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お山にお宮がたちました

お山の神様と神社仏閣めぐり

七福神

2024-08-19 06:05:00 | 四国八十八箇所 別格二十箇所
待ちに待った七福神様が我が家にやって来ました。額と弁才天様のお札のみ南予の観自在寺にて購入して、一緒にお遍路をはじめたご夫婦に、買い忘れた六神様のお札をお願いしていました。
そして、このご夫婦も全て買ってました🥰

このご夫婦と、最近はいつも、お遍路珍道中のお話をします。夫婦共にいつも笑っていて、明るくて、そして優しくて、仕事で知り合ったのですが、出逢えた事に感謝しています。

寿老人様

おん ばざら ゆせい そわか
(うん ぬん しき そわか)

寿老人さまは道教の神仙(神)で中国の伝説上の南極老人星(カノープス)の化身とされています。

長寿のシンボルである桃や難を払う団扇を持っており、そしてしばしば鹿を従えた姿も特徴として見られます。

福禄寿様

おん まかしリ そわか
(うん ぬん しき そわか)

道教で強く希求される3種の願い、
幸福(子に恵まれること)
封禄(財産のこと)
長寿(健康を伴う長寿のこと)
の三徳を具現化したもので、宋の道士・天南星の化身や、南極星の化身(南極老人)とされ、七福神の寿老人と同体異名の神とされることもあります。

容姿としては、背が低く長頭で長い髭をはやし、杖に経巻を結び、鶴を伴っている姿とされます。


恵比寿様

おん いんだらや そわか

恵比須様は遠方から福を運んできてくれる海の神様、豊漁の神様として信仰され、やがて農民や商人にも広まり、商人には商売の神様、農民には田の神、山の神として豊作の神様となっています。
事代主神ともいわれ、記紀神話の国譲りの項で、大国主神の使者が事代主に天津神からの国譲りの要請を受諾するかを尋ねるために訪れたとき、事代主が釣りをしていたので、えびすが海の神であることが結びつき、江戸時代になってから恵比寿様を事代主様と同一視する説が出てきたようです。

七福神の絵図でえびすが釣竿を持ち鯛を釣り上げた姿で描かれるのは、この事代主神の伝承に基また、事代主の父である大国主命が大黒天と習合したことにより、えびすと大黒は親子ともされています。

大国様

おん まかきゃらや そわか

大黒天(だいこくてん、マハーカーラ、音写:摩訶迦羅など)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたもので七福神の一柱です。

マハーカーラ→ まかきゃらや
ですかね。

日本においては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道の神である大国主と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰される。後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となった。

須佐之男命の娘である須勢理毘売命との婚姻の後に少彦名神と協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、大物主神を祀ることによって葦原中国の国作りを完成させますが、高天原からの天照大御神の使者に国譲りを要請され、対話と武力を交えた交渉の末に幽冥界の主、幽事の主宰者となったといわれます。

国譲りの際にかつて須佐之男命から賜って建立した「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿(出雲大社)を修復してほしいと条件を出したことに天津神が同意したことにより、このときの名を杵築大神(きづきのおおかみ)ともいわれます。


毘沙門天様

おん べいしら まんだや そわか

ヴェーダ時代から存在する古い神様であり、インド神話のヴァイシュラヴァナを前身とします。

ヴァイシュラヴァナ→ べいしら まんだや
ですかね。。

ヒンドゥー教にはおいてはクベーラともいいインドにおいては財宝神とされ、クベーラを音訳した「鳩鞁羅」、「拘鞁羅」、「金比羅」として言及されています。

これは、金毘羅様とも関係ありますね❣️😳
金毘羅様が発祥した四国に伝わる地元の縁起によれば、インドからやってきて日本の四国の象頭山の頂に降臨し、弘法大師に「祀って欲しい。」と姿を見せたといわれます。
その姿は体に鱗のある龍体であったといわれます。

金毘羅様は津野山の神様でもあり、本当にお世話になっている大好きな神様です🩷

パーリ仏典において、毘沙門天はヴェッサヴァナ(Vessavaṇa)と呼ばれ、ヴェッサヴァナは過去世において「クベーラ」という名前を持ち、スリランカで、サトウキビ畑を有するバラモン階級の富豪として生き、7つ所有していた工場のうち一つで生産されたものをすべてを、2万年間貧しい人々に施し続けたとされる。その後クベーラは、善果を得たことで四天王天に生まれ変わります。

