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日々探訪日記

昨日より今日、今日より明日、更にその先が好日であるために

『武蔵野』を読む no3

2007年11月26日 | 短歌・詩・小説

武蔵野の音

秋から冬にかけて武蔵野の情景の特色のひとつに「耳を傾けて聞く」ってことが適っていると記されている。

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鳥の羽音、囀る声、風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。叢の蔭、林の奥にすたく虫の音。空車荷車の林を廻り、坂を下り、野路を横切る響き。ひずめで落葉を蹴散らす音、これは騎兵演習の斥候か、さなくば夫婦連れで遠出に出かけた外国人である。何事をか声高に話しながらゆく村の者のだみ声、それも何時しか、遠ざかりゆく。独り淋しそうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲声。隣の林で出し抜けに起こる銃音。(略)・・・・・・・・・

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その他に栗の落ちた音や時雨の音に武蔵野の特徴を見出している。そして、試みに中野・渋谷・世田谷・小金井の奥の林を訪れ、暫く座って散歩の疲れを休めて聞いてみよ、と。・・・そうすれば自然の静寂を感じ、永遠の呼吸身を迫るを覚ゆるであろうと記す。

渋谷は25歳の独歩が当時(明治29年)に住んでいた茅屋(茅葺の家?)で現在の住所は東京都渋谷区宇田川町?解説書注書き。

もう、110年も前のことであり、すっかり違う風景となって、当時を偲ぶものはこういった小説や紀行文の世界の中でのことでしかなかろうが「筆のタッチ」というか・・・音を感じさせる表現は参考にはなる。小鳥の囀りや虫の音などの時代が変わろうとも不偏のものがもっと具体的に記されていると更に良くなっていくと思われる。そこが少々残念ともいえる。汽笛の音なども、もっと具体的に記されていれば一層郷愁をおびて、迫るものも強くなったであろうに。

 


『武蔵野』を読む no2

2007年11月24日 | 短歌・詩・小説

武蔵野の11月の情景として明治29年秋から翌年の春まで渋谷に住んだ時の日記を素材として、「変化の大略と光景の要素」として『武蔵野』に記述している。それによると、以下『武蔵野』から(短文なのでここに転写)

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11月4日

「天高く気澄む。夕暮れに独り風吹く野に立てば、天外の富士近く、国境をめぐり連山地平線上に黒し。星光一点、暮色漸く到り、林影漸く遠し。」

同18日

「月を蹈で散歩す、青煙地を這ひ月光林に砕く」

同19日

「天晴れ、風清く、露冷やかなり。満目黄葉の中緑雑ゆ。小鳥梢に囀る一路人影なし。独り歩み黙思口吟し、足にまかせて近郊をめぐる。」

同22日

「夜更けぬ、戸外は林をわたる風声ものすごし。滴声頻なれども雨は已に止みたりとおぼし。」

同23日

「昨夜の風雨にて木葉殆ど揺落せり。稲田も殆ど刈り取らる。冬枯れの淋しき様となりぬ。」

同24日

「木葉未だ全く落ちず。遠山を望めば、心も消え入らんばかり懐し。」

同26日

夜10時記す「屋外は風雨の声ものすごし。滴声相応ず。今日は終日霧たちこめて野や林や永久の夢に入りたらんごとく。午後犬を伴ふて散歩す。林に入り黙座す。犬眠る。水流林より出でてはやしに入る、落ち葉を浮かべて流る。をりをり時雨しめやかに林を過ぎて落ち葉の上をわたりゆく音静かなり。」

同27日

「昨夜の風雨は今朝なごりなく晴れ、日うららかに昇りぬ。屋後の丘に立ちて望めば富士山真っ白に連山の上に聳ゆ。風清く気澄めり。げに初冬の朝なるかな。田面に水あふれ、林影倒に映れり。」

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現在に比して、季節が早く移り変わっているようだ。明治29年ではナラ類の林が11月末には落葉する。今では未だ青々としているのにね。吹く抜ける風も今の方が穏やかではなかろうか?!。

11月末は晩秋か?それとも初冬か?独歩には真っ白になった富士山を眺めてか?、あるいは葉の落ちた木立を見てか?初冬に感じられたようですね。

独歩の文章表現はどことなく、少し事大主義的なものを感じる。そして情景描写は写真的です。・・・・これがロシア文学の影響なんでしょうかね。

 

 

 

 


『武蔵野』を読む

2007年10月29日 | 短歌・詩・小説

10月27日から読書週間!?・・・・もう長いこと、読書週間のあることなどすっかり忘れていた。ここ数年、歴史関連の本しか読んでいない。

さて、コナラとクヌギの見分け方が解って(ついでにミズナラも)楢類の木々の特徴を頭の中に置き、昔読んだことのある『武蔵野』国木田独歩(1871-1908)作(岩波文庫本)を取り出して読んだ。

