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内倉ひとみのブログ

光・みつめる
美しきものたち

晴天でお散歩

2013-04-07 | 日記

M女史に携帯で呼び出され、一緒に散歩。

ちょうど私は、ここを歩きたいと思っていた。

制作のための用意はできたが、いまひとつ、気持ちが整わない。

大規模DIYの裏の丘、ここはすでに何度も歩いている。

キノコ狩りもしたことがある。

 

下の写真の中央左の白い建物左右に並んでいる針葉樹のところに壁があり、向こう側が東だったそう。

此れは確か、夏の終わりに真っ赤だったような。

この丘の天辺

この丘は、第二次大戦のとき、ナチの中枢だったベルリンは、木っ端微塵に破壊され焼かれた。その時の残土で出来たのがこの丘。

このような丘は、ベルリン市内には、多くあるそうだ。

この下に埋まったしまったものは。。。

 

 

 


装備品

2013-04-06 | 日記

作曲家Mさんに手伝ってもらい、ラッシュ時間は避けて、朝10時以降乗り放題の乗り物一ヶ月券と携帯電話が揃った。

携帯は、アレックスが、先にポルトガルのレジデンシーに2ヶ月滞在したおりに、買ったのだそう。

使わないから、滞在中貸してくれるとのこと。

プリペイド式だが、一ヶ月400分、国内、海外の何処へでも9cent/min.でかける事が出来るそうだ。

 

携帯を借りに、アレックス宅を訪ねた。

Mayako女史が、車でピックアップしてくれて、

私は、お昼ご飯に、卵焼きとおにぎり2種と、きゅうりもみにショウガの千切りをあわせたものを持参。

M女史によると、いま、ベルリンでは、ONIGIRIというものが、ブームになりつつあり、一個2.5ユーロもする高級品だそうだ。

アレックスとM女史と私は、ちょうど10年前、パリで知り合って以来の仲良しだ。

今回は、彼にプレゼントしようと思い忘れ続けていた「鳥獣戯画」のレプリカ巻物をやっと渡す事が出来た。

小さな印刷物の巻物だが、日本の漫画のルーツだよ。13世紀頃だよ。

などど、じっくり見ながら、3人で、笑った。

私も久々にみたので、内容の面白さに、ちょっと惜しくなったが、私より彼の方が役に立つ。

 

彼のアーティスト用のレジデンシーは、昨年、10月に入居したばかりの頃に比べると、大変、落ち着いて来て、また、結構、悲観的なことばかり言う人であるのだが、抜けたのか??

同じ事をやっているのだが、作品に本来の彼の性格の朗らかさが現れて、とても厚みを増して来ていた。

ドーローイング、ビデオ作品と、他のマテリアルを使う事で、彼というものが鮮やかに立ち上がって来ている。

8月に南部の方の美術館での個展を控えている。

おにぎり昼食と、プレゼントですっかり浮かれたアレックスは、彼の故郷のバイエルンを案内するよ。3人で行こう!

何時?と尋ねるや、個展前で、言葉に詰まる。なんだ、やっぱり、アレックス。

変わらない。笑

 


長旅でした

2013-04-05 | 日記

4月3日朝、5:37発東北本線黒田原駅から、黒磯、那須塩原で新幹線そして東京から成田エクスプレス。

成田は、閑散としていた。受付カウンターに並んでいる人がいない。カウンターのお姉さんに世間話をされたほど。

外人はいるけど、なにしろ日本人がいない。

すいすいと全てすすんだが、大嵐のため搭乗したものの出発しない。

別に、危険なら飛ばない方がいい、どうでもいいや。

幸い、機内は大変すいていて、みな一人で2、3席つかって横になっている。

1時間半たって出発、10時間かかって、モスクワ。

ベルリン行きに乗り換え。

日本からは、ヨーロッパ人がほとんどで、静かで穏やかな機内だった。

しかし、モスクワーベルリンにのる中国人女性の老いも若きも、そのお行儀の悪さと我がままぶりには、驚かせれた。

凄いよ~。

どんなかって、ここに書くのもはばかられるほど、馬鹿馬鹿しい。言ってもきかないよね、かなわない。

あれが、中国パワーだろう。

 

そして、ベルリンショーネンフェルド空港に迎えに来てくれていた作曲家MKの車に乗りアパートについたときには、家をでて、なんと26時間半が過ぎていた。

日本からベルリンはどうしてもトランジットしなくてはならないので、時間がかかるとはいえ、こんどは、かかった。。。。

クリスチーネとウルフガング夫妻が、招き入れてくれ、ウエルカムシャンパンで乾杯。

そしてクリスチーネが、チョコ菓子を焼いてくれ、花束を飾ってくれていた。

ほんとに有り難い。感謝!!

