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魚鳥木、申すか?申さぬか?

ぎょ・ちょう・もく、申すか?申さぬか?
申す!申す! 魚⇒ニシキゴイ。鳥⇒ニホンキジ。木⇒制定無し、花は桜と菊

老子『道徳経』を翻訳してみました。21

2017年09月06日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第二十一章
原文

孔徳之容、唯道是從。道之爲物、惟恍惟惚。恍兮惚兮、其中有物。恍兮惚兮、其中有像。窈兮冥兮、其中有精。其精甚眞、其中有信。自今及古、其名不去。以閲衆甫。吾何以知衆甫之然哉、以此。

英訳文
A person who has true virtues just follows "the way". "The way" is vague and obscure. It is vague and obscure, but it surely exists. It is vague and obscure, but I can see its form. It is deep and dark, and there is a spirit. The spirit is absolutely genuine, and it is sure existence. From ancient times to the present day, "the way" exists and produces all things. Why can I understand this? From the above facts.

書き下し文
孔徳(こうとく)の容(よう)は、ただ道にこれ従う。道の物たる、これ恍(こう)これ惚(こつ)。恍たり惚たり、その中に物有り。恍たり惚たり、その中に像有り。窈(よう)たり冥(めい)たり、その中に精有り。その精甚(はなは)だ真、その中に信有り。今より古えに及ぶまで、その名は去らず。以(も)って衆甫(しゅうほ)を閲(す)ぶ。吾れ何を以って衆甫の然(しか)るを知るや、これを以ってなり。

現代語訳
真の徳を備えた人の在り様はひたすらに「道」に従うばかりである。「道」というものは、ひたすらにぼんやりとして捉えどころが無い。ぼんやりとして捉えどころが無いのだが、確かに何かが存在している。ぼんやりとして捉えどころが無いのだが、確かに何かが見えるのだ。奥深くてほの暗くて、その中に何か精気が存在する。その精気はひたすらに純粋で、その純粋さは最も確かなものである。はるか大昔から今に至るまで、その「道」は存在し万物の始原である。何故私が「道」が万物の始原であるか解るかと言えば、以上の様な理由からである。


老子『道徳経』を翻訳してみました。22 へ続く。




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田口佳史
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老子『道徳経』を翻訳してみました。20

2017年09月05日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第二十章
原文

絶學無憂。唯之與阿、相去幾何。善之與惡、相去何若。人之所畏、不可不畏。荒兮其未央哉。衆人煕煕、如享太牢、如春登臺。我獨怕兮其未兆、如孾兒之未孩。儽儽兮若無所歸。衆人皆有餘、而我獨若遺。我愚人之心也哉、沌沌兮。俗人昭昭、我獨昏昏。俗人察察、我獨悶悶。澹兮其若海、飂兮若無止。衆人皆有以、而我獨頑似鄙。我獨異於人、而貴食母。

英訳文

If you quit learning, you will no longer lose your way. How different between "yes" and "yeah"? How different between "good" and "bad"? Of course we should not do wrong that people avoid. But there is no limitation if you seek perfection. People look like having a feast with smile and having a view from a hill in spring. But I alone keep still and look like a baby without a smile. I am exhausted and have no place to be. People look like having too much. But I alone look like having nothing. I am fool and dull. People are cheerful. I alone am depressed. People are brilliant. I alone am gloomy. I am drifting the ocean and I do not know where I am going as if I were a wind. People are useful for the public. But I alone am stubborn and useless. I alone am different from others and value that I am brought up by "the great mother".

書き下し文
学を絶てば憂いなし。唯(い)と阿(あ)と相い去ること幾何(いくばく)ぞ。善と悪と相去ること何若(いかん)ぞ。人の畏(おそ)るる所は、畏れざるべからざるも、荒(こう)としてそれ未だ央(つ)きざるかな。衆人は煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如(ごと)く、春に台(うてな)に登るが如し。我れは独り怕(はく)としてそれ未だ兆(きざ)さず、嬰児(えいじ)の未だ孩(わら)わざるが如し。儽儽(るいるい)として帰(き)する所なきが如し。衆人はみな余り有るに、而(しか)るに我れは独り遺(うしな)えるが如し。我れは愚人の心なるかな、沌沌(とんとん)たり。俗人は昭昭(しょうしょう)たり、我れは独り昏昏(こんこん)たり。俗人は察察(さつさつ)たり、我れは独り悶悶(もんもん)たり。澹(たん)としてそれ海の如く、飂(りゅう)として止(とど)まるなきが如し。衆人はみな以(もち)うる有り、而るに我れは独り頑(かたくな)にして鄙(ひ)なり。我れは独り人に異なり、而して母に食(やしな)わるるを貴(たっと)ぶ。

