私の 37か国の 旅日記

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満天の星空には大感動でした

2016-10-30 14:51:34 | 日記
今日のホテルは、ロンセントの街の中央に建つ、ホテルグランド・チャンセラー。
室内は普通のホテルだが、表通りから観る外観は、異国情緒たっぷりで気に入った。

12月8日

バスは人家もまばらな広陵地帯を走り続け、ラベンダーファームへ到着した。
ここの天候気温雨量が、ラベンダーに適していて、質の良いラベンダーが沢山
収穫され、日本にも輸出されていた。

昼食は、ラズベリーファームで取った。ドライブインの様な所だった。
ここのレストランのウェイトレスの女の子が、クレをパトラ以上の美女で、こんな
田舎にいては、もったいない、と思い見とれてしまった。

日本では絶対観ることの出来ない、南十字星を早起きして毎日観た。神秘的な
輝きからは、ロマンを感じてしまう。満天の星空には大感動でした。

日本と季節が反対のタスマニアは、家の窓が南向きではなく、全部北向きだった。
遠い母国を想いながら築いた街々は、豊かな自然を生かし、住宅の周りは草花で
飾り、ゆったりとした環境の中で、良く働き生活や人生を楽しむ人々がいた。

バスで、今回のハイライト、クレイドマウンテンへ向かう途中、特別観光の名所
でもない、ただ通過するだけの街、シェフィールドでトイレ休憩。
街おこしの事業として民家の壁に、この地の歴史などが描かれた壁画が有った。
何と、このアィデアは面白い。

今日の宿泊はマウンテンロッジ。世界中からハイカーが訪れ、このロッジを利用
するので、半年前から予約必要なほど、人気が高いところ、だが、そんなに混んで
いる様子は感じなかった。

❤ 明日に続く。最近金曜日は住宅、土曜日はスーパー、日曜日は求人のチラシが多いね。

家庭料理を 祖母と嫁さんが作り 私達を待っていた

2016-10-30 11:23:53 | 日記
マウントネルソンの小高い丘の上からの眺めは素晴らしく、はるか彼方まで重なり
合うように連なる島々が観られ、地球が丸いと感じ取れる景観が広がっていた。

12月7日

ホバート~ロンセントへ。
途中、タスマニア固有の動物達と触れ合うため、ボノロング動物園へ立ち
寄った。そこは、野生動物保護施設で、特別なケアを必要とする動物達が
保護されていた。ウォンバット、タスマニアン、デビル、ボッサムなど
観たことも聞いたこと無い怖そうな動物達だった。

その後、小さなロスの街で、映画「魔女の宅急便」のモデルになった、可愛
らしいお菓子屋で土産のお菓子などを買った。
私が小さい街と書くところは、本当に小さな数十軒の、通り過ぎてしまう街
ばかりで、島民も50万人。タスマニアスタイルという生活も有る。

昼食は、サマ―コート・ファームで牧場を営む家の、レストランで家庭料理
を食べた。感じの良い祖母と嫁さんが、私達のためにだけに作ってくれた、
郷土食たっぷりの家庭料理を作り待っていてくれた。

ロンセント到着。初夏に咲く草花を眺めながら1時間かけ、カラクタ渓谷を
歩いた。木々の間から観える真っ青な空が印象的だった。
ぽっかり浮かぶ白い雲は夏を感じさせてくれた。

ワイナリー見学後、この地を蛇行して流れるタイマ川が綺麗に観ることの
出来る、合流地点プラディズルックアウトへ。
街は19世紀の英国の田舎町が再現されていた。土産物店などへ入る。

❤ 明日に続く。急に寒くなりました。冬の訪れは12月からですよね。

自然が溢れるタスマニア島

2016-10-29 10:27:57 | 日記
タスマニア最古の石橋を渡り、川岸の散歩道の草花を愛でながら、カメラで
周りの風景を撮り散策をした。自然が、そのまま残りのんびりした風景が、
そこには有った。

今日の宿泊は、昔の邸宅を一部改修したリッチ・ホバート・ホテル。
ホテルの前にはサッカー場が有り、試合が有る時は合宿場にも使われていた。
セピア色の写真を観ているような、味わいのあるホテルだった。

