魚鳥木、申すか?申さぬか?

ぎょ・ちょう・もく、申すか?申さぬか?
申す!申す! 魚⇒ニシキゴイ。鳥⇒ニホンキジ。木⇒制定無し、花は桜と菊

駒込富士神社|東京都文京区本駒込の神社

2017年07月12日 | お出かけ
駒込富士神社|文京区本駒込の神社

社号:富士神社
祭神:木花咲耶姫命
相殿:-
境内社:曽我霊社、小御嶽神社、下浅間神社、猿田彦祠
住所:東京都文京区本駒込5-7-20
祭日:7月1日、鎮火祭8月26日

駒込富士神社の由緒
■境内掲示による駒込富士神社の由緒■

富士神社はもと、旧本郷村にあった。
天正元年(1573)本郷村名主木村万右衛門、同牛久保隼人の二人が、
夢に木花咲耶姫命の姿を見て、翌年駿河の富士浅間社を勧請した。

寛永6年(1629)加賀藩前田候が上屋敷(現東京大学構内)を賜るにあたり、
その地にあった浅間社はこの地に移転した。
東京大学構内一帯は住居表示改正まで本富士町といっていた。

社伝によれば、延文年間(1356-61)には既に現在の社地は富士塚と呼び、
大きな塚があったといわれる。この塚は一説によると、前方後円の古墳といわれる。
富士神社の祭神は、木花咲耶姫命で、氏子を持たず富士講組織で成り立っていた。

山嶽信仰として、近世中期頃から江戸市民の間に、富士講が多く発生した。
旧5月末になると富士講の人々は、6月朔日の富士登拝の祈祷をするために当番の家に集まり、
祭を行った。そして、富士の山開きには、講の代参人を送り、他の人は江戸の富士に詣でた。
富士講の流行と共に、江戸には模型の「お富士さん」が多数出来た。
文京区では、「駒込のお富士山」といわれるここと、護国寺の「音羽の富士」、
白山神社の「白山の富士」があった。(駒込富士神社境内掲示より)

■「本郷區史」による駒込富士神社の由緒■
富士神社:駒込神明町三八三番地に在る無格社で
木花開耶姫命を祭神とし丈餘の塚上に鎮座して居る。
創建年月不詳、或は曰ふ延文の頃今の社地を富士塚と唱へ富士大神を祭つたが、
寛永五年に至り本郷前田邸内に入りたる富士社を遷して之に合祀すと(神社明細張東京通志)。
往時参詣頗る多く六月一日に大市を立てゝ非常の繁榮を見、寶暦の頃には夏やみせぬ爲にとて
俗間の童子等皆洗髪して之に詣でたと云ふ(塵塚談)。

祭禮の當據夢藁蛇、唐團扇、五色網等を捌くは古くよりの風習で(江戸砂子)「名物鹿の子」
内藤宿水巴の詠にも「子福者の戻りは重し富士團扇」とある。
「江戸塵拾」は夢藁蛇を以て寶永の頃百姓喜八
(新編武蔵風土記稿は之を上駒込村の民三左衛門とする)
の作り出せる處で、疫病除として戸毎に購はれたと記して居る。(「本郷區史」より)


お散歩報告
神社は駒込のお富士さんと親しまれた富士山を模した山の上に拝殿が設けられており、
江戸時代の後期に流行した数多い富士講の中でも町火消しの間で深く信仰され、
境内には奉納された町火消の纏(まとい・シンボルマーク)を彫った石碑が数多く飾られています。

初夢に見ると縁起が良いとされている「一富士、二鷹、三茄子」はこの地で読まれた川柳で、
一富士は富士神社、二鷹は付近の鷹匠屋敷(現在の駒込病院付近)、三なすびは良質のなすびが
駒込で採れたことから、こう詠まれたようです。














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