現代語訳

学ぶことを止めたなら、迷うこともないだろう。「はい」と答えるのと「うん」と答えるのにどれほどの違いがあるだろうか?人の言う善と悪にはどれほどの違いがあるのだろうか?人の嫌がる様な事はしてはならないが、どこまでも厳しく律していたら際限が無いではないか。世の人々はみんな笑顔でご馳走を食べている様に見える。まるで春の日に高台から世界を見ているかの様だ。しかし私といえば一人きりで動くそぶりも見せず、笑う事を知らない赤ん坊の様だ。ぐったりと疲れて果てて身の置き所も無いかの様だ。世の人々はみな有り余る何かを持ち合わせているのに、私と言えば何もかも失ってしまったかの様だ。私はそういう愚か者の心を持っていて、ぼんやりと何が確かなのか解らずにいるのだ。世の人々はきらきらと眩いばかりだが、私だけは一人暗がりに居る様だ。世の人々は賢く聡明であるのに、私だけは一人悶々としている。ゆらゆらと大海原に漂い、風の様にどこへ行くかも解らない。世の人々はそれぞれ世の為に役立っているのに、私だけが一人じっとして何の役にも立たずにいる。私だけが人とは違っていて、大いなる「母」に養われる事を大切に守っているのだ。

老子『道徳経』を翻訳してみました。21 へ続く。




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老子『道徳経』を翻訳してみました。19

2017年09月04日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第十九章
原文

絶聖棄智、民利百倍。絶仁棄義、民復孝慈。絶巧棄利、盗賊無有。此三者、以爲文不足、故令有所屬。見素抱樸、少私寡欲。

英訳文
If people give up virtues and wisdom, they will gain a hundred times benefit. If people give up benevolence and justice, they will regain sincerity. If people give up technique and convenience, there will be no thief. I know that these words are too difficult to understand. So let me give teachings. Express your bare mind and hold honesty like a raw wood. Reduce your selfishness and desire.

書き下し文
聖を絶(た)ち智を棄(す)つれば、民の利は百倍す。仁を絶ち義を棄つれば、民は孝慈に復す。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊有ることなし。この三者、もって文足らずと為(な)す。故(ゆえ)に属(つ)ぐ所あらしめん。素を見(あらわ)し樸(ぼく)を抱(いだ)き、私(わたくし)を少なくして欲を寡(すくな)くす。

現代語訳

美徳を断ち切って知恵を捨てれば、人々の利益は百倍にもなるだろう。仁愛を断ち切って正義の心を捨てれば、人々は本来の真心に立ち返るだろう。小手先の技術を断ち切って便利な道具を捨てれば、盗賊など居なくなるだろう。この様な事を言葉で理解するのは難しいだろうから、手本とすべき例を挙げよう。生まれ持った心を素直に表して切り出したばかりの丸太の様な純朴さを内に秘めよ、利己心を少なくして欲望を少なくせよ。


老子『道徳経』を翻訳してみました。20 へ続く。




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老子『道徳経』を翻訳してみました。18

2017年09月03日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第十八章
原文

大道廢、有仁義。智惠出、有大僞。六親不和、有孝慈。國家昬亂、有忠臣。

英訳文
There are morals after natural lifestyle along "the way" died out. There are lies because the shrewd people are praised. There are affections because family discord with one another. There are loyal vassals because the country is in disorder.

書き下し文
大道廃(すた)れて、仁義有り。智恵出でて、大偽(たいぎ)有り。六親(りくしん)和せずして、孝慈(こうじ)有り。国家昏乱(こんらん)して、忠臣有り。

現代語訳
人間本来の自然な生き方である「道」が失われてしまったからこそ、人々が仁義などと言い出すのだ。小賢しい知恵を振りかざす者がいるからこそ、人々は偽り合う様になったのだ。家族が仲良く暮らしていないからこそ、孝行とか慈愛とかが重んじられるのだ。国がひどく乱れて安定しないからこそ、忠義の臣などがもてはやされるのだ。


老子『道徳経』を翻訳してみました。19 へ続く。




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老子『道徳経』を翻訳してみました。17

2017年09月01日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第十七章
原文

太上下知有之。其次親而譽之。其次畏之。其次侮之。信不足、焉有不信。悠兮其貴言、功成事遂、百姓皆謂我自然。

英訳文

The ideal monarch looks idle. People only know he is their lord. The next best is praised by people. The next best is feared by people. The worst is despised by people. If a monarch is not reliable, people do not trust him. If a monarch stays calm and silent, people will cooperate with one another and have pride on their work.