 

そして、昨日、とりあえず制作ができるように、私仕様にお部屋をレイアウトした。

アトリエになる居間。

キッチン。

ベッドルーム

トイレ、シャワー。

窓の外、通り側

中庭

 

 


明日

2013-04-02 | 日記

明日の12時成田発で行くんだけど。。。

明日は、大嵐との予報。。。

よていどうりにいかなくても、致し方あるまい。

まだ、もうひとつ荷造りしなくちゃ。

夜8時半。。。


旅支度

2013-03-30 | 日記

今日は、埼玉の小学校校長のZ女史、妹のピアノ教師A女史のダイナマイト姉妹が急に来れないことになったので、旅支度を始める。

 

スーツケース、といったらいっぱい持っているよ。

預ける用と機内持ち込み用。

でも、もはやどれも問題が。。。

今回は、いろいろ荷物の事情から、段ボール箱を預け、機内持ち込み用として新しいのを買った。

だって安かったんだもの。

おまけにヨーロッパでよく乗るEASYJETって、持ち込み荷物のサイズが厳しいから、その厳しさに照準を合わせた。

国内ももっぱらSKYMARKだし。

凄い紫色だけど、売り場で姿見に映したこのスーツケースを引く私の姿には、この色が合った。

後ろの段ボールは、無料預け荷物23kg、3辺の和が158cm以内に収める。

大きいスーツケースは、6kgぐらいあるけど、この段ボールなら間違いなく3kg以内ですむし、

ベルリンについて直ぐ作るLumiere用の紙の短辺が入るように、サイズを調整できる。

飛行機の荷物入れは、かなり低温になるそうだから、結露で段ボールがへたらないように、エアキャップでしっかりくるむ。

その上で、外寸が158cm以内でなくちゃならない。

きびしいよ~。

なんか、私はいつもこんなギリギリラインであくせくしてるなぁ。。。

 

昨夕までは、まだメッキ屋さんの所に行ったりで、旅立ちモードではなかったが、1日に成田に大きい荷物を送るとなると、少し身震いがする。

あ~、あ~。。。めんどくさ~い。

いつもながら全くワクワクしない私の気持ち。

 

 


ちょうど20歳?

2013-03-20 | 日記

もう30年ぐらいは、お会いしていなかったKさん。もちろんその間、音信不通。

ブログに書き込みが入り、直ぐ連絡した。

そして、懐かしい写真があるよと送ってくださった。

場所は、神田すずらん通りの古書店の倉庫を改造したKさんのテンポラリーギャラリー、

その名も、3C123画廊。

右の弱々しい女の子が20歳の頃の私。誰かと思った。

確かにあのコートを着ていた。

とうにきつくて入りませんし、どこにやったのか?

しかし、目一杯、顔を隠したヘアースタイル。まるで世間の当たり前のお嬢さん面をしているじゃありませんか。

毒を一生懸命隠していたんですね。笑

左のおふたりも、立派な大人に見えていましたが、いま見ると若いお兄さん方だったのですね。

後ろ姿の白髪まじりの老人は、日本現代美術界の頭脳だった滝口修造先生です。

このころ、この方々のことを覗きながら、考える美術を学んだ。

 

 


堪えちゃぁ~、いかん!

2013-03-14 | 日記

腰、脚および足の痛さは、ますます痛みを増す。

ふくらはぎは、パンパン。背中から肩、首筋へと棒のよう。

温泉のおかげで、体が緩んで行く作用と信じたい。

大人になって、堪えると云うことを覚えてから、あんまりよくないなぁ。。。

 

 

 

 


すっかりごぶさたしました

2013-03-13 | 日記

2月24日に展覧会が終わってから何をしていたかというと。。。

小品を2点作り、

3月の6~12日は、実家にいた。

その間、腰痛が酷く、また昨年以来の左足の痺れに加え、右足の足首が動かない。

つまりまともに歩けない。

針灸師の弟の見立ては、疲れ過ぎ、疲れがたまっている。

そう簡単には、とれないよ。いた~い、鍼をしてもらい、右足が地に着けるようになって飛行機に乗った。

で、昨夕、那須に戻ってから、温泉三昧。

毎日温泉に入っていれば、どうにかなるでしょう。

眠い。。

 