毘沙門という表記は、ヴァイシュラヴァナを中国で音写したものであるが「よく聞く所の者」という意味にも解釈できるため、多聞天とも訳され、日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例であります。

毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺であり、ムカデを毘沙門天の使いとするのは日本独自の信仰であります。

日本最初の、毘沙門天出現霊場の信貴山奥の院、京都・鞍馬寺、神戸市北区唐櫃の六甲山多聞寺 (神戸市北区)、高知・雪蹊寺など、毘沙門天と吉祥天を一対で安置するもの(奈良・法隆寺金堂像など)、毘沙門天と不動明王を一対として安置するもの(高野山金剛峯寺像など)があります。

弁才天様

おん そらそばていえい そわか

弁才天はヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーで、ヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持っています。創造神ブラフマーの妻であり、実在したサラスヴァティー河の化身とされ、流れる川のせせらぎから「流れるもの」を連想する音楽や言葉などの才能をもたらす神とされました。

こちらも、
サラスヴァティー→ そらそばていえい
かな。

日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インドや中国で伝えられるそれらとは微妙に異なる特質をもち、本地垂迹では日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命と同一視されることが多く、古くから弁才天を祭っていた社では明治初頭の神仏分離以降は、宗像三女神または市杵嶋姫命を祭っているところが多いようです。

また、瀬織津比売様が弁才天として祀られる神社もあり、兵庫県六甲山山頂にある大きな磐座をご神体とする六甲比命神社は弁才天を瀬織津比売様として祀っています。

六甲山麓・周辺には弁才天を鎮守神とする寺院が多く、神呪寺の南の目神山の、役行者と弁才天が邂逅したという伝承のある場所の磐座には役行者の像が鎮座しています。
役行者はその後、天武天皇と共に、天河で伊勢神宮内宮荒祭宮の祭神を弁財天として祀る天河大弁財天社を創建したといわれています。

布袋様

おん まいたれいや そわか

唐代末から五代時代にかけて明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧であります。

太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩き、そのトレードマークである大きな袋を常に背負っており、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたといいます。
その姿は風変りであったのですが、素直な気持ちの持ち主で、人々を満ち足りた気持ちにさせる不思議な力を持っていたといいます。

謎めいた公案のような問答や、偈や歌も残しており、歌の中では、心の真実の大切さや、閑たる心境を求めることを説いています。

その最期についても不思議な逸話が伝えられているとか。。

天復年間(9世紀末)に奉川県で亡くなり(貞明3年(917)に嶽林寺で遷化したという説もある)埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられ、その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録があるようです。

「景徳傳燈録」によると布袋は死の間際に
彌勒真彌勒 分身千百億(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり)
時時示時分 時人自不識(時時に時分を示すも時人は自ら識らず)
—布袋和尚、景徳伝灯録

という名文を残しています。

このことから、実は布袋は弥勒菩薩の化身なのだという伝説が広まったといわれています。
御真言も弥勒菩薩の御真言と同じです🩷


天橋立で買って来た宝船とこの額を一緒に飾りました。
「 永き世の 遠の眠りの みな目ざめ 波乗り船の 音のよきかな 」



何気なく日本人が大切に祀ってきた七福神様は、地球の大きなお役目を担ってくださっている神々のようで、有難いと思いました。

遠の眠りの みな目ざめ

神様は人間の魂の目覚めをあたたかく永い間、見守り待ち望んでくださっているのですね。ありがとうございます。

感謝の気持ちで、七福神様の御真言を宜しければ唱えてくださいね❣️






8月お詣り 姪っ子達と

2024-08-18 07:01:00 | 田舎の神様のこと
花火が観たいと、姪っ子が高知にやって来ました。
一人の子は海外の大学に通っていて、親に海外の学校に行かせてもらい、高い学費を出してもらっているからと言って、異国の地で自分でアルバイトをして生活費を稼いで頑張っています。
本当にしっかりしていて、勉強も頑張っていて感心します。国の垣根を越えた友達の多さに驚かされます。

