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私の 37か国の 旅日記

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アルハンブラ宮殿の内部 そこは・・・

2016-12-10 10:40:27 | 日記
「雨のアルハンブラか」と、がっかりするが、気を取り直して「雨の日には雨に
濡れる風情もある」と自分を慰める。雨に濡れるアルハンブラを観て帰ろう。
と、王宮より見学が始まる。

メクアールの間、裁きの部屋といわれ、余り大きくない、この部屋は綺麗な絵
タイルや細かいアラベスク模様が目を引く。

次が、天人花の中庭に出た。細長い池を囲むように生け垣が有る。その池の周り
を一周りして、バルカの間を通り、王宮で一番広い、大使の間に来た。
ここは王様が謁見などの公式行事を行う所で、その隣には、1829年アービ
ングが滞在し、アルハンブラ物語を書いた部屋が有った。

そこからライオンの中庭に出た。ここがまた趣向を凝らした素晴らしい中庭だった。
イスラム情緒を味わう最高の場所で、アーチ形の柱が幾何学的に並び、アラブ無限
連続模様の、オンパレードだった。宮殿で一番気に入り去りがたい所だった。

ライオンの庭を挟んで、アベンセラヘスの間と、もう一方に2姉妹の部屋が有り、
それぞれメカラべ(鍾乳石状の装飾)と呼ばれる丸天井に特色の有る部屋、2姉妹
の部屋の奥に、ダハラの見晴台が有った。王宮の女性たちは、王以外の男性を見る
事ができず、ここから外の景色を楽しんだという。

ハレムという想像の世界が有り、女性同士の嫉妬など、今も昔も変わらない人間
模様までが見えてくるようだった。

バルタンの庭園、貴婦人の塔と誰が名付けたか、王宮には美しい名で呼ばれている
所が沢山有った。

アルカサバ(要塞)ここは13世紀にできた要塞で、宮殿内では、一番古く、今は
廃墟となり、見学は出来ない。昔は24の塔が有ったとか。  🍀 明日に続く。

フラメンコの踊り子は家族全員だった

2016-12-08 16:00:06 | 日記
グラナダに住むジプシーがサクロモンテで、白い漆喰で塗られた洞窟の中で、
フラメンコショーをやっていた。家族全員が出て来て踊る。10才位な女の
子から祖母や男性までいた。着古した衣装で場末のフラメンコというイメー
ジだが、それなりの味わいもあった。

ここで、ライトアップされたアルハンブラ宮殿を観た。ライトに照らされ、
浮き上がった城が、目の前に観える。私は嬉しさで感激した。
もう12時が過ぎていて寒い。

12月27日(月)グラナダ~ミハス~トレモレノ

グラナダはサラセン文化の残景を留める街。(サラセンとは東インドの西部
から西はリベリア半島に及ぶ地域、7世紀~15世紀にかけて興亡したイス
ラム王朝の総称)スペインという国を表現する言葉に、情熱、哀愁、光と影
など良く使われるが、それはグラナダをイメージした言葉とか。

アンダルシヤの南西部に位置し、グラナダは南スペイン。800年に渡りイス
ラム文化が支配した、最後の都となった所で、ネバダ山脈の雪解け水が、一年
を通して絶える事がなく水に恵まれて都。
 
ホテルを後に、今日は旅のハイライトになるアルハンブラ宮殿へ向かった。
アラブ芸術の粋を集めた華麗な宮殿は、中世のお城で、最後はフェルナンド
11世の居住だった。
宮殿は4つの部分から成り立つ、①王宮②カルロス5世の宮殿③アルカサバ
④四ヘネラフェ。

バスはやっと通り抜けられる宮殿の入り口からグラナダスの門を入り、バスを
降りて歩き始めた頃から、冷たいこぬか雨が降ってきた。
🍀明日に続く。



スペイン人は美男美女が多い

2016-12-07 13:30:14 | 日記
着工から240年かけて増改築を重ね、様式もゴッシック、ルネッサンス、
バロックと年代によって違う。回教のイスラム教寺院の中に、キリスト教会
作られた。

ここで、幸運にも日曜日のミサを観ることができた。正面に祭壇、高い所に
マリア像がある。神父が白い衣を着て祭壇の上に上がり、ローソクに灯りを
ともし、香を焚き水を手ではねる。神父の説教が始まり、パイプオルガンに
合わせて讃美歌を歌う。広い寺院の空間を歌声が響き渡る。
信仰心のない私は息を潜めて見守った。

