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如月十七夜の道草日記

近道、寄り道、回り道、人生は本筋よりも道草が面白い。出会ったモノコトヒトを自分なりに書き連ねる、超個人的ブログ。

グランド・マザー・カレー、2辛、大盛り、ロースカツのせ!

2015年01月24日 | 如月十七夜の道草日記
インフルエンザが猛威を振るっている。
私の回りも蔓延している。
ということで、体力つけるために、今からガツンと食べます(*^^*)
なっとしてもかかってはならんのです。
仕事が大変なのはもちろんですが、なにせワクチン打ってるから。
巷では、効き目なし!ともっぱらなので、なおさらです。
がんばるぞー♪


スモーキーフレーバーじゃけん!

2015年01月17日 | 如月十七夜の道草日記
最近、嫁様がマッサンのファンのようで、スコッチウイスキーに興味津々。

晩酌用に一本買いたかったそうだが、よくわからずに選ぶのもなんなので、また今度にしたとのこと。

それならば、とドラえもんのポケットよろしく、ゴソゴソと階段下の蔵から「余市」を差し出す。

お酒にせよ何にせよ、歴史や物語があるモノはとりあえず押さえておかないと気が済まない如月は、一時期ウイスキーにハマったことがあり、その時買って、お蔵入りしていたことを思い出したのだ。

「ウチにもあるんやー」

めずらしく感心する嫁様、早速チェイサーを手元にストレートで一口。

「やっぱスモーキーフレーバーじゃけんのぉ( ̄^ ̄)」

これが言いたかった訳ですな^^;

ノンビンテージではありますが、とても味のあるウイスキーで、国産ではこれが一番お気に入りです。

しばらくは晩酌、これで行くことになりそうです。

【映画鑑賞】ゴーン・ガール(ネタバレなし)

2015年01月12日 | 如月十七夜の道草日記
未知との遭遇やスターウォーズをリアルタイムで見ている世代だったこともあり、30年以上、SF映画やアメージングな映画を見ることが生活の一部となっている。

映画は一時の夢であり、現実逃避であり、カタルシスであり、まぁ、とにかく快感に身をゆだねる至福の時間なのである。

好きな監督もたくさん居るのだが、監督名だけで見たい!と思うのが、デヴィット・フィンチャー監督。

ゴーン・ガールはすでに原作が大ヒットしていて、どんな内容か調べればわかるのだが、そこは監督買いで見るのだから、なるべく前知識なしで身をゆだねた。

結果は大正解で、最後までハラハラドキドキ、久しぶりに映画そのものが持つ、異次元への誘いに気持ちよくはまり込んだのでありました。

映画館で見てよかったー度★5つ、の大満足映画でございます(^^)/

>>ゴーン・ガールfbサイト

松阪の夜を美味しくいただく

2015年01月10日 | 如月十七夜の道草日記
今日は嫁様と新年会。

30年来通ってる九兵衛さんでまったりと。


やはりここは落ち着きます。

ほどよい喧騒さが心地よい。

〆は大仏さんで、オリーブをつまんでワインを少々。

いつもの定番コース、たまには嫁様にも味わってほしくて、はしご酒となりました。

決して罪滅ぼしとか、そんなんではございませんので誤解のないように(^^)

最後の最後はかねこやさんの豆腐サラダ。


松阪の夜、松阪肉ではなくても、美味しい店が多くて、なんとも幸せですわー



「かがり火」の菅原さんと念願のホルモン

2015年01月09日 | 如月十七夜の道草日記
私に地域づくりや人づくりの大切さを教えていただいた、
「かがり火」の編集長菅原さんと念願かなって松阪でホルモンを囲んで呑む。
憧れの人と呑める幸せ。
言葉にできない喜び、というのはめったにないことです。
今日はそんな日でした。
写真は撮らなかったけど、
心のまなこにそのお姿をしっかり焼き付けて。
今日はほんとに嬉しい日でした(^^)

