虚構の世界~昭和42年生まれの男の思い~

昭和42年生まれの男から見た人生の様々な交差点を綴っていきます

釧路の街で~黄昏のモノローグ~「幸せは言わないように」

2018-02-28 15:59:14 | 小説
*このお話はフィクションです。

 お昼休みに私と同じ年代の人が子供のことを話しているのを聞いた。

 大学に現役で受かったということだった。

 学費やアパート代でお金がかかるという話らしいが、どこかで自分の子供の優秀さを話したいらしい雰囲気が漂っていた。


 私は何だかその光景をほのぼのとした雰囲気で聞いていたが、ふと視線を周りに移すと「またか」という、うんざりとした同僚の視線を感じた。

 おそらく、この話を何度もしているのだと推察できた。


 自分の娘も大学に合格した。

 本当ならば、誰かに言いたい。


 しかし、幸せなことは、自分一人でこっそりと喜ぶようにしたい。


 一人で祝杯をあげて、ジワーと喜びを噛みしめる。


 そんな喜び方がちょうどよい。

 今日も一日が終わる。

釧路の街で~黄昏のモノローグ~「忙しさという幸福感」

2018-02-28 07:14:27 | 小説
*このお話はフィクションです。

 朝6時過ぎに家を出て、会社に着くのは6時半ぐらい。

 毎朝、誰もいないオフィスで自分と向き合うことから一日はスタートする。

 8時ぐらいまではだいたい一人で過ごす


 いや、掃除のパートの方が7時ぐらいから来る。その人の掃除の時間と私の一人修行時間は同時進行だ。


 そして、帰るのはだいたい8時くらい。一日集中して働いていると、あっという間に時間が過ぎる。

 周囲から見るとほとんど楽しみなんてないように見えるだろう。


 しかし、自分は「熱中」「忙しさ」を感じられるものがあることが一番幸せなのかと思っている。

 確かに厳しい立場にいる。しかし、この環境に身を置いたからこそ、自分を高めることができたのは事実だ。

 成長と言うのは、苦しみや辛さの中から生まれる。

 

 『ひとりで生きてく淋しさは 誰もみんな同じだから 自分の弱さにやさしくなって 空高くやるせなさを 解き放ちたい』

 好きな歌のこんな歌詞を綴って、今日も一日がスタートする。

釧路の街で~黄昏のモノローグ~「決断」

2018-02-27 17:46:42 | 小説
*このお話はフィクションです。

 態度の悪い先輩社員が決断をした。

 地方への勤務を選択した。

 58歳にして、自宅から片道3時間の片田舎の小さな町への転勤である。

 私はそこでも今までのような態度なら、次は解雇という処分になるということを伝えた。


 その後、彼はしょんぼりと一日を過ごしていた。

 彼の転勤の噂は社内にも広がっている。

 


 彼の味方は社内には誰もいない。

 また妻との関係も不仲であり、家族からも孤立していることを人伝に聞いた。

 仕事を辞めても家庭に彼の居場所はない。


 彼の孤立の闇は深まる一方だ。


 あまりに今までの態度が悪かったツケが一気に彼に身にふりかかっている。



 今日も一日が終わる。

 

 