寺院を出た所に、花売りのジプシーがいた。ジプシーは13世紀頃インド
から北アフリカの海岸づたいにリベリア半島に安住の地を求めてきたが、
なかなか、現地の人々と同化できず、彼ら独特の生活様式を持ち続け、生活
は何時になっても向上できず変わらない。

スペイン人は日本人のように目と髪の毛が黒く美男美女が多い。東洋人の
私達から見ると情熱的で魅力的。混血が進み色々な顔が有り、人を観ている
だけでも楽しい。

コルドバを後に、一路グラナダへ向かう。夏になると道路の両側は、地平線
までひまわり畑が続くという。アルカレーラの街を通りグラナダ迄130K。
3時間で到着した。

夕食後、少し疲れていたが夜の10時から始まるフラメンコを希望者だけで
観に行った。ホテル迄マイクロバスが迎えに来てくれた。
アルバイシンの丘の中腹にアラブて的な古い街が有り、そこにタブラオと言っ
てフラメンコショーを見せる洞窟が有った。

🍀 明日に続く。

コルドバは 素敵な街

2016-12-06 10:08:34 | 日記
ローマ橋。グアダルギビル川に架かる2千年前に架けられたローマ橋は、戦争の
度に破壊と修復を繰り返し、現在に至っている。石造りの橋はアーチ形で柔らか
さがある。川の水は静かに流れ岸辺で遊ぶ白鷺が群れをなして飛び去った。

17世紀、伊達政宗の遣唐使の一行も、この橋を渡っていったとか。

12月26日(日)

コルドバはいぶし銀の風格のある街。千年前の昔に一大文化が栄えた所で、市内
半日観光で、ホテルの近くのユダヤ人街まで歩く。

通りは小さい窓の白壁の家が並び、路地の角には路地名や番地を示す、アラビア
文字や個性のある絵タイルが壁を飾り、草花とは違う趣を見せていた。

花の小径と名付けられた、狭くて複雑な石畳の小径を行くと、行き止まりで、
ジャカランダ、ブーゲンビリア、オレンジの木などが、好んで植えられ、その先
に、こじんまりした中庭があった。

この中庭をパティオと呼び、可愛らしい花壇が作られ、観葉植物も吊り下がり、
白一色の中庭に草花の色が鮮やかに映え、通る人を楽しませている。
私は、このパティオが気に入り、家に持ち帰りたい・・・と思いカメラに納めた。

次にメスキータ(回教寺院)北側の免罪の門から中に入り、オレンジの繁る中庭
に出た。シュロの門と名付けられた寺院の門から中に入ると、眼に入ってきたのが
大理石で作られたアーチ形の850本の無限に広がる見事な列柱。

幻想的な二次元の世界にへ迷い込んだようだ。目を大きく見開き身体を一回転させて
観た物は柱と空間だった。

🍀 明日に続く。

山を越えて コルドバ迄のドライブ

2016-12-05 16:54:19 | 日記
ここから山を越えて、ゴルドバまで5時間の長距離移動となる。この街道を、
「白い家の有る道」と名付け、素朴でのどかな、昔のスペインを思わせる
バエナやエスケホの街を通り、小さな村々をバスの窓越しに眺めながらの
ドライブ。

どんな、小さな村でも、教会の塔が1つか2つ有り、この教会を囲むように、
集落が作られていた。集落には細い迷路のような道が入り組んでいた。

この地方の夏の気温は40度を超える日もある。道を狭くして両側の建物が
互いに日陰を作り合い、直射日光を防ぐ役目を果たしていた。
真白に漆喰で塗られた家も、日光を遮り涼しさを感じるためだという。

バスは行けども行けども広がる、オリーブ畑を左右に観て走る。丘陵地帯の
中に点在する村は若者が済まなくなり、廃墟となってしまった家を見かけた。
この地方も過疎化が進んでいた。

道の両側にはトラックターや羊を連れた農夫が歩く農道が残されている。
牛に注意の道路標識もある。人々は日の出と共に起き、日没には一日が終わ
る生活が繰り返され、ゆっく時間が過ぎているような所だった。

この辺りから時々雨が降っては止み、薄日の差す変わりやすい天気になる。
画家のレンブラントが好んで描いた、レンブラント光線が雲の切れ目から
観える。神々しい光を放射状に出していた。これも日本では見かけない
自然現象。

バスは山岳地帯に入り、モレナ山脈を越えアンザレス地方に入る。ここも山間
の山の上や谷の方まで、オリーブ畑が続く。その畑の中に家々が、一軒2件と
散らばる田園地帯。遊んでいた子供達がバスに向かい手を振る。バスはやっと
平地に戻りコルドバに入った。長い道のりだった。

🍀 明日に続く。