書き下し文
太上(たいじょう)は下(しも)これ有るを知るのみ。その次は親しみてこれを譽(ほ)む。その次はこれを畏(おそ)る。その次はこれを侮る。信足らざれば、焉(すなわ)ち信ざられざること有り。悠(ゆう)としてそれ言を貴(おも)くすれば、功は成り事は遂(と)げられて、百姓(ひゃくせい)は皆我自ら然(な)りと謂(い)う。

現代語訳
最も理想的な君主と言うのは、民衆はただその存在を知るだけで何をしているのか解らないくらいで良いのだ。次に良い君主は民衆がその功績を讃える様な君主で、その次は法と罰を厳しくして民衆が恐れる様な君主で、その次は民衆から愚かだと侮られる様な君主である。君主が誠実さを欠いて余計な事をすると民衆からの信頼を失うものだ。だから理想的な君主は悠然としてめったに口を挟まず、人々が力を併せて事業を為す様にさせて、民衆が「我々の力で国が良くなった」と自らを誇れる様にするのだ。


老子『道徳経』を翻訳してみました。18 へ続く。




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老子『道徳経』を翻訳してみました。16

2017年08月31日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
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老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第十六章
原文

致虚極、守靜篤。萬物並作、吾以觀復。夫物芸芸、各復歸其根。歸根曰靜、是謂復命。復命曰常、知常曰明、不知常、妄作凶。知常容。容乃公。公乃王。王乃天。天乃道。道乃久。沒身不殆。

英訳文
If I empty my mind and stay calm, I can see that all things are produced and they return to the roots. Everything is produced one after another, then they return to the roots. Everything returns to silence like this. This is called "return to the original form". This is a "law of nature". To understand the law is called "clear wisdom". If you don't have this wisdom, you will fall into confusion. If you have it, you can accept everything. Accepting everything is fairness. Fairness is a "virtue of king". The virtue of king is "Heaven's will". Heaven's will is "the way". This way is eternal. If you keep this way, you will never go astray.

書き下し文

虚(きょ)を致すこと極まり、静を守ること篤(あつ)し。万物は並び作(お)こるも、吾れは以(も)って復(かえ)るを観る。それ物の芸芸(うんうん)たる、各々その根(こん)に復帰(ふっき)す。根に帰るを静と曰(い)い、これを命に復ると謂(い)う。命に復るを常(じょう)と曰い、常を知るを明(めい)と曰い、常を知らざれば、妄(みだり)に作(な)して凶なり。常を知れば容(よう)なり。容は乃(すなわ)ち公(こう)なり。公は乃ち王なり。王は乃ち天なり。天は乃ち道なり。道は乃ち久し。身を没(お)うるまで殆(あや)うからず。

現代語訳

心を空っぽにして静けさを保っていると、世の万物がどんどん生み出されてまた元の姿へ戻っていく様が見える。この世の全てはどんどん生み出されては、そうやって根源へ帰っていくものだ。万物はこうして静寂へ還る。これを「本来の姿に戻る」と言う、そしてこれは「万物の法則」とも言う。この法則を理解する事は「明らかなる知恵」と言う。この知恵が無いと何をしても出鱈目になってしまう。この法則を理解すれば、どんな事も包容出来る。全てを包容出来れば、全てを公平に扱う事が出来る。物事を公平に扱う事が出来れば、それは「王者の徳」と呼ばれる。王者の徳はすなわち「天命」である。天命とはすなわち「道」である。「道」を得る事は永遠を得る事であり、そうなれば生涯を通じて迷う事は無いだろう。


老子『道徳経』を翻訳してみました。17 へ続く。




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老子『道徳経』を翻訳してみました。15

2017年08月30日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第十五章
原文

古之善爲道者、微妙玄通、深不可識。夫唯不可識、故強爲之容。與兮若冬渉川、猶兮若畏四隣、儼兮其若客、渙兮若冰之將釋、敦兮其若樸、曠兮其若谷、混兮其若濁。孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。保此道者、不欲盈。夫唯欲不盈、故能蔽而新成。