釧路の街で~黄昏のモノローグ~「深呼吸して」

2018-02-27 12:52:14 | 小説
*このお話はフィクションです。

 息が詰まることが連続して発生する。

 そんな時は、深呼吸して・・・。

 吸う息を数えて、その二倍吐き出すように・・・。


 生きるということは、大変ですよね。

釧路の街で~黄昏のモノローグ~「書き記す」

2018-02-27 07:17:10 | 小説
*このお話はフィクションです。

 「いつかきっと自分らしく この街で戦いながら 傷つき それでも君と歩けるなら」

 自分の好きな歌の好きな言葉を時々ノートに綴り、朝を迎えている。

 今日もそんな歌詞を綴ることから一日がスタートした。


 自分は会社の中でほぼ雑談をしない。

 一社員だったころは、好き勝手なことを話し、笑いあっていた。


 しかし、部長になり、人との距離感をというものを学んだ。


 先輩にも嫌なことを言わなければいけない場面がある。

 そんなときに距離感が近すぎると、どうしても私情がからんでくる。

 だからといって、冷たい距離感を演出するのではなく、何かあったらいつでも相談に乗るという雰囲気は出すように心がけている。


 このあたりのバランスの難しさを感じながら、日々、不器用に生きている。

 無口でいて誠実さが感じられる・・・。

 高倉 健さんがなぜ男性の憧れだったのかがこの歳になって身に染みてわかる。

 今日も一日が始まる。

釧路の街で~黄昏のモノローグ~働き方改革~

2018-02-26 17:26:35 | 小説
*このお話はフィクションです。

 「課長また今日も休みかよ。月曜日よく休むよな」

 「人柄はいいけど、ちょっと休み過ぎだよね」

 こんな声が廊下を歩いていると耳に入ってきた。


 私の世代は、月曜日にだけは休むなと教えられてきた。

 休日の過ごし方に問題ありと言われるからだ。

 這ってでも会社に行けと言われた。


 世の中は「働き方改革」の波が押し寄せている。

 私が思うに一番大切なのは、「休みやすい雰囲気」の会社組織を創ることである。

 有休を取るなど言い出せない雰囲気が私の会社でもあった。


 いや今も残存していると言ってよい。

 だからこそ、上司が休むものならここぞとばかりに攻撃する。


 そんな昭和的な対立の構図がある社風では「働き方改革」をいくら推奨しても無意味だ。


 お互いに支え合う意識を持ちながら仕事をすることが社員のモチベーションを向上させる。

 そして結果的に会社の業績にも反映する。


 そんな会社にしなくてはと肝に銘じている。


 今日も一日が終わる。

釧路の街で~黄昏のモノローグ~「沈黙」

2018-02-26 07:13:39 | 小説
*このお話はフィクションです。

 朝7時、だれもいないオフィスに突然人影が見えた。

 金曜日、私が指導した先輩社員が立っていた。


 「おはようございます」と私が言うと、彼は小さな声で「おはようございます」と返した。


 私は彼の異変にすぐ気づいた。

 酒臭かった。


 「お酒飲んでいますよね」

 「二日酔いです」

 「どうやって会社まで来たんですか」

 「タクシーできました」

 「つらい決断をしたというのはわかります。しかし、酒飲んで来てはだめでしょう」


 「今日ももういいですから、お帰りください。誰かに見られたらそれこそ問題になります。そして、明日、今後のことについてゆっくり話しましょう」と伝えた。


 彼は涙ぐんでいた。


 退職か左遷か・・・。


 58歳の男性に辛い決断を迫ったのは事実だ。


 そして、目の前でしおらしくうつむいている彼がかわいそうだった。


 気づくのが遅かった。


 もう少し、きちんとやっているふりだけでもいいからしていてくれたら、何とかなったのに・・・。


 これだけ好き放題悪態をついていては・・・。


 今日も一日が始まる。

釧路の街で~黄昏のモノローグ~「嫌なことを伝える」~

2018-02-23 16:37:35 | 小説
*このお話はフィクションです。

 遅刻はする、仕事はしない、言い訳ばかり・・・。

 こんな年上の社員がいる。


 係長・課長レベルで指導しても言うことを聞かないとのことだった。


 とうとう部長である私が登板した。


 「このままいくと来年度は退職してもらうことになります」

 私は笑顔で言った。

 相手はまだ家のローンがあること、親を介護しなければいけないことを私に訴えかけてきた。


 しかし、私は冷静に彼の勤務評価を伝えた。


 連絡・報告が全くないこと、すぐに表情に出して暴言を吐くこと、年下の社員を自分の部下のように扱うことなどを伝えた。

 彼の根底には、俺は年下に使われたくないという思いがあることがわかった。




 「年下でもあなたの上司です。その上司に従えないのであれば辞めてください」と言った。


 彼の表情は悔しさで震えていた。


 「お金をもらうということをあなたは甘く見ている。みんな必死になって頭を下げて、時には傷つきながら仕事をしているのです。もうあなたの居場所はこの会社にはないことを伝えた」


