閑人閑話クン

『 B級グルメ 』と『 大人の遠足 』重視!
ほぼ下らない話  諸事情により、同タイトル Ⅱにて継続中

門仲探訪その1 猿江神社

2019-05-20 21:00:25 | 旅行記・お出かけ






門前仲町で 夕方、用事がありまして  






滅多に行かない所だし  折角だし 






すこし早めに行って 周辺を うろつこうかな って事で 










住吉の  猿江神社へ 


















江東区って 電車の乗り継ぎが メンドクサイの・・以外と 








おまけに 出口間違えて 迷った・・ 



















住宅街の中 こじんまりした その神社を やっと発見 











ん?  御朱印待ちが出来てる 




















土日って どこも結構 人がいるのよね 






























 一千年の由緒と国内最古のコンクリート造社殿 







平安時代後期、


源頼義・義家(八幡太郎義家)父子による奥州遠征(前九年の役)において、


数々の奉勝を立てた家臣に『猿藤太』(さるのとうた)という武将がいた。


武勇の士と讃えられた人物であったが、此の地の入江で力尽きてしまった。


これを知った地元の漁師達が手厚く葬り、当社の境内に塚を建て葬った。


此に因んで猿藤太の「猿」と入江の「江」の字を取り結び「猿江」の社名になったと伝えられる。








神社としての正確な創立年代は不詳であるが、



康平年中(一〇五八)頃には近在の信仰を一身に集め、


稲荷社として境内地五百余坪を有したという。



また江戸時代には、神仏混合の風潮により京都妙連寺の末寺妙寿寺の僧侶が別当職として奉仕し、



寺の隆盛とともに其の名を知らしめたと云う。












亦 築七十余年を経ている、


国内でも最古の部類に入るといわれる鉄筋コンクリート造りの御社殿は、


旧社殿が関東大震災にて焼失後、


昭和六年に宮内庁設計技官の設計により当時としては


とても珍しい頑丈優美な造りの神社として再建された。



このため大東亜戦争の東京大空襲にて、


近隣一帯(深川)が灰燼に帰した時も奇跡的に難を免れ、


錦糸町の駅からは一面の焼け野原に建つ御社殿が望めたという。






昭和二十一年に伊勢大御神を合祀し、


社名を猿江稲荷神社より改称してからも


「猿江のお稲荷さん」として親しまれている。






一千年以上の歴史をもつとされる由緒深き神社である。  


















なかなかファンキーな お猿さんの御朱印帳が欲しい 




 が




  高くて諦める・・ 









 そして 時間があまり無い 







だいたい御朱印の時間て 17時くらいまで ですから





参拝を済ませて




急いで 門仲まで 戻ります   



















近いのに 乗換えもしなきゃ   






   なのです 












 



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