英訳文

A person who mastered "the way" from ancient time knows "deep mystery" well. And you cannot understand depth of his wisdom. But I dare to explain it. He is careful as if he were going across a river in winter, prudent as if he were cautious around him, solemn as if he were an honored guest, obedient as if he were a piece of melting ice, unaffected as if he were a raw wood, tolerant as if he were a valley and vague as if he were muddy water. Who can keep this water calm and get clear water? Who can move this water again and produce new lives? A person who keeps "the way" does not want to be filled. So his vessel revives over and over again.

書き下し文

古(いにし)えの善く道を為す者は、微妙玄通(げんつう)、深くして識(し)るべからず。それ唯(た)だ識るべからず。故(ゆえ)に強いてこれが容(よう)を為さん。予(よ)として冬に川を渉(わた)るが若(ごと)く、猶(ゆう)として四隣(しりん)を畏(おそ)るるが若く、儼(げん)としてそれ客の若く、渙(かん)として冰(こおり)の将(まさ)に釈(と)けんとするが若く、敦(とん)としてそれ樸(ぼく)の若く、曠(こう)としてそれ谷の若く、混(こん)としてそれ濁(にご)れるが若し。孰(たれ)か能(よ)く濁りて以(も)ってこれを静かにして徐(おもむろ)に清(す)まん。孰か能く安らかにして以ってこれを動かして徐に生ぜん。この道を保つ者は、盈(み)つるを欲せず。それ唯だ盈つるを欲せず、故に能く敝(やぶ)れて而(しか)も新たに成る。

現代語訳
古くからの「道」を充分に修めた人は、その微妙な働きによって奥深い所に通じており、奥深さゆえにその有り様は到底理解する事は出来ない。理解出来ない事ではあるが、あえてそれを説明して見よう。おずおずと冬の川を渡る様に慎重であり、びくびくと周囲を警戒する様に用心深くあり、きりっと威儀を正した客の様に厳粛であり、解けてゆく氷の様に素直であり、切り出したばかりの丸太の様に純朴であり、深い谷間の様に寛容であり、濁った水の様に曖昧である。この濁った水を静かに止めて上澄みから清水を得られる者は誰であろうか?またそれを再び動かして生命を生み出す事が出来る者は誰であろうか?「道」に沿った生き方をする人は、一杯まで満たされる事を望まない。だからこそ彼の器はたとえ壊れても何度でも再生するのだ。


老子『道徳経』を翻訳してみました。16 へ続く。




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老子『道徳経』を翻訳してみました。14

2017年08月29日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
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老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第十四章
原文

視之不見、名曰夷。聽之不聞、名曰希。搏之不得、名曰微。此三者不可致詰、故混而爲一。其上不皦、其下不昧。繩繩不可名、復歸於無物。是謂無状之状、無物之象。是爲惚恍。迎之不見其首、隨之不見其後。執古之道、以御今之有、能知古始。是謂道紀。

英訳文
Things that we cannot see, I call them "the obscure". Things we cannot hear, I call them "the faint". Things we cannot catch, I call them "the subtle". We cannot sense these and these are originally the same one. The space above it is not bright. The space below it is not dark. I cannot name it because it is too vague. It returns to nothingness in the end. I call it, for convenience' sake, "appearance of no appearance", "form of the formless" or just "the vague". You cannot see its face even if you meet it. You cannot see its back even if you follow it. If you observe the present time with "the way" from ancient time, you can understand the origin of things. This is the start of "the way".

書き下し文
これを視れども見えず、名づけて夷(い)という。これを聴けども聞こえず、名づけて希(き)という。これを搏(とら)うるも得ず、名づけて微(び)という。この三つの者は詰(きつ)を致すべからず、故(もと)より混(こん)じて一と為る。その上は皦(あきら)かならず、その下は昧(くら)からず。縄縄(じょうじょう)として名づくべからず、無物(むぶつ)に復帰す。これを無状(むじょう)の状、無物の象(しょう)と謂(い)い、これを惚恍(こつこう)と謂う。これを迎(むか)うるともその首(こうべ)を見ず、これに随(したが)うともその後(しりえ)を見ず。古(いにし)えの道を執(と)りて、もって今の有を御(ぎょ)すれば、能(よ)く古始(こし)を知る。これを道紀(どうき)と謂う。