あっという間に、時間は、経ってしまいました。

しかし、私のこの生きている時間なんて大きな地球の歴史から考えれば、目にも留まらない一瞬のことだから。

漫画を読みたいなぁ。

 


パフォーマンス

2013-02-05 | 日記

仙川プラザギャラリー、東京アートミュージアムの展覧会のパフォーマンス、

2月2日のもの好評に付き、

16日と23日の18時半からも行います。

是非、ご都合が宜しければお出かけくださいませ。

 

 

 

 

 

 


昨日の子供ミニオペラについての翌朝の新聞記事和訳

2013-01-17 | 日記

ターゲスシュピーゲル 3月31日 2012年

ワニの教訓

ゴングは大きい。ライヤンは小さな女の子。

ミニオペラのリハーサルをしている。

彼女が住んで居るクロイツベルグは問題地区。

彼女に取ってこのプロジェクトは音楽以上の意味がある。

大変興奮します」と彼女は言う。

秘められた才能の物語。

 

彼女はゴングを打たなければならない。丁度真ん中を打たなければ。音はふくらみを持たなければならない。でもそれはがちゃがちゃと唸るだけ。ライヤンはバチを固く持ちすぎて、もう指の関節まで白くなっている。それから彼女は叩いた。

ゴングは大きく、ライヤンは小さい。だからこれを鳴らすのは難しい。彼女の周りに男の子たちが群がっている。彼らに取っては少しも音は大きすぎないし、自分たちで鳴らしてみたいのだ。でもこの大きなゴングはイエンツ ニーダー小学校、クロイツベルグ地区、の講堂にある。そしてライヤンがその演奏者。10歳になる、細くて、大きな茶色のまじめな目。これが彼女のチャンスなのだ。

イエンツ ニーダー小学校、クロイツベルグ地区の児童はこういうチャンスはめったにない。彼らはコットブッサートアのあたりで育っている。社会的問題地区で、この数年『大変に遅れている地域』と悪評、その辺りには注射針がちらばり、ベンチにはアルコホーリガー、ホームレスが座っている。大多数のこの学校の児童はトルコとアラビア人の家庭で たったの3人だけがドイツ人との混血である。その上92%が生活保護受給家庭。

学校は彼らに取ってオアシスである。近代的な建物。広めで明るいし、大きな運動場には高い木々が育ち、お花畑もある。打楽器コース、ボーイスカウトなどもある。

今年の1月から48人の児童がミニオペラ『夢遊び』に参加しいてる。この児童は6歳から12歳。多くは楽器など弾いた事もないし、シアターなど行った事もない。オペラプロジェクトは彼らにとっては目覚め、つまり眠り姫がキスで目が覚める瞬間である。

2月のある金曜日。ライヤンはゴングを打つ。大きくて、豊かな低い音が響き渡る。子供オーケストラの音を覆ってしまう。ピアノの子供も、木琴の子供も全員あぜんとして、ライヤンを見つめる。舞台の子供達も見つめてしまう。ライヤンは両肩をあげて、一つの手で耳を押える。「すごく大きな音」とひっそりとつぶやく。

「まだ充分に大きな音ではない」と指揮者は叫ぶ。ライヤンはもう一度、もう一度。まだ充分でない。彼女は口ビルを下げて、ピンクの馬模様のついたシャツをつまむ。あと6週間、3月30日の上演まで。

ライヤンは4年生Cクラスからこのオペラプロジェクトに参加しているたった一人の子だ。先生がライヤンなら授業がときどき受けられなくてもあとからついて来れると思ったからだ。ライヤンは絶対に参加したかった。音楽は彼女のものなのだ。2年生、3年生のときにもうライヤンは歌も楽器も秀でていた。彼女は他の学校では子供劇などが行なわれているなどと知らなかった。だからオペラプロジェクトは当然彼女に取って初めて。早期才能音楽教育なので6歳児がバイオリンやピアノを習っているのに。ライヤンの家にはもちろんピアノなどない。9人兄弟で両親と暮らす。ひところ太鼓があったけれど、弟がつぶしてしまった、という。