12月6日

入り組んだ入り江の美しい、ポートアーサーへバスで向かう。
海の色は紺碧で、真上からの太陽を受けた、海は目に眩しかった。

タスマニア島の歴史は、イギリスからの囚人無くしては語れない島だった。
今は廃墟となった大きな刑務所跡を見学した。そこに残る教会や、病院、
郵便局跡からは、ここで暮らした囚人達が、人間らしく生きられたんだと、
昔を偲び、ほっとするものを感じた。

囚人達の過酷な労働の基に開拓されたタスマニア島だった。

バリラベイのレストランで昼食。ここはカキの養殖場で見学後食事。
日本のカキの育て方とはちょっと違っていた。小粒だがクリーミーな、
ここでしか味わえない美味しいカキだった。

ホバートの中心地に戻り、クジラの解体作業場として、使われていた倉庫跡
など残る、サマランカンプレイを散策。ここにも日本料理店があった。
日本からの遠洋漁業船が、物資の補給のため、この街に立ち寄る。

❤ 明日に続く。豊洲や東京五輪の難題に立ち向かう小池知事にエールを。

タスマニア島へ(オーストリア)

2016-10-28 10:51:45 | 日記
2005年12月4日

成田~メルボルンへ。飛行時間10時間30分。夜行便で結構機内は空席が
目立ち、その空席に身体を横にして眠ることができた。
サービスも良く、機内食も美味しかった。私の、カンタス航空の採点は丸。

12月5日

メルボルン~タスマニア州都、ホバートへ。
飛行時間1時間(ジェトスター)海岸の入り江の山に抱かれるように、ホバート
の小さな街は有った。小さなローカル空港へ着陸した。

空気が澄み切っていて爽やか。タスマニアの西方には、はるか一万Kの先の
アフリカ大陸まで、陸地が無い。澄み切った風が、遮られることなく、南太平洋
を吹き抜けて、タスマニアに届く。地図を見ると良く解るよね。

バスで街の中心地へ向かう。この島の道路には信号が無い。交差点はロータリー
のようになった道路を半分回り込み、方向転換をし行き先へ車は走る。

今日の観光はソレルの街の果樹園へ行き、イチゴやサクランボを木から取って、
そのまま食べた。タスマニアの日光を十分に受けた果物は、乾いた喉を潤して
くれた。日本は冬だが、ここの季節は初夏だった。
 
リッチモンドの街へ。コロニア時代(イギリスの植民地)の雰囲気を、今も残す街。
高台に或る小さな教会は石造りで素朴だった。
教会は、この村の守護神として村人に親しまれ、時代の流れを静かに見続け、これ
からも変わることなく、その役目を果たして行くのだろう。

❤ 明日に続く。東京都の5年後は税収も人口も減り続けて行く。お願いだから、
  子供に負の遺産を残さないで。オリンピックは建物が主役ではない。競技よ。

イギリスの旅の終わり

2016-10-27 10:59:48 | 日記
王宮を見学後、イートンへ向かう。イートンの街はテムズ川を渡り、対岸に有った。
ここはパブリックスクールの名門イートン校が有ることで有名な街。
英国の歴代の首相の内、イートン校出身者が20人を超えるという超優秀校。

学生達は、特権階級の子息がほとんどで、チァールズ皇太子もウィりアム王子も
この学校で学び成績優秀。生徒数1、300人でかなり大きな学校。
ここを卒業しケンブリッジかオックスフォード大学に行くのが最高のエリートコース。

燕尾服に白タイ、シルクハット姿の学生が、大勢歩いていたので、今日は何か学校の
行事が有るのかと思ったら、これが、この学校の制服だった。何と古風な姿でしょうか。

そのこだわりが、いかにもイギリスらしい。
いつまでも、古い物に価値を見出し、大切にして、現代と調和させ、見事なまでの、
コントラストを保ちながらの生活を続けている。

そんなイギリスにすっかり魅せられてしまった私。四季折々に訪ねてみたい。

8日間の英国の旅は終わった。1996年の春でした。