現代語訳
目をこらして視ようとしても見えないもの、これを「夷」と呼ぶ。耳を澄まして聴こうとしても聞こえないもの、これを「希」と呼ぶ。手探りで取ろうとしても得られないもの、これを「微」と呼ぶ。これら三つのものは元々一つのもので、我々には捉える事の出来ないものなのだ。その上に行っても明るくならず、その下に行っても暗くならない。おぼろげでとらえどころも無いので名づける事も出来ず、結局は無に帰ってゆく。これを「すがたの無い姿」「かたちの無い形」または「おぼろげなもの」と呼ぶことにしよう。こちらに向かって来るのを迎えても顔は見えず、後から追いかけても後姿は見えない。この古くからの「道」を通して眼に見える今を見れば、物事の起源を知る事ができる。これを「道の始まり」と呼ぶ。


老子『道徳経』を翻訳してみました。15 へ続く。




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老子『道徳経』を翻訳してみました。13

2017年08月29日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第十三章
原文

寵辱若驚。貴大患若身。何謂寵辱若驚。寵爲上、辱爲下。得之若驚、失之若驚。是謂寵辱若驚。何謂貴大患若身。吾所以有大患者、爲吾有身。及吾無身、吾有何患。故貴以身爲天下、若可托天下。愛以身爲天下、若可寄天下。

英訳文
People are concerned about honor and dishonor very much. Because they regard honor as like their own body. Why are they concerned about honor and dishonor very much? Because they regard honor as a good thing, and dishonor as a bad thing. They are happy when they are praised. They are unhappy when they are blamed. So people are concerned about honor and dishonor very much. Why do they regard honor as like their own body? They can be concerned about their honor because they have their body. If they lost their body, they cannot be concerned about their honor any longer. What on earth do they have to be concerned about without their body? So we should entrust our country to the person who cares his own body first.

書き下し文
寵辱(ちょうじょく)には驚くが若(ごと)し。大患(たいかん)を貴(たっと)ぶこと身の若くなればなり。何をか寵辱には驚くが若しと謂(い)う。寵を上と為(な)し、辱を下と為し、これを得るに驚くが若く、これを失うに驚くが若し。これを寵辱には驚くが若しと謂う。何をか大患を貴ぶこと身の若しと謂う。われに大患有る所以(ゆえん)の者は、われに身有るが為なり。われに身無きに及びては、われに何の患(わずら)い有らん。故(ゆえ)に身を以(も)って天下を為(おさ)むるより貴べば、若(すなわ)ち天下を托(たく)すべく、身を以って天下を為むるより愛すれば、若ち天下を寄(よ)すべし。

現代語訳
尊敬されたり、侮辱されたりという事に人々は一喜一憂して暮らしている。それらから得られる利害を自分の身体の事のように心配するからだ。どうして尊敬や侮辱に一喜一憂するのかと言えば、尊敬を良いものと考え、侮辱を悪いものと考えて、褒められれば喜び、叱られれば悲しむからだ。そうして人々は他人の評価に一喜一憂している。それではどうして他人の評価からもたらされる利害を自分の身体のように心配するのか。そもそも利害によって幸福になったり不幸になったりするのは自分の身体があるからなのに、自分の身体が無くなってしまったりしたら、一体何を心配する必要があるだろうか。だから天下の事よりも自分の身体を考える人にこそ天下を任せる事ができるし、天下の事よりも自分の身体をいたわる人にこそ天下を預ける事ができるのだ。


老子『道徳経』を翻訳してみました。14
へ続く。




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老子『道徳経』を翻訳してみました。12

2017年08月28日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第十二章
原文

五色令人目盲。五音令人耳聾。五味令人口爽。馳騁畋獵、令人心發狂。難得之貨、令人行妨。是以聖人、爲腹不爲目。故去彼取此。

英訳文
Various colors blind eyes. Various sounds deafen ears. Various tastes dull tongue's sensitivity. Horse riding and hunting drive people crazy. Precious treasures make people commit errors. So the saint who knows "the way" does not seek material pleasure except eating his fill. He gets satisfaction of his heart, not pleasure of senses.