男の子も女の子も夜見た夢を作文にすることから始まった。これがオペラのテキストだ。『僕は昨日おとうさんとコンピューターゲームをした。そうしたらお父さんは急に見えなくなったという夢を見た』と男の子は書いた。この子のお父さんはもう亡くなっている。ハティーチェは結婚式の夢を見る。『結婚式にはだれも来なかった。悲しかった』、ライヤンの夢は道化師。道化師は怖かった。子供達の多くは怪物の夢を見た。ビーエムダビュリュー、ランボージーニ、ブガッティなども出てくる。

日本人作曲家、久保摩耶子はこの夢をオペラにした。簡単な音型とノイズ。演出家のマリーケ リューゲルトと指揮者ゲルハルト シェーラーは子供達と一緒に夢物語からシーンを発展させた。放火の疑いをかけられた子供の夢では炎のダンスもある。太りすぎた子の体重計の夢、椅子のお化けの夢、悲しい結婚式、車のラップ。

音楽はライヤンの世界。久保摩耶子が最初のリハーサルのとき、マラカスを子供達に渡した。多くの子供はただがらがらと鳴らすだけ。ライヤンは直ぐにリズムを作った。指揮者のシェーラー氏が鉛筆を渡すと、ライヤンは色鉛筆で五線紙を書いた。音には色があるのだ。そうして、当然ライヤンはオーケストラメンバーになった。

「音楽大学学生や高校生徒と、ここの児童との才能は変わらない」とシェーラー氏は言う。「ただそこではもっとお金が使われ、制度が整っている」、、、「イスラム教の人はだれですか」と聞かれるとオーケストラの子供達は全員手を上げる。「君たちはラッキーだね。僕はキリスト教徒」とシェーラー氏は言う、、、、しかし3月に入って危機が訪れる。明るい気持ちのよい講堂でのリハーサルは何一つ達成する事はできなかった。ライヤンの周りには様々なコングが並んでいる。その前には楽譜立てがある。彼女はノイズを出したり、アクセントをつけたり。様々なことを演奏しなければならない。彼女はバチを手にしてぼんやりしている。「ライヤン、君は寝ているの!」と然り声が飛んでくる。彼女は集中していなかった。他の子供と同然。昨日習ったことを何ひとつとして覚えていない。指揮者の声が次第に甲高くなる、、、

どこにだってリハーサルがうまく行かない事がある。しかしこの子供達は違う。彼らは努力する事を知らない。失敗する事、ダメな事、これをもう彼らは知っている。これが彼らの日常なのだ。歯を食いしばってやり遂げるという事は知らない。あと2週間で発表会だ。

「ああ、怖かった。指揮者は私をオーケストラから外すかもしれない」とライヤンは言う。頭をたれて、みんなの足下を見る。「先生、練習を一緒にしてくれませんか」とやっと言えた。さあ炎のダンス、、、やっとゴングも上達して来た。ゴングは唸り、わめく。ライヤンは長い黒い髪をなびかせて笑う。

ライヤンは磨かれていないダイアモンドかもしれない、と担当の先生は言う。この子は好奇心も高く、積極的。ドイツ語の時間にも朗読をした。ライヤンの成績は3または4。もっとできるはずだ、と先生は言う、、、

家に戻れば、ライヤンの上に4人のお兄さん。ライヤンの下に4人の弟がいる。一番上は15歳、一番下は1歳半。11人家族がちいさな3部屋のアパートに住んで居る。両親はパレスチーナ系レバノン人。お父さんは40歳。時々学校に現れるが、お母さんはだれも見た事がない。お父さんはピザの店で働いていたが過労で病気になった。9人の子供、3部屋のアパート。これでは統計的に見ても教育など考えられない。全ヨーロッパのなかでもドイツではとくに両親の経済事情が子供の学校成績に同期している。ライヤンは毎日2つの世界を行き来している、と社会委員は言う。アラビア人家庭では団結が固い。ライヤンが4時に家に戻ると、4人の弟たちの世話をしなければならない。買い物と食事の用意を手伝わなければならない。宿題をする時間などない。でも彼女は高校を卒業して医学部に進みたいと思っている。お兄さんは高校卒業の手前。いつ勉強する時間がライヤンにはあるだろう。『ドイツはスーパースターを探している』と言われている。でも、お母さんの家事を手伝うことがどうしていけないであろう。きっと家族との団結心をまなぶことも重要だ、、、

失敗続きの3月半ばのリハーサル後、先生たちは心配になってきた。この生徒たちにはやはり難しすぎたのか、おとなの欲で、この問題地区にもなにか別の事を証明しようとしているのではないか、、、

