添えられた写真をよく見てみると、小児科の壁面は『アンパンマン』のキャラクターでデコレーションされており、その中にポツリと額装された赤塚の原稿があるようだ。
その病院は、赤塚不二夫が長期に渡って入院し、最後を過ごした東京都文京区の某病院。お世話になった病院に原稿をプレゼントするとは、なんと赤塚らしい配慮だろう。
以下に、展示の原稿(7枚)を初出と共にリストアップする。なお、複製の可能性も否めないだろう。
『おそ松くん』
・『デカパン博士の空とぶキカイ』扉絵(「週刊少年サンデー」1966年17号)
・『古道具屋でボロもうけざんす』扉絵(「週刊少年サンデー」1966年24号)
『ひみつのアッコちゃん』
・『カバーイラスト』(曙出版 第6巻)
『もーれつア太郎』
・『表紙イラスト』(「週刊少年サンデー」1968年28号)
・『扉絵』(「小学二年生」1969年7月号)
『天才バカボン』
・『表紙イラスト』(曙出版『天才バカボン』第18巻重版カバー)
・『不明』(夕やけこやけでカラスをつるのだ!と文字が添えられているもの、横山孝雄による代筆。)
★
この小児科に展示されている原稿のひとつに、曙出版より発行された『天才バカボン』第18巻の重版カバー用イラストがある。
第18巻にはカバー表面のイラストが2種類あるのだが、どちらも「パパ、バカボン、ハジメ、レレレの四名を、股間を薔薇で隠し、ピストルをぶっ放す全裸の本官さんが追う」という構図である。当初のカバーは横山孝雄による代筆だったが、重版の過程で赤塚不二夫が描いたものに変更されたのだ。
初版カバーの元絵となったのは、人気作品の総集編を掲載した「週刊少年マガジン増刊」の口絵用に描かれたもの。これをリライトして講談社版『天才バカボン』第11巻(1972年12月10日発行)の総扉が描かれ、それを更にリライトしたのが曙出版版『天才バカボン』第18巻(1974年2月8日発行)のカバーだ。
ここまでの3つはアシスタント(横山)による代筆だったが、カバーの改訂にあたったのは赤塚だ。この構図はアシスタントによるものと思われるが、それを赤塚がリライトすると、ここまで躍動するとは!赤塚の描いた絵をアシスタントがリライトしたことは数あれど、珍しい逆転現象が起きたとも言えるだろう。
第何刷でカバー絵が赤塚筆のものに変わったかを調査してみると、1975年2月2日発行の3刷は旧カバー、1976年3月31日発行の5刷は新カバーだった。よって、赤塚による重版カバーは1975年から1976年の間に描かれ、4刷もしくは5刷でカバーの改訂が行われているようである。
ちなみに、1994年刊行の竹書房文庫『天才バカボン』第4巻と第6巻のカバーイラストは、重版カバーのレレレと本官さんが元になっている。
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