雄一郎の半生

こんな人生もあるのですね。ノンフィクションの半生記
全ては、書けませんが。。。

自営の道へ

2021年05月28日 06時00分00秒 | 日記

雄一郎の半生

 
ネットワークビジネスに参加してからは
妻も仕事を辞めていた。
一緒にビジネスの拡大をしたが
思うようには、実入りが無く
生活が成り立たなくなっていった。
仕方なく、ビジネスを辞めて二人で
出来る仕事は無いかと探していた。
そんな時に、理美容室などで
プロが使用しているハサミの販売の
仕事の話を聞く機会があり、
自信は無かったが始めて見ることに、
全く知らない職種に入っていった。
 
2年ほど販売をしたが、なかなか
思うような実績は上がらなかった。
しかし、この頃からある記録を
作る癖がついてくる。
と言った方が良いかは分らないが。
ネットワークビジネスでもそうだったが
最短で50人の傘下を作ったのは
記録だったそうである。
ハサミの販売でも、1日の販売実績が
たまたま、その会社のプロの販売の
売上げをしのぐ、実績をあげてしまう。
なんと、1日の手取りが当時で
20万円を超えたのだった。
そんな日が時々あれば、やる気も
出たのだろうが、後にも先にも
この一回だけだった。
 
販売はなかなか大変だが、
シザーのメンテナンスは比較的
依頼を受けることがあった。
これを何とか収入に繋げることが
出来ないかと思っていた矢先に
メンテナンスをしながらシザーの
販売をしている、他社の研ぎ師に
会った。この人の話では、
販売では平均月に2から30万円程
の利益が有り、それにメンテナンスを
加えると、毎月の利益は5から60万円
にもなるという。
自分も、これなら夫婦で何とか
生活が出来そうだと、シザーの販売を
辞めて、自分たちでメンテナンスの
技術を学ぼうということになった。
短期間で、技術を習得が出来るのか。
あせりもあった。
 
次回につづく。

大きな夢を見たが・・・

2021年05月25日 06時00分00秒 | 日記

雄一郎の半生

 
実は、このネットワークビジネスに
参加する前にも、ミシンの販売や
住宅リフォーム会社、地域の情報紙の
営業などの仕事もしてみたが
続かなかった。情報誌の営業で
ある人物と知り合い、NPOに参加も
していた。ここでは定期的に活動の
打ち合せや、セミナー、会合などが
行われていて、NPOの理事長や
部長などとの交流もあった。
 
ネットワークビジネスはやはり
講習会やイベント等が頻繁にあり
まじめに参加をしていると、その他の
仕事は手に付かなくなる。
ビジネスでは大きな夢が語られている。
セミナー等に紹介した人達を参加させて
自分のグループの拡大と共に
雀の涙ほどのバックが入る。
いかに、早く大きなグループを作る事が
成功の鍵と教えられて、初めは
通常10人ほどのグループから始まる
のだが、少し間があったが半年で
今までの人脈を犠牲にして
50名を超えるグループになった。
しかし、思ったほどの見返りは全くなく、
これでは、生活が成り立たなかった。
 
母の死亡保険金も底をつき、
とうとう、カードローンに
手を出すはめになった。
借金地獄が始まろうとしていた。
何か、付いてないなー。。
 
次回につづく。
 

ネットワークビジネスへの参加

2021年05月21日 06時00分00秒 | 日記

雄一郎の半生

 

KU子との挙式が済んで自宅に
帰ってきたが、仕事をどうするか
と、毎日悩んでいた。
そんな時に、以前の知り合いから
「興味のある情報があるので
セミナーに出席してみて」と、
連絡が入った。あまり乗り気では
無かったが、少しでも何かに繋がれば
と、出席してみた。すると、
会合では、若者からお年寄りまで
幅広い年代の人が集まっていて
活気があった。2部制で必ず
2部まで出席して欲しいとの事
だったので、暇なので
受けてみた。
 
1部は、健康に関する一般的な
情報と、特に目に関する商品の
説明だったが、2部はビジネスの
展開方法を詳しく説明していた。
セミナー終了後に講師が直接
話しかけてきた。しかし、何か
顔が貧相だという印象だった。
 
後日、紹介してくれた人から
連絡が入りアップという
紹介するとの事で3人で会うことに。
その時にアップの人は、
何かの優勝したときの盾を見せて、
ある、大会で優勝した経験が
あることを自慢していた。
一応、あまり気が進まなかったが
参加してみることに、
後にこれがネットワークビジネス
と分ったのだが、、、
参加してからは
最初の勢いは凄かった、が。
 
 
次回につづく。

ハワイで結婚式

2021年05月18日 06時00分00秒 | 日記

雄一郎の半生

 

KU子との出会いから、ぽっかり空いた
心のキズが少しずつ埋まっていく
ように思えていた。
KU子も前夫と離婚が出来て
二人で住みだした。母の葬儀も
終わり、多少の死亡保険金も入り
少しは、一段落したように思えたが
これからの生活を考えると、まだ
安心は出来ない状態だった。
ここで区切りを付ける意味もあり、
思い切ってハワイで挙式を
することにした。挙式といっても
二人だけの式で、誰にも祝福は
されない。
全ての段取りを旅行会社に任せて
出発した。初めてのハワイだった。
時差ぼけでハワイに着いてからも
もうろうとしていたが、ホテルから
式場に行くときに、ロビーで
沢山のお客さんが拍手で
送ってくれた。ありがたかった。
 
式場は、教会で行ったが
ビデオを撮影してくれたスタッフと
牧師さん達の5人ほどの人数で
協会内が広々としていた。
式が終わったとき、何故か涙が
出た。スタッフさん達からは
意外にも「凄く感動した」と
声を掛けられた。
7日間のハワイにての挙式と
旅行が終わり機内から
オアフ島を見ていたが、何故か
「又来るから」と心で呟いたいた。
 
オアフ島ホテルの部屋から
 
ホテルから
 
ホテルから
 
ホテル前
 
式場前
 
ホテル前
 
2002年10月
 
次回につづく。

心に大きな穴。

2021年05月14日 06時00分00秒 | 日記

 

雄一郎の半生

 

母の葬儀は、私の誕生日の1ヶ月前に
なったが、台風が接近しており大変
荒れた天候になると思いきや、
台風一過の晴天になり、暑い日だった。
近くのメモリアルホールで行ったが
母の思い出があふれ泣けた。
 
入院していた病院との話し合いも済、
一段と心に大きな穴があいている。
重なるときは重なるものだ、
永らく勤めた調査会社が突然の
解散で無職になり。
前妻との離婚で、
泣く泣く次男の親権を手放し、
やっとの思いで長男を大学に上げ、
母の事故死とも思える状態からの
ゴタゴタがあり、
バカ親戚達と絶縁し、
近所からは前妻のせいで
村八分にされており。離婚してからも
前妻は、私のツケで近くの
ガソリンスタンドで給油をしており
私が知らないうちに私宛に請求を
された。全くこれ一つをとっても
どんな女だったかは、判るだろう。
数えるときりが無くなる。
 
そんな中でもたった一つの希望と
なったのが3番目の妻となるKU子と
巡り会えたことだったと思う。
当時は、ゴタゴタや失業など
自分の今が全く見えない時期
で、正直またもや惰性で入籍した
様な気持ちも多かったのだろうが
後に考えてみると、良い判断だった。
 
気分転換とまでは、行かないが
ハワイに新婚旅行に行くことに。
 
次回につづく