書き下し文
五色(ごしき)は人の目をして盲(もう)ならしむ。五音(ごいん)は人の耳をして聾(ろう)ならしむ。五味(ごみ)は人の口をして爽(たが)わしむ。馳騁(ちてい)田猟(でんりょう)は、人の心をして狂(きょう)を発せしむ。得難きの貨(か)は、人の行ないをしてを妨(さまた)げしむ。ここをもって聖人は、腹を為(な)して目を為さず。故(ゆえ)に彼れを去(さ)りて此れを取る。

現代語訳
色とりどりの色彩は人の目をくらませる。幾重にも音を重ねた音楽は人の耳を聞こえなくさせる。味わい豊かな食事は人の味覚を鈍くする。乗馬や狩猟といった娯楽は人の心を狂わせる。手に入り難い貴重な品々は人の行動を誤らせる。だからこそ「道」を知った聖人はお腹いっぱい食べる事を除いて快楽を追い求めない。感覚から得られる快楽を求めず、心の内面の充足を求めるのだ。

老子『道徳経』を翻訳してみました。13 へ続く。



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老子『道徳経』を翻訳してみました。11

2017年08月27日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第十一章
原文

三十輻共一轂。當其無、有車之用。埏埴以爲器。當其無、有器之用。鑿戸牖以爲室。當其無、有室之用。故有之以爲利、無之以爲用。

英訳文
A wheel has thirty spokes and one hub. We can use a wheel because a hub has a hole to insert an axle. We knead clay and make a vessel. We can use a vessel because it has a space with nothing. A house has doors and windows. We can live in a house because it has a space with nothing. So when we use something, we always benefit by "nothing".

書き下し文
三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。その無に当たりて、車の用あり。埴(つち)を埏(こ)ねて以(も)って器を為(つく)る。その無に当たりて、器の用あり。戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて以って室(しつ)を為る。その無に当たりて、室の用あり。故(ゆえ)に有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり。

現代語訳
車輪というものは三十本の輻(や)が真ん中の轂(こしき)に集まって出来ている。その轂に車軸を通す穴があいているからこそ車輪としての用を為すのだ。器を作るときには粘土をこねて作る。その器に何もない空間があってこそ器としての用を為すのだ。戸や窓をくりぬいて家は出来ている。その家の何もない空間こそが家としての用を為しているのだ。だから何かが「有る」という事で利益が得られるのは、「無い」という事が影でその効用を発揮しているからなのだ。


老子『道徳経』を翻訳してみました。12
へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
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老子『道徳経』を翻訳してみました。10

2017年08月26日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第十章
原文

載營魄抱一、能無離乎。專氣致柔、能孾兒乎。滌除玄覽、能無疵乎。愛民治國、能無以智乎。天門開闔、能爲雌乎。明白四達、能無以爲乎。生之畜之、生而不有、爲而不恃、長而不宰。是謂玄徳。

英訳文
Can you calm your body and follow "the way", then keep them? Can you concentrate your mind and soften your body, then become like a baby? Can you purify the mirror of your heart, then keep it blameless? Can you keep yourself nameless when you love people and rule a country? Can you keep yourself like female when all things are produced from the gate of heaven? Can you do nothing when you know everything clearly? The saint who knows "the way" does not possess things that he made or raised. He does not rely on his success. He does not become a dictator even if he becomes a leader. These are "mysterious virtue" of the saint.

書き下し文
営魄(えいはく)を載(やす)んじ一を抱(だ)きて、能(よ)く離るること無からんか。気を専(もっぱら)にし柔(じゅう)を致し、能く嬰児(えいじ)ならんか。玄覧(げんらん)を滌除(てきじょ)して、能く疵(きず)無からんか。民を愛し国を治めて、能く以って知らるること無からんか。天門開闔(てんもんかいこう)して、能く雌(し)たらんか。明白四達(めいはくしたつ)して、能く以って為すこと無からんか。これを生じこれを畜(やしな)い、生ずるも而(しか)も有せず、為して而も恃(たの)まず、長たるも而も宰(さい)せず。これを玄徳(げんとく)と謂う。

現代語訳
迷える肉体を落ち着けて唯一の「道」を守って、そこから離れずにいられるだろうか。精神を集中して身体を柔軟にして、赤子のようになれるだろうか。心の鏡を洗い清めて、少しの落ち度もないようにできるだろうか。人々を愛し国を治めて、それで人に知られずにおられようか。天上の門から万物が生み出される時に、雌のように受身でいられるだろうか。何もかもはっきりと解っていながら、何もせずにいられるだろうか。ものを生み出し育てながら自分の物とせず、何かを成し遂げてもそれに頼らず、人の上に立っても取り仕切ったりしない。これらは「玄徳 - 神秘なる徳」と言う。

