
まずはこの画像から。これは、当ブログにご協力頂いている名和広さん(https://blog.goo.ne.jp/douteinawa)のご友人から提供していただいたもので、フジオ・プロが運営するファンクラブ“六つ子クラブ”の会員だった1960年代後半に『シェー!!の自叙伝』について問い合わせた際の返信をスキャンしたものだ。赤塚の字ではないものの、貴重な資料である。
今回の記事はこの『シェー!!の自叙伝』に関するあれこれを書いてみたい。
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『シェー!!の自叙伝』は、1966年に華書房の“ハナブックス”レーベルより刊行されている。当時は『おそ松くん』と「シェー!!」ブームの真っただ中、週刊誌などでは赤塚がタレント顔負けの注目の的となっていた頃だ。ブームの波に乗ろうという意志は旧カバー(詳細は後述)の副題『ぼくとおそ松くん』や、表紙に記された“「おそ松くん」は現在テレビ放送中” との一文からも伝わる。赤塚不二夫初の活字本であり、このあと各社から刊行されるエッセイ本のはしりでもある。確認出来ただけでもコンスタントに5刷まで重版されており、なかなかの売れ行きを見せていたようだ。
聞き書き本『ラディカル・ギャグ・セッション』(1988年、河出書房新社)と、これを増補し文庫化した『ギャグ・マンガのヒミツなのだ!』(2018年、河出書房新社)では、赤塚がこの本を刊行したエピソードを語っている。以下に抜粋する。
活字の本をはじめて書かされたのもこの年だ。『シェー!!の自叙伝』(華書房)という新書版ね。
これは、文字原稿が九十枚ぐらいしか入っていないで、あとはマンガで穴うめしたという、かなり荒っぽい本だ。
ゴーストライターが長谷邦夫だった。(略)
こうして、仕事の守備範囲がどんどん広がっていき、それと同時にスタッフも増員されていった。
-『ギャグ・マンガのヒミツなのだ!』P84
赤塚が言うように、誕生から引き揚げ、漫画家修行に『おそ松くん』うちあけ話といった自叙伝パートの他に『おそ松くん』4話分、『メチャクチャ№1』、『ジャジャ子ちゃん』、『おた助くん』、『カン太郎』、『いじわる教授』、『まかせて長太』を各1話収録しているのがこの本の特徴である。新書版の漫画単行本が普及する前の刊行であった為、書き文字タイトルやコマノンブル、それに増刊号再録時のミニコーナーが残ったままの原稿を使用しており、初出に近い形で作品を楽しめるのは特筆に値するだろう。
カバーは2種類あり、黄色の旧カバーは表に六つ子・チビ太・イヤミと“「おそ松くん」は現在テレビ放送中”との一文、裏にトトコ・デカパン、それに赤塚のポートレートと宣伝文句が配されている。緑色の新カバーは表にカラーで描かれた赤塚と黒単色で描かれた六つ子より3名・チビ太・ハタ坊・トトコ、裏にカラーで描かれたイヤミと黒単色で描かれた六つ子より残りの3名・デカパン・ダヨーンが描かれている。
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『シェー!!の自叙伝』について書くとなると、どうしても華書房と女性社長の末広千幸に触れざるを得ないだろう。まず、華書房から『あなたのためのユーモア製造法 まんが入門』を出版した『アンパンマン』のやなせたかしが華書房と末広について語っている部分をネット記事より引用する。
ベストセラーを出していた会社にいた女の人が
独立して、華書房っていうのを作ったんですよ。
そうして、『まんが入門』という本を作りたいって
うちへ来たんですね。
私、まだ漫画を書き始めたばっかりでね、
ちょっと無理なんじゃないかなって言ったんだけど、
「いや、ぜひ描いてください」って言うんでね。
その編集者の女性も不思議な人でね、
占いをやるんですよ。
サンリオの本社にまで来てね、
私を副社長にしろって言うんです。
「運命がそうなってる!」って。
サンリオの辻さんは断ったんだけれども、
ひじょうに不思議な人でした。
その後どうなったか、ちょっとわかりませんけど。
-『ほぼ日刊イトイ新聞 『箱入りじいさん」の94年』(https://www.1101.com/yanase_takashi/2013-08-07.html)
文中の“ベストセラーを出していた会社にいた女の人”こそが 末広千幸である。したたかではた迷惑な人物像が浮かび上がってくるが、彼女の占い趣味はこの後、霊感・オカルトの方面へ傾向し、パラグアイにユートピアを作るという入植詐欺で世を騒がせることとなる。