 どうしてもやめたくないのなら、田舎の営業所への転勤を命じた。

 月曜日までに返事をすることになっている。



 伝えたくないことを伝えることも役目だ。



 今日も一日が終わる。


 働くとは、我慢することだ。

 みんなそうやって必死になって生きている。

釧路の街で~黄昏のモノローグ~しなやかさ~

2018-02-23 12:41:21 | 小説
*このお話はフィクションです。

 私より年上の社員が社内にはいる。役職にはついていない。

 定年まで営業などの最前線で勤め上げる尊敬できる人もいる。


 しかし、しなやかさを失って、老害をまき散らして終える人もいる。


 自慢話、説教、長話のオンパーレードの数々・・・。


 みんなから嫌われて退職していく人もいる。




 謙虚さは加齢とともに持ち合わせていなくてはならない。

釧路の街で~黄昏のモノローグ~「妻からのメール」

2018-02-23 07:15:06 | 小説
*このお話はフィクションです。

 昨日の夜、妻からメールが来た。

 週末、網走の親戚のところに行ってきますということだった。


 一瞬、また行くのかとイラっとして、嫌味のメールでも返信しようかとも思った。

 「行くならご飯用意しとけ」「家の掃除きちんとやってから出かけろ」

 という文言も浮かんだが、そんなことのアホらしさに気付いてやめた。

 自分も相手も嫌な思いをさせる言動はいけない。



 仕事ばかりしていると、ついつい家族にはイライラをぶつけてしまうことがよくある。

 しかし、そんな男は人の上に立つ資格はない。


 「気を付けて行ってきてください。こちらは大丈夫です」

 そんなメールを今、返信した。


 少しだけ気持ちがほっとした。

 今日も一日が始まる。

釧路の街で~黄昏のモノローグ~「レベッカ」

2018-02-22 16:48:30 | 小説
*このお話はフィクションです。

 久しぶりに心に突き刺さった。

 高校生の頃、よく聞いていたレベッカの曲がラジオから流れてきた。

「LONELY BUTTERFLY」という曲だ。


 もう30年以上前の曲なのに色あせていない。


 今もこの曲を聴くと胸が高鳴る。

 高校三年生の時に付き合っていた女の子と釧路の街でデートを重ねた。

 喫茶店によく行った。

 そこでこの曲が流れていた。


 また、彼女の家に初めて行ったときにステレオでこの曲を聴いた。



 メロディを聞くたびに切ない淡い思いが蘇る。

 


 今日も一日が終わる。

 何だか高校時代の友達の店に寄りたくなった。

 いくつになってもあの頃の友達はいい。

 

