「坂本龍一さんは弟のような存在…」激動の高校時代を共に過ごした塩崎元衆議院議員が語る“世界のサカモト”
塩ちゃんはアメリカに1年留学して
新宿高校で同級生になった
ブラスバンド部
坂本さんは体格よかったので弦楽器のベース
そのころから作曲をならっていた
芸大で油絵をやっていた女性と結婚
馬場さん(石川さゆり元夫)と塩ちゃんがToyo Aceを運転して家財道具を
奥さんの家から運んだ 大学3年のとき
すれ違いがあり馬場さんと塩ちゃんふたりは
坂本さんと疎遠になっていたが
アカデミー賞を機におめでとうをいいにいったところ
すぐに元にもどった 高校生のときの友達らしく
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好きな曲は「やっぱりラストエンペラーかな」
最後のCDはかなりぶっとんでいる。。宇宙みたいな
そういう心境になっていたのかな。
前衛的なことを作曲で試みてきた人だったが
今回はさらにぼーーんと先にいってい
やっぱり病気しながら深く考えたのかなと思いました。。
9.11にものすごくショックをうけた
直接本人にも聞いたしインタビューでもいっているけど。。
ともと考えていた反戦を明確に絶対的に大事だということになったと思う
もうひとつは3.11で原発の問題と..あれだけの2万人余りの人がなくなるという、その心の傷を俺は音楽を通じてどうやって癒すことができるのかなと考たんだろうと思う
だれよりも長い時間ずっと一緒にいた時期が坂本龍一という時期もあったので兄弟みたいな感じでいたなと思うし、自分が一年上ということもあり
サケの飲み方とか大学にはいてからスキーに一緒にいって教えてあげることもあったし、付き合い方、彼は純粋なので、わかんないところもあったりして、ものすごい天才だけど僕にとっては弟っぽいところもあって、最近はあってなかったけど、いつでも元にもどれると思いますよね。
反戦、脱原発はだれでも言えますが
なんだかんだいっても、あの音、あの音楽ですよね。
音楽はだれも引き継げない
その意味で失ったものは大きい。
ウクライナでもこんなことがおき
中国も、北朝鮮も、こういう何がおきるかわからないときに
彼がどういう音を作っていくかという、そいういうチャンスを逸したという
取り返しがつかないこと。。。
今まで出してくれた音、CDで残っているが
5年さき世界情勢がどうなっているかわからないときに
坂本がどいういう音をつくるか、、と
できない。。古典というものはそういうもので
万葉集とか。。。価値はあるけど
それが新しい時代をつくれるかというとそれはないんで。。。そいういうのを今つくれるわけはないのであった
名前のわからない曲でいい曲たくさんありますよね。
過去の曲としてかみしめる。。そういうことじゃないでしょうか。
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正確ではありませんが、上記、塩ちゃんインタビュー覚書です。