このブログを続けていくうちに、文章表現を昔読んで僅かばかり記憶のある短編小説(27ページ程)『武蔵野』から、ちょちょと参考に出来ないかと思い始めていた。・・・それで、何回か拾い読みをした。

この小説は明治29年9月から翌年3月までの秋から春にかけて独歩が住んでいた、渋谷村(当時は村・・・大田舎ってこと)での日記を元に構成されている。

明治という「文明開化」とも云える時代の精神の中、「武蔵野の楢林の自然が織り成す美しさ(詩趣)や、その中で営まれている生活の様相」等、・・・・新しい日本の文章表現を獲得すべく・・・奮闘努力しようとしている姿勢を含め参考になる。

 独歩は文章表現をロシアの大地、とりわけ樺の木の織り成す自然の魅力を題材に取り入れているツルゲーネフ(訳二葉亭四迷)の『あいびき』を参考にして『武蔵野』の著作に臨んだようだ。

『武蔵野』は独歩にあっては、大作を著する前の習作の中のひとつだったのだろう。この小説の中で

以下引用

武蔵野を散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの道でも足の向く方へ行けば必ず其の所に見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当てもなく歩くことによって始めて獲られる。

春・夏・秋・冬、朝・昼・夕・夜、月にも、風にも、霧にも、霜にも、雨にも、時雨にも、ただこの路をぶらぶら歩いて思いつき次第右し、左しすれば随所に吾らをさするものがある。

これが実に、また武蔵野第一の特色だろうと、自分はしみじみ感じている。・・・・・

--------引用ここまで

このように散歩のうんちくを述べているが、この見方、新鮮であって、未だに褪せていないし、日毎に輝きを増している。と思える。しかし、良く歩いたようだ。2~3里、あるいはもっと!?なんとなく、私のリズムと波長が合う小説だった。

濃尾平野の一角に生活していても、独歩の描く武蔵野の中に、地の違い、時代の違いがあって、その景観はすっかり変わって、違ったものではあるが・・・・・「日々探訪日記」記述の参考になると確信できた。

 

 


葛生

2007年10月03日 | 短歌・詩・小説

葛は秋の七草(萩・女郎花・薄・葛・藤袴・桔梗・撫子)のひとつであり、とりわけ地味な花ですよね。それに変えて、ひと際、生命力の優れた植物(草)です。

根からはでんぷんが採れて、葛もち、葛湯に利用され、葛根湯として解熱剤にも利用されて、毎冬、常備薬としてお世話になっています。

この、逞しい生命力を持った葛を素材に「生と死・死後の再会と永遠の愛」を吟じた漢詩一首。

「葛生」

(くづ)生え楚(いばら)を蒙(おほ)


(かづら)野に蔓(はびこ)


予が美しきひと此こに亡(ねむ)


誰と與(とも)にかせん獨り處り

 

葛生え棘を蒙(おほ)


(かづら)域に蔓(はびこ)


予が美しきひと此こに亡(ねむ)


誰と與(とも)にかせん獨り息(いこ)


角枕粲(きらめ)

 

錦衾爛(かがや)


予が美しきひと此こに亡(ねむ)

 

誰と與(とも)にかせん獨り旦(あさ)


夏の日

冬の夜

百歳の後

其の居に歸らん


冬の夜

夏の日

百歳の後

其の室に歸らん

 

この詩の一部が『世界の中心で愛をさけぶ』著:片山恭一で、「叶なわなかった愛とその恋人の死」というモチーフで、遺された側の喪失感とその死を乗り越えて生きていく物語として語られます。・・・・・その時に、上の詩を知りました。

悲しさや苦しさを糧として・・・・・この世界の一端には輝くような日々があり、他の一端には死後の再会がある。その一端と一端のはざ間を人は生きていく。・・・?

それはともかく↓を参考にしました。

 

原文と解説文は『詩詞世界』から→http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/p97.htm

 

 

 

 

 


藤村記念館

2007年04月10日 | 短歌・詩・小説

↑の写真は木曽路の中山道馬籠宿にある「藤村記念館」です。

この藤村記念館は元々は島崎藤村(1872-1943)の生家である本陣の跡地に建ったもので、以前に撮ったディジタル写真を整理していたら、出てきたものです。

常設展示室には藤村の著した詩集の『若菜集』『一葉舟』『夏草』『落梅集』があり、これらの詩集からも西洋詩から学んで、新しい日本の詩を創作しようとする20歳代のエネルギィーを感じます。

ずっと昔のこととなってしまいましたが、高校生のころ好きだった詩で、今も印象に残っている詩はなぜか気恥ずかしい響きが今もあります。・・・・・

本を取り出してきて、その中の『落梅集』から「千曲川旅情の歌」を声には出さず、そっと音読してみました。^^;過ぎる程の甘さが際だって体中カユイ~・・・・・まだ、本来の日本語である詩になっていない、と思うのは、わたしだけ?

 

 

         25歳から29歳にかけて発行された詩集

        ↑装丁のデザインが又、イ