もう一人は、心の優しい、穏やかな高校生。母思いで、皆んなを癒してくれる、とにかく可愛い子です。

草が生茂り、歩いてしか上がれなかった3年前から、二人ともお山に来たことがなくて、今回ジムニーで上まで上がれて喜んでいました。


神様も、姪っ子の参拝を喜んでくれたと思います。
上の子は、日本に帰国することも年に一二回なので、東京から高知まで足を伸ばして来ることも珍しく、よく来てくれましたという感じです。
母が入院していて、父のお盆2年目は誰も家にいないからと、姉二人が実家の手伝いに帰って来てくれることになりました。

この日の朝、お坊さんが来て、お経を唱えてもらい、父のお祀りを終え、津野山へ。

天井画お母さんが描いたんだよ。。。
と話していました🥰


そして、天狗高原へ。
天狗高原に行く途中、大雨が降り始めて、霧で全く景色がみえなくなりました。
でも、30分ほどでお日様が顔を出し、空気が浄化され美しい景色になりました。


ここは、津野山の神様のところからすぐ近くにある天狗高原。
愛媛県と高知県の県境にあります。

姪っ子が喜んで、
はい高知❣️はい愛媛❣️
と言って、この間を行ったり来たり。
本当にいつも笑っている明るい子です。


雨も上がり、車に乗って高原ドライブです。




高知が過去一楽しいとか、高知がどんどん好きになると言ってくれて、その言葉だけで、色々なところに連れて行ってあげたいと思いました。


高知に住む人間は高知が大好きです。
だから、高知が好きと言ってもらえたら本当に嬉しい💕




大雨が降り、浄化され、日がさしこみ、日本の世明けを感じます。


浴衣を着て花火を観る。これが日本🇯🇵の夏でしょ。
姪っ子が言います😆

これをしたくて高知に来たのです。
天狗高原のホテルで着替えだけさせてもらって、これから津野町夏祭りに出発です。


田舎の祭り。
屋台で食べたいものを買って、都会の祭りは人人人だから、こういうのもよかよか🥰



そして8時から始まった花火。1,300発だから、それほど多くはないけれど、近いし大きいし、とても喜んでくれました。



姪っ子が、海外でみた花火の動画をみせてくれたのですが、今回の花火の動画をInstagramにのせて、日本の花火の格の違いをみせてやる❣️と笑って言ってました。
日本の花火は品があり、格が高いと。。^_^

盛りだくさんの一日、家に帰ると夜の11時になっていて、クタクタになりましたが、本当に楽しかったと喜んでくれました。
姉二人、姪っ子、夫に私、皆が楽しみました。

そして、この日の翌日、母が娘に会いたいからと病院で先生にお願いして、急遽退院が決まりました。
今回は会えないと皆んな諦めていた母に、会うことが出来て、大喜び。

今回ばかりは、母の事を今までで一番心配しました。そんな状態だったのですが、入院前より元気になって、痛みも無くなり、奇跡的な回復をしてくれました。
まだまだ完全に良くなった訳では無いですが、日常生活は送れそうで、助けてくれたことに心より感謝しています。

本当に本当にありがとうございました🥹



四国遍路 逆打ち 十七日目

2024-08-17 06:39:00 | 四国八十八箇所 別格二十箇所
8月の3連休は、ずっとお遍路をしており、最終日は、朝7時過ぎにホテルをチェックアウトしスタートしました。
徳島中心街は、この日から始まる阿波踊りで、街中に提灯が飾られており、出店や桟敷席が用意されていました。

17番 井戸寺
16番 観音寺
15番 国分寺
14番 常楽寺
一宮神社
13番 大日寺
12番 焼山寺
11番 藤井寺
別格2番 童学寺
10番 切幡寺
9番 法輪寺
8番 熊谷寺

徳島市中心から30分弱で到着した17番札所 井戸寺。
この日は、神山や眉山、剣山といった霊山の看板を眺めながらのお遍路となりました
いつの日か、神々の聖地である徳島県を、ゆっくり探索したいと思います。

徳島県には、1915年に浮島八幡美宮という政府により爆破された神社があったようです。
徳島の吉野川の日本最大の中州にあった神社で、気になるので、いつの日かその場所で手を合わせたいと思います。
治水工事のためという理由だったようですが、実は、爆破して無くす必要のない神社だったようで、酷過ぎると驚きます。

徳島県のあわは言霊的に、はじまりから終わりまでといった感じがして、神々の聖地が不思議なレイラインにあります。
眉山と剣山山頂に祀られている御祭神は素戔嗚尊だともいわれてます。