>>かがり火

松阪木綿のマスコット

2015年01月08日 | 如月十七夜の道草日記
去年の暮れのはなし。

「松阪木綿をまとって、伊勢まで歩いて行けたなら、

とっても目立って松阪アピールできるかも。

でも、いきなりは大変なので、

まず今年は小さなアクセサリーから。

いずれは大勢で道中合羽や着物をまとって、

おかげ横丁の一角を席巻したいねー」

というお話しを年末にしたら、

「どなたかに差し上げて」

とこんなかわいいマスコットをいただきました。

どなたに差し上げようか、迷ったあげく、

ちゃかり私がリュックにつけて、

一緒に伊勢まで参りました。

くださった方、ありがとうございました。

今年は松阪木綿三昧の年になりそうな予感です(^^)

お伊勢参り

2015年01月06日 | 如月十七夜の道草日記
前から気になってた鎌田先生の御著書。

年の瀬に購入したものの、なんんだかんだでいまだ読めず積ん読の状態。

やっと落ち着いてきたので、さて、と思ったものの、あまりの眠気に今日は断念。

タイミング的にも読みたくてしかたないのだが。

たぶん読み出したら一気にいけそう。

明日を楽しみに今日はおやすみします(-_-)zzz







年の初めのお昼ご飯

2015年01月05日 | 如月十七夜の道草日記
贅沢にお寿司をいただきました。

ちなみにこちらは盛り合わせ1.5人前+「私のも食べてー」分が乗ったもの。

私のではありませんが迫力ある画なので一枚いただきました。

普通盛りでもネタが大きく、シャリの酢も良く効いてます♪

10年ぶりぐらいにいただきましたが、やはりここのお寿司が一番私好みです。

いつかはカウンターで食べたいものです。

>>江戸すし

明日から始まるのは

2015年01月04日 | 如月十七夜の道草日記
明日から仕事始め。

とともに始まる(であろう)筋肉痛。

すでに予兆が、じわーっときてます。

でも、なんだか体調はよろしい。

久々に体力を限界まで使い切った快感。

歯磨きチューブを最後の最後まで絞りきった感じ。

悪いものが全部出た感じ。

なんだか今日は穏やかな一日でした。

明日からまた仕事に精を出したいと思います。

決して白鷹に魅了された訳ではありません、、、少しはあるか

2015年01月03日 | 如月十七夜の道草日記
一昨年、歩いて伊勢まで年越し参りをしました。

その時は御杖村から伊勢本街道を70km歩いてくる猛者(!)2名を田丸で待ち受けて、内宮までの残り約12kmを4人で歩きました。

年越し参りなので当然夜道、それも12kmのアスファルト道。

今思えばかわいい距離ですが、なにせ歩いて伊勢参り初めてだったので達成感が大きく、さらにカウントダウンとともに呑む白鷹は格別でした。
>>その時の様子

で、毎年歩いてこれを呑みにこよう!という不謹慎な理由で、去年は伊勢本街道を大石から歩いたのです。

長距離なので、数人程度の予定でしたが、伊勢の力か白鷹の力か、去年は20名の方に賛同いただいて32kmを踏破。

やはり参加者の方の達成感は大きかったようで、その場で翌年のツアーも決定。

決して白鷹に魅了された訳ではありませんが、皆さんがそう言うならねぇ。。。

と、そんな訳で今年は伊勢街道を松坂城跡から歩いて伊勢まで初詣となった次第です。

回を重ねるごとに、大所帯となって、今年は50名近くの参加でした。

人数が多いので、とにもかくにも安全第一で、白鷹、もとい、お参りに間に合う時間を目指して、無事26kmを踏破したのでありました。

ご協力いただいた皆さん、どうもありがとうございました。

来年は飯南の粥見から和歌山別街道を、と思いましたが、ちょっとヤバイ距離なので、まだ思案中です。

ま、まだ一年ありますんでね、ゆっくり計画を練りたいと思ってます(^^)