最後の金曜日。初演まで7日。ライヤンは『お母さんが見に来てくれる』という。

先生たちは驚いた。ライヤンのお母さんは正しいドイツ語で電話もかけられる、、、ライヤンのゴングがお母さんの心に届いたのかもしれない、、、

ゴングは素晴らしい音で鳴り響く。ライヤンはできる。リハーサルはいつも2時間半。この2時間半ずっと集中していなければならない、、、、

「君は上手に演奏したね」と指揮者がライヤンをほめる。彼女は誇りをもってうなずく。もう彼女はくたくただ。

給食時間にはミルクライスがでた。「もう辞めようかと思った。きびしい訓練、いつもがんばらなければいけないし、緊張の続き、ちゃんと演奏できないかもしれないという心配がつきまとうし、、、」とライヤンは言う。「でも、絵本のなかのワニが ーもし君が人生で成功したいなら、君はもっとがんばらなくてはならないー といったのよ」

3月30日金曜日。上演日。「すごく上がっている、脈拍だって100以上かも」とライヤンは言う。黒いTシャツのしわをのばし、バチをもう一度確かめて、集中している。さあ始まった。大きなゴングは鳴り響き、舞台の動きに合せてちゃんと演奏した、、、

学校の生徒、先生、友達、父兄、普通の観客、全員がアンコール!と叫ぶ。

ライヤンはみんなとお辞儀する。そうして観客の方を見る。

「残念」とつぶやく。お母さんは来なかった。

そのあとはインラインスケーターで遊ぶ。運動場をどんどん走って行く。

 


制作がいそがしいので

2013-01-16 | 日記

なかなかブログに気持ちがまわりません。

ベルリンの久保摩耶子氏の子供オペラのダイジェストムービーをご覧ください。

ベルリン、ノイケルン地区のトルコ移民居住区の小学校より委嘱され作られた「夢」というタイトルのものです。

Traumspiel Mayako Kubo

かつて東ドイツは、労働力としてトルコから多くの移民を受け入れた。

彼らは、子供を多く作ると子供手当で生活が出来るので、どんどん子供を産む。もちろん産みっぱなし。

そんな家庭環境の子供達のためのプロジェクトでした。

タイトルTraumspielは、日本語で「夢」。

夢も希望も無い家庭環境の子供達の夢のミニオペラです。

小学校の1年から6年生がでています。

恵まれない子供達ですが、ドイツ人と違って、顔が美しいので舞台映えがして、どの子も良かったと云っていました。

このオペラの翌日はベルリンの新聞に一面好評が載ったそうです。

プロヂューサーのカトリーネはこの小学校の教師、後に私も紹介されお友達です。


 


猫返し

2013-01-07 | 日記

空気は冷たいが、空は青く雲は綿毛のよう。風はなく、日差しは強い。

叔母がせっせと作っては、親戚に配給してくれる酵素を飲み続けているせいか、足が冷えなくなってきた。

制作は、こんな。

そして、猫がアトリエに上がってこないよう、猫返しを設けた。

おしっこで私の作品にサインをいれたのは、どう考えても太郎。奴の動きが怪しすぎる。。。

ちなみに外猫のヨシヲさんは、父によって改名され、ゴンと名付けられました。

父は自身で気に入った名前にしてからというもの愛情を注いでいるが、此れだけ懐いていい子なら誰にあげても良いと。

 


お正月の庭

2013-01-07 | 日記

作曲家のM女史が、買って植えてくれた葉牡丹。

葉牡丹にはあまり興味が無かったが、じっとみると真冬のバラ、またはカメリアのよう。

パンジーが、苦労しつつも根を張って。

水仙ももうじき。

そして、なんでしょう、これ。


母の宝物

2013-01-06 | 日記

母は私の母だけあって、相当な変わり者だった。

昆虫採集もやっていた。蝶が特に好きで、蛾も好きだった。

夏の夜、羽を開くと10cmもある蛾が、家の壁に停まっているのをみつけると美しいといって見とれていた姿を思い出す。

美しいといって、よく殺せるものだ。

貝殻もタンスひとつ。これは渚に打ち寄せたものを拾い集めたものだったので、許せる。

母の貝殻、珊瑚の採集品の棚の中から、これらを貰うことにした。

特に変わっているのは、これ。

不思議な形、ほおずきのようなの。