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日々探訪日記

昨日より今日、今日より明日、更にその先が好日であるために

荒子観音の円空仏

2008年12月22日 | 円空仏

今年も、わずかに残すのみの日々となってしまい、写真整理をしていたら↓の写真が出てきたので張っておく。

今年6月の第2土曜日午後の荒子観音(名古屋市中川区)です。円空仏の定例の公開日です。写真は仁王門正面で、左右それぞれに円空仏最大の二体の仁王像が安置されています。・・・この仁王像は大きさゆえに、円空一人では手に負えない仏像だったと思われます。

写真左の建物は多宝塔。ここから木っ端仏の円空仏が発見されたとか。この多宝塔の左側に庫裏があって、円空仏はこの庫裏の一角に安置されていて、拝観出来ます。以前は写真撮影が可能でしたが、この日にはしっかりと写真撮影禁止の表示がされていました。最近はこの「撮影禁止」が多いんですよね。 

この円空仏は「宗教か?」それとも「芸術か?」・・・・・

もう、芸術品としてしっかり展示した方が良いのではと思えるのだが。宗教とも言えず、じゃ芸術か?とも言えない、どこかそこらあたりが中途半端だと思われる展示の仕方だね。名古屋市内にある円空仏を一同にして、今みたいに「見せてやる~」の姿勢から脱却して、名古屋市美術館(OR博物館)で常設展示してくれないか、と思う。

 

 

 

↑荒子観音仁王門

 

 

 

 

 


中観音堂の円空仏ー2

2008年07月26日 | 円空仏

以下は「中観音堂の円空仏」(7月12日)の続きです。

下の阿弥陀座像は数多くの円空仏の中にあって一般的な仏像です。衣の着衣の仕方がちょいと複雑そうで、円空の他の仏像からも、この像からもどのようにして着衣しているのか創造し難い。

僧衣が肌に密着していて、その線を簡潔に表現しているところは円空仏と言えども伝統的な仏像表現なんだろう。と、思う。

背面を施していないのでこの仏像自体が薄いです。ですが、正面から観る限りその薄さを感じさせません。そんなところが円空仏らしいです。

↑ 阿弥陀座像(写真をクリックすると拡大写真となります)

 


中観音堂の円空仏

2008年07月12日 | 円空仏

7月4日、円空の誕生の地と言われている岐阜県羽島市にある中観音堂と隣接する円空資料館に立ち寄った。

過去に何回か来ているし、簡単にたどり着けるだろうと「・・・だろう運転」で来たら途中道に迷い以外にも到達までにかなりの時間がかかってしまった。

↓の写真は中観音堂の前の専用駐車場。誰も来訪者はいません。この駐車場の周囲に、円空仏を自分でも造ろうと円空さんに興味を抱く人達の作品が立ち並んでいました。円空仏としては大型ばかりで、結構、迫力あります。

この現代的な観音堂の2階に見応えのある円空仏が十七体程、安置されています。木曽三川の流れるかっては洪水地帯。ちゃんとその対応をしている観音堂です。村(町)の共同管理とか、かってはこういった無人の観音堂や薬師堂が各地にあったんだろう。

さて、本尊の十一面観音立像には花と線香と蝋燭があって、毎日地域の人達の供養がされているようです。ここの円空仏は写真撮影は「いいですよ」と言ってもらえますし、本当に近くから見れます。

この日は参拝者もなく、自分ベースで観賞できました。

十七体の円空仏は→  こちら

 

 

↑ 中観音堂と円空記念館 

 

↑ 円空仏の大黒天像 ↓ 

↑ 大黒天像(頭部拡大) 写真をクリックすると更に拡大写真がみれます。

 

この大黒天像、荒削りの中にも極めて丁寧に造られています。まず、髭。あごからお腹まで伸びていますが木であるにも係わらず、柔らかい。そして自然風。そう感じさせます。

顔の額にある皺。木の木目を利用しています。それと頬にある皺。細部においても巧みです。

「すごい」と感じた円空仏です。

 

 

 


「円空上人」の墓

2007年09月30日 | 円空仏

↑ 円空上人の墓石

 

長良川中流域の右岸にある弥勒寺(岐阜県関市)境内の林の中、木漏れ日に照らされて円空上人の墓はありました。今も墓前には花が手向けられ故人を偲んでいます。

墓石には↓のように

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   当寺中興

■円空上人■元禄八年・・七月十五日(没?)・・

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(■は梵字、全文字は読めない) 

と刻まれています。

数え64歳、十二万体の造仏悲願達成後の盂蘭盆会の日のこと、と伝えれれています。

今の季節はあぜ道に、土手に、野辺に、怪しくも美しく曼殊沙華が一面に咲いています。(下の写真はそれを写したものです)WEB上ではありますが、「仏」を賛嘆する花として、天上から降ってきたとされる、この曼殊沙華を即身仏に成られた「円空さん」に手向けます。

 

 

 

 赤・白色曼殊沙華

参考

現在の弥勒寺及び円空館:http://www.city.seki.gifu.jp/kankou/seki/enku.html

 


円空仏の特徴ー鉈削りno2

2007年08月14日 | 円空仏

金剛神像(飯山寺蔵)高山市郷土資料館

 

円空仏の特徴のひとつに、背面は素材のままで、ほとんど手を加えていません。これは、円空が「遊行僧」であるためでしょうが、ひとつの造仏に時間をかけていません。このことは、結果的に横から見ると良くわかりますがレリーフのように「薄い」です。(それが正面から見るとまったくそう感じさせませんが)