また、藤子・F・不二雄の漫画『エスパー魔美』に登場するインチキ預言者“銀河王”は、彼女がモデルだと言われている。
前述した『まんが入門』は1965年、『シェー!!の自叙伝』は翌1966年刊であるが、刊行時のやなせはNHKの番組にレギュラー出演、赤塚は『おそ松くん』の大ブームと、双方のタレント的人気に当て込んで企画されたものであるとみて間違いないだろう。赤塚と末広は同郷(満州)であることも見逃せず、「来る者拒まず」な赤塚と意気投合したのではないだろうか。
したたかな女社長の振る舞いもむなしく、華書房は1967年に倒産する。短命な出版社だった。
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出版元の倒産に際して、フジオ・プロは『シェー!!の自叙伝』の在庫を買い取り、ファンへの通販という形で捌いた。1965年~1968年にかけてフジオ・プロが運営していた“六つ子クラブ”の会報誌を見てみると、1966年5月刊の『おそ松くんブック』創刊号では広告が掲載されるも、1967年12月刊の4号、1968年2月刊の6号には「(定価と同じ)切手260円分を送付」という形で通販が告知されている。「書店では売っていない」とあるが、これは暗に華書房が倒産したことを言っているのだろう。スキャン画像の返信もこの時期に書かれたはずだ。少し経った1970年の正月にファンレターの返信としてファンに送付された小冊子『新年おめでとう』でも通販されているが、ここには「切手230円分を送付」とある。差額の30円は単に誤植かもしれないが、セール価格とも取れる。
この『新年おめでとう』の通販広告にはもう1つ注目すべき点がある。それは「発売 フジオ・プロ」とある点だ。緑色の新カバーには出版社名や価格などが消去され、裏表紙にフジオ・プロのロゴが配されていた。これはつまり「発売 フジオ・プロ」を表すのではないだろうか。こうすることで“ゾッキ本”として、値下げ販売も可能になるというわけだ。
新カバーの袖には曙出版刊の赤塚の単行本の広告が記載されていることも見逃せない。おそらく、広告を出す代わりに新カバーの印刷を請け負ってもらったのだろう。この広告の内容は『おそ松くん全集』(第20巻まで)、『赤塚不二夫全集』(第10巻まで)、『しびれのスカタン』全3巻で、最新刊は『おそ松くん全集』第20巻(1969年8月25日刊)である。よって、カバーの掛け替えは1969年夏以降に行われたことになる。
オークション目録『まんだらけZENBU30』(2006年刊、まんだらけ出版部)によれば、初版は1966年3月1日刊、3刷が1966年3月20日刊、4刷から新カバーとなり1966年3月23日刊とある。不審なまでのスピードで重版されていることも疑問だが、上述のとおり“4刷から新カバー”というのは間違いである。
ネット古書店に旧カバーの5刷(https://www.kosho.or.jp/products/detail.pproduct_id=227587214&gclid=EAIaIQobChMIsLahnYDZ6wIVxVBgCh1SWg5xEAMYASAAEgI8BfD_BwE)の存在が記録されている。目録に新カバーの4刷が掲載、ネット古書店に旧カバーの5刷が出品、私の手元に新カバーの5刷(1966年3月25日刊)が存在するという矛盾も、フジオ・プロが新カバーを制作したことの裏付けになるだろう。
補足・1995年の池田20世紀美術館での開催を皮切りに全国を巡廻した『まんがバカなのだ 赤塚不二夫展』(地方巡廻展では『これでいいのだ! 赤塚不二夫展』とタイトルを変更)では、新カバーの原画が展示されていた。フジオ・プロ発行の図録には「初版は、昭和41年に華書房から刊行されているが、これは曙出版版のもの。製版の手間を省くため原寸大で描かれている」と解説されているが、既に述べた通り、曙出版は新カバーを印刷したのみであろうと考えられる。
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コロナ禍でメンタルが安定せず、また図書館での調査もままならない為に数か月ぶりの更新となりました。その間も作品リストは更新しており、是非とも赤塚に関する調べものなどに活用して欲しいと思います。