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日本の明るい未来

2019-06-06 05:14:49 | 日記
おはようございます、


このところ映画、降りていく生き方、について書かせて頂きました。



端的にいうと競争社会、比較思考から


共生社会、多様性の受容 への転換です。


社会が経済や成長拡大に向かう時、必ずついていけない人たちが出てきました。


まあ学校教育でも落ちこぼれなんて言葉が有りますが、



さて、いわゆる経済効率にそぐわない人間、経済に関われない人間、つまり働けない人間に存分意義や価値はないというのでしょうか?


私も、かなり長い間、疑問でした、


人間の価値は金を稼ぐ能力?


自分自身この日本という国の方向性や在り方にどっぷり漬かっていましたし、金を稼ぐ事しか見えていなかった気がします。



しかし今思うのは人間とは何らかの意味を持ってこの世に生まれるということです。


聖書には、神は金持ちも貧乏人も作られたとあります、ゆえに金持ちだからといって驕り高ぶってはならない弱い人、貧しい人を顧み、憐れみなさいと、


また仏教の慈愛とは、このことも含めてると思います。



まあ、私の考え方ですが、貧しい人、弱い人、働けない人は、憐れみを受ける側のは、役回りを受けてるのでは?と思うのです、


何故なら、ただ金持ちばかりいたら、どうやって慈愛を学ぶことができるのでしょうか?


金持ちには、自分の力だと主張される方も多いかも知れません。

だから施しなどしたくないと、


しかし聖書には人の持ち物など何一つなく全ては神からの物とあります。


そんなバカな!と思うも知れませんが、


良く考えれば、生まれることも死ぬ時も自分では決められないのではないでしょうか?


本当は生かされているということ、


時代は、立ち止まり、登って行くこと、上昇して行くことから、降りていく生き方を求めている、そんなふうに思います。


最後までお読み頂きありがとうございます。

       m(_ _)m