杉材の板目に沿って、鉈でかち割った木肌がそのままで、簡素で、スピード感が有って、素材の杉の特徴を良くつかんでいます。 

これは、素材の木材の有効利用を図っている木割りの方法にあるわけですが残材は円空仏全般に言えることですが「捨てずに使い切る」という強い意志が感じられます。

 

 

 

 

 

 


円空仏の特徴ー鉈削り

2007年06月26日 | 円空仏

飛騨高山に仕事に行った折に駅の電車待ちの時間を利用して、高山市郷土資料館にある円空仏展示コーナーを覗いた時のものです。そのままの状態であれこれ、2年近くが過ぎてしまっています。

専用展示室でもなくて、まあ言ってしまえば、ごった煮のような展示で、ガラス越に照明の蛍光灯が写つたりして見難いのですが、もう少しなんとかなりません?埃りっぽいし・・・^^;

ガラスに照明のライトが写り込むって、結構多いですネ。でも、ここは写真撮影OKで存分に一人だけで観賞する時間も持てました。

 

金剛神像(飯山寺蔵)

 

円空の大作です。高さ2メートル以上でしょうか?2体で一対の僧衣を着た金剛神像です。杉の丸太(素材)を鉈を使用して一気に木割りした、その真っ直ぐな木目を手を加えずに荒々しく生かして、跡は鑿で時間をかけず一気に、造仏したかのようです。

ガラス越しのケースの中に在るために側面や背面の様子はわかりませんが、円空の作風が良く出ていて良いですよ。

他にも高山市内のお寺を中心に、展示用にお借りしているのでしょう数点の円空仏が展示してありました。

 

 

 

 

 


円空仏の特徴ー素材を活かす

2007年06月15日 | 円空仏

↑音楽寺の境内の写真

(6月24日までアジサイ祭が行われていて、この間「円空仏」が拝観できますよ)

円空仏は荒削りで簡潔。素材を活かして手を加えるところを控えた上で最大限に活用している。

これは手早く作仏する習慣の中から、自ら造り出していったようですが、仏像師として学ばなかった故に、「技術の習得さ」を得られなかった代わりに「創作の自由さ」を手に入れたものだと思われます。そして「独創性」をも手に入れた。

江戸時代はいろんな分野で、様式化され、固定化された時代ですが、その中で、一際輝いています。 

十二神将(招杜羅大将):音楽寺蔵

「村国の郷」絵はがきより

大地にしっかりと足を踏ん張り、かがみ込んで、病魔に「一歩も近寄せないぞ」と、身構え阻止している。上の仏像も素材木のささくれ立っている木質部を逆立つ髪に見立てそれを、活かしきっている。

 

 


円空仏の特徴ー荒削り

2007年06月07日 | 円空仏

 

鑿の跡がくっきりと残っている荒削りな両面仏です。これって、円空仏の最大特徴だと思われますが、「こだわる」って心が薄いから、この荒削りのままで済ませることが出来るのだろうと思う。

それに、ひとつのものに時間をかけてはいられない。という遊行僧としての事情もあるのでしょう。

この像の裏面にも又仏像が彫ってあるわけだから、全体の形からも、前例に囚われることなく、自由自在に思考して、おられる様だ。

大きな鼻、小さな口元にわずかばかりな微笑がうかんでいるようです。薄く微かに見開いた左右大きさの違う目。・・・・全体の顔から感じられるのは「無心」な心。

上唇に引っ掛き傷が見受けられますが、円空ブームの中、見つけ出された円空仏を俄か磨き(水とタワシで)をして煤を落とした跡の傷ではなかろうか。そういう傷が円空仏には多いです。↓の仏がそうかどうかは知りませんが・・・

 

 

 両面仏(部分)の薬師如来立像 1674年作 高さ166センチ 明福寺像 「円空さん」より

 

 

 


円空仏の特徴ー自在

2007年06月07日 | 円空仏

今までに円空仏みて来て 感じたことの若干を記しておきたい。

↓の円空仏。これを仏像といって良いか解からないが、どこかの川原の落ちていたであろう木の端を見つけ、見立てて「これはいける」と思ったならば、一気に手元の鑿か小刀を使って1、2分で作ってしまった仏像でしょうが、それが今に残り、伝わっている。・・・・すごいことだと思う。

円空の発想は自由自在なんだ。それは物を観る視線が、柔らかで、これは良いあれは悪いという「価値判断」が価格目線では無いってことだろう。

昔、使った年賀はがき作成用の彫刻等でチョチョトという感じで「オイラ」でも作れそうだよ。 v(^0^);v

 

 

観音菩薩立像 少林寺蔵 「円空さん」より

クリックで拡大写真へ 

 

 

 


音楽寺の円空仏

2007年06月06日 | 円空仏

円空仏を拝観しに、音楽寺(愛知県江南市)に行ってきました。

この音楽寺には薬師三尊像と十二神将(11体)と荒神像2体の計16体の円空仏が保存され、日を決めて公開されています。

今は、ちょうどこのお寺のアジサイの咲く時期でもあり6月2日から6月24日まで「アジサイ祭り」として、毎日公開されています。(9~16時まで)

↓の写真は荒神像で、どこか宮崎駿さんのアニメに出てくるようなキャラを感じさせます。高さ50センチ程の小さな像ですが、打ち捨てられていた様な原木に、チョチョと鑿を加えた簡潔なそれでいて個性あふれる円空仏です。円空の真髄を示す一体の「仏」だと思います。

ちょっと残念なのはガラスケース越しに眺めるのと、写真撮影禁止ってこと。←は本当に残念ですよ。円空仏はこれが結構多いんだ。 

「村国の郷」絵はがきから

詳細は別にホームページで公開する予定です。