17番札所 井戸寺




16番札所 観音寺



15番札所 国分寺


七重の塔が建っていた跡のようです。


14番札所 常楽寺
本堂右手にあるアララギの霊木の木の股に大師を祀り、「アララギ大師」と呼ばれる霊木があります。




徳島の一宮神社。
御祭神は大宜都比売命・天石門別八倉比売神です。
大宜津比売様、月の神様ですよね。。



鎮座地は徳島市の西部で、周辺は「一宮町」という地名になっており、東方にある山の頂上にはかつて小笠原氏の「一宮城」という城があった。元々は上一宮大粟神社(名西郡神山町)が阿波国一宮であったが、参拝に不便であるため平安時代後期に国府の近くに分祠が作られ、こちらが一宮となったと伝えられています。



13番札所 大日寺は一宮神社の向かいにあります。


12番札所 焼山寺。
今までの札所は、全て比較的近いところにあったのですが、焼山寺はかなり離れたところにあり、この日の難所です。




こういう自然溢れるところが好きかな。。


11番 藤井寺
弘法大師が五色の藤を植えたとか。。
入り口に藤の木がありました。


白龍弁財天の堂がありました。


別格2番 童学寺


いろは唄と空海さんの像がありました。

いろはうたは、イエスは「咎なくて死す」という暗号が唄の中に秘められており、無実の罪で死んでいったイエスキリスト様のことを訴えた唄であると教えて頂きました。

空海さんは、そのことがわかっていたのだけれども、時代が追いついてなかったので、いろはうたに、この事を後世に伝えようと、唄に込めたのだと思います。

空海さんは、この時代に覚醒し、悟りを得、天と繋がったものの、時代が追いついておらず、神々の世界をどう人々に伝えるか苦悩したのかもしれません。

この世の不条理を目の当たりにして、心の平安を人々が得るには、目に見える形で神々の世界を表現しなければならないと、八十八箇所霊場を開いたのかもしれないと思っています。

神は自然そのものであり、有形の仏像なんかではなくて、眼に見えない大いなる存在だと思い、手を合わしています。
神は、天であり、地であり、風であり、太陽であり、月であり、星であり、空気であり、その中で循環して全てが生かされており、人間も、何ら他の動植物と変わらず、循環というサイクル中に生かされているんだと、そんな事を思います。

暑い日だったので、涼しい風鈴🎐の音に癒されました。



 
10番 切幡寺
三三三段を上がりました。







9番 法輪寺


入り口のお地蔵さんが可愛い🩷


そして、この日最後となります。
8番 熊谷寺
提灯に光が灯っていました。




全て終わって、17時。
最後に弁財天様にご挨拶。


この日は札所札所が比較的近かったこともあり、沢山まわりました。
これだけまわると、体力をかなり消耗しました。

あと、7札所➕別格1番を残すのみとなりました。あと1日で終わるかな。。
最後まで頑張ります。




四国遍路 逆打ち 十六日目

2024-08-16 06:04:00 | 四国八十八箇所 別格二十箇所
ようやく、徳島県までやって来ました。

22番 平等寺
21番 大龍寺
20番 鶴林寺
別格3番 慈眼寺
19番 立江寺
18番 恩山寺

阿南市のホテルに泊まり、翌朝8時前に出発しました。
22番平等寺。


弘法の霊水です。
冷たくて美味しい水を、こちらからいただくことが出来ます。


平等寺からそれほど遠くないところにある、大龍寺ロープウェイ🚡乗り場に向かいます。
前回は霧が凄くて、よく見えなくて。。
霧も、幽玄の世界で、風情があったのですが、今回は晴天で、前回見えなかった景色を堪能しました。

ロープーウェイから眺めることの出来るオオカミの像がある山犬ケ嶽。

山犬ヶ嶽には、今から千二百年ほど前の平安時代に、たくさんの日本オオカミ(山犬)の群れが暮らしていたそうで、空海は、舎心ヶ嶽 岩上で百日間の修行中、 山々に響くオオカミの遠吠えを聞いたといわれています。