釧路の街で~黄昏のモノローグ~「意味」

2018-02-22 07:26:22 | 小説
*このお話はフィクションです。

 分がスポットライトを浴びたいという思って生きてきた。

 業績を上げて結果を残すことだけに一社員として狂ったぐらいに働いた。

 そして部長昇任の道が開けた。


 部長になったころは、また自分がスポットライトを浴びることを考えていた。

 しかし、そんな時に問題が発生し、自分の取った行動を非難された。

 原因は自分が前面に出しゃばり過ぎたことだった。


 しかし、あの一件も今思うと意味があったと思う。

 確かに辛い経験であったが、あのことからの学びは大きい。


 人の上に立つということは、陰となって人の役に立ち、人にスポットライトを浴びてもらうために演出することを学んだ。



 そしてどこに行っても人の足を引っ張るのが好きな人たちがいるものだ。

 そんな人たちのことを気にしていたら、チームを引っ張っていくことはできない。


 時には「まっいいか」とさらりと受け流すことも必要だ。


 今日も一日が始まる。

釧路の街で~黄昏のモノローグ~別れ際~

2018-02-21 18:03:31 | 小説
*このお話はフィクションです。

 私は若いころ、女性との別れ際が最低だった。

 もちろんそうなる責任は自分にあった。

 女性からお金を借りたり、別の女性と浮気をしたり・・・。

 最低の男のすることをしていた。


 出会った頃は、性格が良かった女性も、私と付き合うと最後は人相が悪くなった。

 当時の自分は、自分さえよければいいという考え方だった。

 女性は自分の思い通りに動くと思っていた。


 そんな歪んだ性格だからこそ、まともな職につけるわけがなかった。


 25歳ぐらいまではそんな生き方だった。


 しかし、あの年齢から二倍生きた私は、今「別れ際」をきれいにしようと思い、努力している。



 どんなに嫌いな人でも最後は「ありがとうございました」と自分から頭を下げるようにしている。



 3月で退職する先輩に会った。10年近く一言も口を聞いていない。


 しかし、こちらから頭を下げて今までの非礼をわびた。


 お互いに懐かしい昔話をして握手をして別れた。



 少しだけ気持ちが楽になった。



 今日も一日が終わる。


 

釧路の街で~黄昏のモノローグ~「ネガティブ」

2018-02-21 07:20:15 | 小説
*このお話はフィクションです。

 私は元々強烈にネガティブな性格だ。
 妬み、嫉妬も激しい。そして執念深い。

 自分の本当の性格を自覚している。


 たいした学歴もコネもない自分が部長になれたのは、このネガティブな部分に支えられていたといってもよい。


 人の上に立ちたい
 認められたい
 結果を残したい

 そんな思いが30代の半ばあたりから強烈に出てきた。

 そして狂ったように仕事に没頭するようになった。

 そして結果が伴ってきた。

 私のことを周囲は「馬鹿の〇〇」とよく形容していた。


 しかし、狂ったように仕事をしてきて、妬みと嫉妬だけでは人の上に立てないことを痛烈に思い知らされた。

 大切なのは、人の上に立つ資格があるかどうかということだ。

 その資格とは、常に自分にも他人にもポジティブでいられるかということだ。


 たくさんのストレスとプレッシャーが毎日これでもかと襲ってくる。「耐えられるだろうか」と悩むこともよくある。

 そんなときは「まあ、いっか」と思い切り開き直ってみる。


 そして、人には認めてあげて、その人のことをフォローしてあげること。それがなければ、人は動いてくれないということを学んだ。


 自分には「~~してやったのに」という恩着せがましい部分が根強かった。

 だから、人にもよく嫌われた。

 今年51歳になる、昭和42年生まれの男は今そんなことを何となく気づいている。


 さて、今日も修行の日々が始まる。

釧路の街で~黄昏のモノローグ~「40歳の教え子」

2018-02-20 18:25:37 | 小説
*このお話はフィクションです。

 先ほど携帯が鳴った。

 その連絡先に不吉な予感が脳裏に浮かんだ。

 直感的に「誰か亡くなったのかな?」と思った。


 電話番号の相手は、私が大学時代に教えていた家庭教師の生徒だった。

 生徒と言っても40歳になる。

 彼女が中学三年生だったころに教えていた。

 私と10歳ほどの歳の差がある。


 突然のその連絡にお世話になった彼女の母親の訃報を予感した。

 しかし第一声は

 「先生、うちの息子、高校に推薦で受かったので報告したくて」という予期せぬうれしい知らせだった。


 母親である彼女は、お世辞にも成績が良いとは言えなかった。

 しかし、彼女の息子は有名進学校に進学した。


 今から25年前、彼女の合格した場面を思い出した。

 彼女は母親に育てられた。

 母親は保険のセールスをして働いており、一家の家計を支えるべく、忙しく働いていた。

 入試当日の帰りも私が代わりに迎えに行った。


 家に帰ってテレビを見ながら自己採点をした。

 合格ラインをクリアしていた。


 母親から点数が良かったら、どこかご飯を食べに連れて行ってほしいと頼まれていた。


 当時、私が付き合っていた彼女も誘い、居酒屋に行った。

 その後母親も合流し、カラオケを歌いに行った。

 中学三年生の女の子と12時近くまで一緒に騒いだ。


 楽しい時間だったことを今も覚えている。



 そして、今もこうやってつながっている。



 何だか幸せを感じた。

 どんなに時が経過してもあの頃の関係を大切にしてくれる彼女に心から感謝した。


 「先生、早く社長になって、今度はうちの息子をコネで会社に入れて」と頼まれた。


 なれるかどうかわからないが、それなりにがんばって何とか生きている。


 今日も一日が終わる。