魚鳥木、申すか?申さぬか?

ぎょ・ちょう・もく、申すか?申さぬか?
申す!申す! 魚⇒ニシキゴイ。鳥⇒ニホンキジ。木⇒制定無し、花は桜と菊

8月18日は 平泉に行っちゃいました。5

2017年08月19日 | お出かけ
8月18日は 平泉に行っちゃいました。4からの続き

いざ!中尊寺に と向かうに、、、、、
小腹が空いてきたので、
「夢乃風」と言うお店に出会ったので
昼食ぅ~休憩!


藤原三代お餅膳(もち食文化の賜物です)


平泉ホルモン(海苔と巻いて新食感)


お腹を満たしたので、中尊寺(ちゅうそんじ)へGo!


中尊寺(ちゅうそんじ)の詳細は
一般社団法人平泉観光協会の公式ホームページ
ひらいずみナビ』の
中尊寺(ちゅうそんじ)」を参照してください。

参道に


のノボリ旗、、、くぅぅぅぅ~ 腹満たし過ぎた!
ここで販売されていた、ずんだ餅シェイクが食べたかった。


アレルゲン:乳、大豆。厳選した牛乳を用いたバニラテイストのシェイクに「ずんだ茶寮」特製のずんだをブレンド。つぶつぶ感も楽しい、オリジナルのシェイクです。一度試された方の口コミで広がり、「ずんだ茶寮」の名物に。店頭で、作りたてのおいしさをどうぞ。
「ずんだ茶寮」のオフィシャルサイトより転記)「東京大丸」か「東急百貨店 渋谷駅東横店」か「羽田空港店」に行くしかないかぁ~


でっ、月見坂をガシガシ!登り

本堂
中尊寺の中心となる堂塔のひとつで、年間を通じて多くの法要・儀式、そして様々な行事が行われています。現在の本堂は明治42年に再建されたもので、本尊の釈迦如来坐像は丈六仏という一丈六尺の大きな仏様です。初代清衡公が中尊寺造営の折「丈六皆金色の釈迦如来」を中尊寺のご本尊様に安置したことにならい、平成25年、現在の仏様を建立・安置いたしました。本尊の両脇には伝教大師最澄様より灯りつづける「不滅の法灯」が本山延暦寺より分燈・護持されております。

讃衡蔵(さんこうぞう)
讃衡蔵は奥州藤原氏の残した文化財3000点あまりを収蔵する宝物館で、平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の御遺体の副葬品などが納められております。平安時代奥州藤原氏によって造営された、往時の大伽藍中尊寺の様子を今に伝えます。

金色堂(こんじきどう)
金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。

内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工。そして象牙や宝石によって飾られています。須弥檀の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっております。

この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥檀のなかに今も安置されております。
仏教美術の円熟期とも称される平安時代末期、東北地方の二度にわたる大きな戦いで家族をなくし、後にその東北地方を治めた清衡公が、戦いで亡くなってしまった全ての人々、そして故なくして死んでしまったすべての生き物の御魂を極楽浄土に導き、この地方に平和をもたらすべく建立した中尊寺の堂塔が古の栄華を今に伝えます。

を散策ぅ~!

そんなコンナしていたら
小腹が空き始めたので、
寺院内にある茶屋「かんざん亭」







金粉入りの レアチーズケーキ


自然薯入りの ティラミス! お寺だから「テラミス」かなっ

を頂きました。



今回は季節が合わなかったので咲いてはいませんでしたが










の開花時に合わせて散策も良いですよネッ!

8月18日は 平泉に行っちゃいました おわり。


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