老子『道徳経』を翻訳してみました。11 へ続く。


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老子『道徳経』を翻訳してみました。9

2017年08月25日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第九章
原文

持而盈之、不如其已。揣而鋭之、不可長保。金玉滿堂、莫之能守。富貴而驕、自遺其咎。功遂身退、天之道。

英訳文
You should not try to keep a vessel full. The sharper the edge, the sooner it will be nicked. The more treasure you get, the harder to keep them. You will suffer disgrace if you are arrogant after winning fortune and fame. You should retire instantly when you achieved success. This is the way of heaven.

書き下し文
持(じ)してこれを盈(み)たすは、その已(や)むるに如(し)かず。揣(きた)えてこれを鋭くするは、長く保つべからず。金玉(きんぎょく)堂に満つるは、これを能(よ)く守る莫(な)し。富貴にして驕(おご)るは、自らその咎(とが)を遺(のこ)す。功遂(と)げて身の退(しりぞ)くは、天の道なり。

現代語訳
いつまでも器を満たし続けようとするのは止めたほうが良い。刃先を鋭く尖らせればそれだけ長持ちしなくなる。金銀財宝を蔵に満たせば満たすほど、それらを守るのが困難になる。富や名声を手に入れて傲慢になれば、かえって不名誉を残す事になる。自らのやるべき事をやり遂げたならば、さっさと引退するのが天の道というものだ。

老子『道徳経』を翻訳してみました。10 へ続く。


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老子『道徳経』を翻訳してみました。8

2017年08月24日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第八章
原文

上善若水。水善利萬物而不爭、處衆人之所惡。故幾於道。居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤。

英訳文
The Best Good is like water. Water never competes with others even though it benefits all things. Water always stays at the lowest place. So water resembles "the way". The ground is good for houses. Depth is good for mind. Benevolence is good for friendship. Faithfulness is good for words. Peace is good for politics. Efficiency is good for projects. Timing is good for action. If you do not compete with others, you will not commit an error.

書き下し文
上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して而(しか)も争わず、衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(お)る。故(ゆえ)に道に幾(ちか)し。居(きょ)には地が善く、心には淵(えん)が善く、与(まじわり)には仁が善く、言には信が善く、正(政)には治が善く、事には能が善く、動には時が善し。それ唯(た)だ争わず、故に尤(とが)め無し。

現代語訳
最上の善とはたとえば水の様なものである。水は万物に恵みを与えながら万物と争わず、自然と低い場所に集まる。その有り様は「道」に近いものだ。住居は地面の上が善く、心は奥深いのが善く、人付き合いは情け深いのが善く、言葉には信義があるのが善く、政治は治まるのが善く、事業は能率が高いのが善く、行動は時節に適っているのが善い。水の様に争わないでおれば、間違いなど起こらないものだ。

老子『道徳経』を翻訳してみました。9 へ続く。


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老子『道徳経』を翻訳してみました。7

2017年08月23日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第七章
原文

天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私邪、故能成其私。

英訳文
Heaven and earth are eternal, because they never want to be eternal. So the saint who knows "the way" tries to follow people, but people follow him. He tries to put him outside of people, but people put him at the center of them. It is because he is disinterested. He can keep his mind because he is never attached to himself.

書き下し文
天は長く地は久(ひさ)し。天地の能(よ)く長く且(か)つ久しき所以(ゆえん)の者は、その自(みずか)ら生(しょう)ぜざるをもって、故(ゆえ)に能く長生(ちょうせい)す。ここをもって聖人は、その身(み)を後にして而(しか)も身は先(さき)んじ、その身を外にして而も身は存(そん)す。その無私なるをもってに非(あら)ずや。故に能くその私(わたくし)を成す。

現代語訳
天は永遠であり、地は久遠である。天地がその様に永久であるのは、自ら永久であろうとする意志が無いからだ。だから「道」を知った聖人はわが身を後回しにしながら周囲に推されてその身は人の前に立ち、わが身を人の外側に置きながら周囲に推されてその身は人の中心にある。これはその人が無私無欲であるからではないだろうか。無私無欲であるからこそ、自分をつらぬいていけるのだ。

老子『道徳経』を翻訳してみました。8 へ続く。


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