが真似されて作られたわけだけど、今度はこっちが彼らの真似事をしてるみたくなっちゃう(苦笑)。確かに彼らのやってることは許せないけど、アイデアの発想はすごいと思う。組み合わせの面白さとかがウケてるわけだからねェ」
「話し合いで出た組み合わせ10体から、可愛いのと気持ち悪いのという両極端4体を選出、一番人気はウナボン」だったそうで、池田20世紀美術館にて開催された『まんがバカなのだ! 赤塚不二夫展』で発売されたそうだ。この本家本元の合体キャラクターグッズは、マスコットオーナメントやバッジもあった。
記事では「アイデアに自信のある赤塚は、「ニャロンパス」、「ニャロメアトム」を考えたが実現していない」と書かれているが、後者は長谷邦夫との合作『鉄腕アトムなのだ!!』(「話の特集」1972年3月号)という作品で実現している。赤塚キャラ総出演のこの漫画は、手塚漫画のコマを引用した上にバッテン印をつけたり、インチキ楽譜を挿入したり、コマを余らせたりと、憧れであった手塚治虫の漫画で大胆にも遊びつくしたエネルギッシュな作品だ。
また、2015年には“テヅカオサム”なるプロジェクトで手塚治虫と赤塚不二夫のキャラクターが両プロダクションの許諾を得て合体。アトムはバカボンと、ブラックジャックはイヤミと、レオはニャロメと合体させたイラストが制作され、様々なグッズが販売された。この際、バカボンのパパは白衣と白髪の姿でお茶の水博士と合体している。
赤塚はパロディを得意としていたし、サザエボンを一目して笑ったに違いない。確かにアイディアは認めているようだし、その中で赤塚はこういった対抗をした。それはかつてギャグメーカーのトップランナーであった赤塚が放った「パロディの、さらにパロディ」であった。過多気味のサービス精神に脱帽してしまう。
Tシャツの隅には「バカボンパパを守る会」の文字もある。この問題が語られる際、「長谷川町子側が大激怒、一方赤塚は面白がっていた」と言われるが、実は不安を募らせていたのかもしれない。
1997年の赤塚不二夫
・ニュース
満62歳
池田20世紀美術館にて『まんがバカなのだ! 赤塚不二夫展』開催
愛猫の菊千代が永眠
・作品
「ニャロメ」
『まんがバカなのだ! 赤塚不二夫展』図録ほか
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