二つの山越えをしてたどり着いた大龍寺。




弁財天が祀られていました。
水に浮く蓮の花🪷が美しいです。


そして納経所で珍しい紫の蓮をみつけて寄っていくと、隣に何とmokoちゃんのもこん炉がありました😳🩷


大龍寺の住職さんと知り合いになって、もこん炉を置いてくださいと渡してきた話を、以前mokoちゃんから聞いていました。。
が忘れてました。😅

思わず写真を撮り、mokoちゃんにLINEで送ってあげたら大喜びしていました。


そして、こちらにある龍の天井画、素晴らしかったです。


20番札所鶴林寺は、車で行けますが、とても遠いです。
大龍寺も鶴林寺も山のてっぺんにあります。



鶴が阿吽で並んでます。




そして、鶴亀がこちらで揃いました。


別格3番慈眼寺。
こちらでは、穴禅定をしたかったのです、先達さんと予定が合わず、今回も見送りました。
今までで、唯一、心残りの札所になりましたが、また来ようという気持ちが芽生え良かったかも。。


ここは本当に凄いところです。


そして、19番立江寺。

不義をしたお京が詣ると毛髪が逆立ち鐘の緒に巻き付き残ったとの伝説が残る札所で、黒髪堂には髪が祀られています。




そして、この日最後は、恩山寺。




そしてそして、感動した阿波踊り


本当は一泊の予定だったのですが、南海トラフ注意報が出たからか、以前、見た時はどのホテルも高すぎて泊まれないと思っていたのに、当日、とてもお安いホテルが空いていて、急遽予約を入れ次の日もお遍路をすることにしました。

そんな流れで、偶然観ることが出来た阿波踊り。
最高で感動しました。



四国遍路 逆打ち 十五日目

2024-08-14 12:04:00 | 四国八十八箇所 別格二十箇所
自宅を朝8時過ぎに出発、この日は高知県安田町にある神峯寺からです。
その前に、山の上にある神峯神社へ。

神峯神社
27番 神峯寺
26番 金剛頂寺
25番 津照寺
24番 最御崎寺
別格4番 鯖大師本坊
23番 薬王寺

神峯寺の上には神峯神社があります。
この神社、凄いんです。。
御神体である燈明巌が国難の時に青光りするらしいのです。

その前に、前回は気付かなかった岩尾社におまいりします。


神峯神社です。
御祭神は大山祇神。


燈明巌のいわれがこちら。


高知県にはここ安田町に燈明巌があり、日高村には災難の時光る小村神社の燈明杉があります。

こちらが燈明巌。
経を唱えさせていただきました。


南海トラフ、大騒ぎになってますね。
観光客が旅行をキャンセルしたり、なんだか大変みたいです。
備えあれば、なるようになると考えており、あまり憂えず、何も変わらない日常を送っています。

本当に災害がくる時は、きっと燈明巌と燈明杉が光ると思います。
神様は全てわかっているだろうし、地球も我慢して抑えてくれてたんだろうけど、抑えきれなくなったエネルギーを、いつかは放出しなければならないでしょうから。

予言とか、もうどうでもいい。
世の中に予言が溢れていますよね。
恐怖を煽るだけならあまりやって欲しくないかな。

南海トラフ圏内に住む人は、どうなっても、天に運命を委ねるしかないですからね。

 
さて、そんな私はお遍路に出かけます。
神峯神社を降り、神峯寺をお詣りです。




そして、空海さんが悟りをえた室戸にやって来ました。
26番金剛頂寺。
厄除けの坂を上がります。厄年じゃないけどね。




お昼は花月で海鮮丼。13時半には店を閉めるので間に合って良かった。
夫は食べるのが大好き。美味しいところをよく知ってます。
花月の海鮮丼は私も大好きです。
この海鮮丼、お安くて2,000円もしないんです。。。🥰


そして、花月近くの津照寺。


頂上からは室戸の海が眺められます。
海はすぐ側。


そして、室戸の端っこにある最御崎寺。


クワズイモの緑と赤の鳥居のコントラストが美しいですね。


そして、高知市内から遥々遠いところにある鯖大師本坊。


入り口にたつ仁王様、力強い感じがしますね。



そして、どうしてもここまで来たかった日和佐にある薬王院。
高知県の人は厄年になると日和佐にお詣りします。


薬王院にある観音様。お優しいお顔をしていますね。




薬王院から眺める景色は美しかったです。


時計を見るともうすぐ17時。
予定通り、日和佐まで行くことができました。


高知県を終え、徳島県に入りました🩷