初売りで鈴鹿に。

2015年01月02日 | 如月十七夜の道草日記
混んでいるとは知りながら、鈴鹿のベルシティへ出かける。


晩御飯は鎌倉パスタ、明日の伊勢歩きに備えて、今日はお酒抜き(-.-)
と言うか運転手なんで当然ではありますが。


ビザを頬張る娘らを横目に、明日の天気を気にしてる如月でございます。

なんとか晴れそーですが、寒いやろなー。
さー早く帰って寝よう。

2015新年に思う

2015年01月01日 | 如月十七夜の道草日記

ブログ開始して今年で10年。

あの頃目指してた自分にどれだけ近づけただろうか。

あの頃の想いと情熱は変わらず、ただ歳月は無常に流れていきます。

あの頃から今日まで、たくさんの人たちに支えられて今日があります。

「感謝無尽」

今年はオホーツクのあの方の座右の銘をしっかり胸に刻んで、

相変わらずの自分の道を歩いていきたいと思います。

まずは3日の「歩いて伊勢まで初詣!」をしっかりやり遂げたいと思います(^^)

2015.1.1

赤壁(せきへき)~三重県立松阪工業高校の旧製図室

2014年07月14日 | 如月十七夜の道草日記
 松阪市の旧同心町から松坂城跡へ向かうと、左手に朱塗りの木造建築物がみえてきます。
 こちらは通称「赤壁(せきへき)」とよばれる、三重県立松阪工業高校の旧製図室です。
 赤壁は県下初の製図室として明治41年(1908年)に建設されました。
 三重県下において、現存する明治期の学校施設としては数少ないものの一つとなっています。
 工業高校であるため、実験に用いる硫化水素による変色防止策として、朱色に塗装されていたとのことです。
 松阪の近代化を象徴する建物であり市指定文化財、経済産業省の近代化産業遺産としても認定されています。

原田二郎旧宅

2014年07月14日 | 如月十七夜の道草日記
 殿町同心町にはマキ垣が美しく並ぶ、かつての武家屋敷の通りの風情が残っています。
 その中のひとつに原田二郎旧宅があります。
 この建物は、明治から大正にかけての実業家であり、公益財団法人原田積善会を設立した原田二郎の生まれ育った家です。
 
 原田二郎は今から165年前の嘉永2年(1849年)、同心の長男として生れました。
 20代後半に大蔵省に勤め、30代で横浜の第74国立銀行(現在の横浜銀行の前身)の改革に手腕を発揮。
 その後病気療養生活に入るも、明治35年(1902年)54才の時、明治の元勲の一人である 井上 馨 の依頼を受け、大阪の鴻池家とその経営する鴻池銀行(後の三和銀行の前身)の整理、再建に当たりました。
 大正9年(1920年)に「天下の富は一家の私すべきものではない」との信念から全財産を拠出(現在の貨幣価値で約150億円)し、積年の計画であった社会公益事業に対する助成団体「原田積善会」を設立。
 昭和11年には警視庁消防部に米国製救急車6台を寄贈し、これを機に消防庁の救急業務が開始されるという、社会福祉に大きな功績のある団体を築き、現在も多方面に助成活動を行っています。
 
旧宅はもともとは八畳2間、六畳2間、式台、通り玄関、通り土間と、御城番屋敷と同じ造りでしたがが、二郎が松阪へ一時帰郷した明治15年(1882)庭側に現在の2階建てを増築し、その後も増改築が繰り返されたそうです。
 紀州藩の同心の居住した武家屋敷の典型的な構成をとどめていることと、松阪の旧武家層の中から新社会を担う人材が輩出したことの証左として、歴史的意義も深いことから平成22年に松阪市指定文化財となり、平成24年には松阪市による復原工事が完了し、一般公開が行われています。