
二年前に四十五歳で、脳出血により急死された松井博之さんの遺稿集『<一>と<二>をめぐる思考―文学・明治四十年前後』が乾口達司氏の編集により文芸社からこの程、出版されました。彼の死を知らされて、とりあえず同人誌「春風」に書いた追悼文を掲載します。(Amazonで購入することができます。)
松井博之さんの思い出 松山愼介
松井博之さんは『<一>と<二>をめぐる思考―文学・明治四十年前後』で「新潮」評論部門の新人賞を受賞された。明治期の文学をあまり読んでいない私にとって、この論文は難解であった。私が彼を知ったのはその前後のことである。確か「文学表現と思想の会」に友人の紹介で出席された時のことだったと思う。
新人賞受賞後の第一作は「<観点>について――吉本隆明論」(『新潮』二〇〇五年十二月号)であった。私はその頃、吉本隆明に関する勉強会をしていたので、松井さんに勉強会に来ていただき、この論文をテキストに論議したこともあった。私達の世代の吉本隆明の読み方は、「吉本と対幻想の関係にならなければ吉本を理解できない」といわれたこともあったように、吉本の姿勢といったものに対する共感を第一としていた。しかし私よりも十五歳位若い松井さんの論考は、吉本の多くの著作のなかでも、ポイントをとらえ、吉本の使う概念の揺れを鋭く指摘したものであった。
その頃、私もうまく松井さんに反論ができなかったが、今は反論できるような気がしている。吉本の使う概念は、一つの言葉に一つの意味が対応していない。たとえば「自己表出」という概念があるが、これは人間が、始めて言葉を発しようとしたとき、沈黙から出てくるうめき声のようなものである。ところが吉本は論を進めて、文学作品を「自己表出」と「指示表出」の織り成すものであるという。「自己表出」は人間内部から表出されるものであり、「指示表出」は意味として使用されているものである。最初の「自己表出」は言葉としてよりも、言葉が出る前の段階、沈黙に重点が置かれている。ところが後者の「自己表出」は文学作品に使われている言葉のなかの自己表現、自己表出の割合の尺度として使われている。松井さんは、この吉本の使用する言葉の概念の揺れを鋭く見抜かれたのであったが、しかしそれを私のように、概念の発展として捉えずに<観点>の揺れとして読まれたのであった。
松井さんの吉本論は丸山真男の<観点>「民権と国権という要素が『対立しながら統一している』明治時代」あるいは「<民権/国権>/国権というレヴェルの異なる二項図式を前提とした<観点>」から、吉本を「自身の<観点>を決して持とうとしない。逆にいえば、一つの固定的な<観点>に立脚することを拒むために、考え得る全ての<観点>を抱え込もうとしているようだ」と批判している。私はこう言われても、吉本の「全ての<観点>を抱え込もう」とする情念を込めた姿勢に共感する。思想は論理ではなく、情念を含めた全体的なものではないのかと。しかし、このような論議を松井さんとする機会はもはや失われてしまった。
2012年10月11日