赤塚不二夫保存会/フジオNo.1

病院への寄贈原稿と、カバー違いの曙出版『天才バカボン』第18巻

とあるブログにこんな記事を発見した。子供を病院に連れて行ったところ、小児科の待合スペースに赤塚不二夫の原稿が飾られていたというのだ。ブログ筆者は「(バカボンやおそ松くんは)子供より大人が喜ぶんじゃ…?」と綴っている。

添えられた写真をよく見てみると、小児科の壁面は『アンパンマン』のキャラクターでデコレーションされており、その中にポツリと額装された赤塚の原稿があるようだ。

その病院は、赤塚不二夫が長期に渡って入院し、最後を過ごした東京都文京区の某病院。お世話になった病院に原稿をプレゼントするとは、なんと赤塚らしい配慮だろう。

以下に、展示の原稿(7枚)を初出と共にリストアップする。なお、複製の可能性も否めないだろう。

『おそ松くん』
・『デカパン博士の空とぶキカイ』扉絵(「週刊少年サンデー」1966年17号)
・『古道具屋でボロもうけざんす』扉絵(「週刊少年サンデー」1966年24号)

『ひみつのアッコちゃん』
・『カバーイラスト』(曙出版 第6巻)

『もーれつア太郎』
・『表紙イラスト』(「週刊少年サンデー」1968年28号)
・『扉絵』(「小学二年生」1969年7月号)

『天才バカボン』
・『表紙イラスト』(曙出版『天才バカボン』第18巻重版カバー)
・『不明』(夕やけこやけでカラスをつるのだ!と文字が添えられているもの、横山孝雄による代筆。)





この小児科に展示されている原稿のひとつに、曙出版より発行された『天才バカボン』第18巻の重版カバー用イラストがある。

第18巻にはカバー表面のイラストが2種類あるのだが、どちらも「パパ、バカボン、ハジメ、レレレの四名を、股間を薔薇で隠し、ピストルをぶっ放す全裸の本官さんが追う」という構図である。当初のカバーは横山孝雄による代筆だったが、重版の過程で赤塚不二夫が描いたものに変更されたのだ。

初版カバーの元絵となったのは、人気作品の総集編を掲載した「週刊少年マガジン増刊」の口絵用に描かれたもの。これをリライトして講談社版『天才バカボン』第11巻(1972年12月10日発行)の総扉が描かれ、それを更にリライトしたのが曙出版版『天才バカボン』第18巻(1974年2月8日発行)のカバーだ。

ここまでの3つはアシスタント(横山)による代筆だったが、カバーの改訂にあたったのは赤塚だ。この構図はアシスタントによるものと思われるが、それを赤塚がリライトすると、ここまで躍動するとは!赤塚の描いた絵をアシスタントがリライトしたことは数あれど、珍しい逆転現象が起きたとも言えるだろう。

第何刷でカバー絵が赤塚筆のものに変わったかを調査してみると、1975年2月2日発行の3刷は旧カバー、1976年3月31日発行の5刷は新カバーだった。よって、赤塚による重版カバーは1975年から1976年の間に描かれ、4刷もしくは5刷でカバーの改訂が行われているようである。


ちなみに、1994年刊行の竹書房文庫『天才バカボン』第4巻と第6巻のカバーイラストは、重版カバーのレレレと本官さんが元になっている。

コメント一覧

220-number1
https://yaplog.jp/220-number1/
もらいもんさん

『まんだらけZENBU』第63号(2014年刊)のによれば、曙版『天才バカボン』第1期刊行分の初版は以下のとおりだということです。

第10巻 1971年2月25日刊
第11巻 4月30日刊
第1巻 3月31日刊
第2巻 5月29日刊
第12巻 6月29日刊
第3巻 7月30日刊
第4巻 8月30日刊
第5巻 8月31日刊
第6巻 9月16日刊
第7巻 9月25日刊
第8巻 9月30日刊
第9巻 10月9日刊

この『まんだらけZENBU』に従い、記事を改稿しました。ご指摘ありがとうございます。
もらいもん
http://moraimon.web.fc2.com
曙版「天才バカボン」の刊行順について。

8巻初版のP161に「9巻9月中全完結。」とあり、
12巻は「好評発売中!!」となっているので、
9巻が最終第12回配本になると思います。
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