after-studio (画と本のある空間)

経営する喫茶店の名前です。

店のHPはこちら→ http://www.samatsu.info/cafe/

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召集

2020-10-05 09:19:18 | 記録

二人に一人は癌になるという昨今、癌宣告は召集令状のようなものでしょうか。
闘病は戦地での闘い。
手術による闘い、抗がん剤による闘い、いずれも辛いものでしょう。
そして、生還する人あり戦死してしまう人あり。

知人が一年ほど前に召集されました。
放っておいたのが災いし、検査を受けたときにはステージ4で、手術も叶わない状態だったのです。
知人は自認温熱方法で闘い、その効果があったのか痩せた体に肉が戻ってきました。
その知人は30年以上も前から知っておりましたが、ゆっくり語り合うことも無く時間が過ぎておりました。
召集される二・三カ月前に再会し、毎日のようにお目に掛かる機会がありました。
30年前には話さなかった様々な話題に、その方の人生、そして苦しみを見たように感じたのでした。
学生時代から音楽活動をなさっていたらしく、年に2回のライブは毎回会場があふれ、あっという間に別世界へ誘うライブになっていたのです。
生き生きと楽しそうに歌うそのお姿は、30年前の気難しそうな知人とは別人でした。

今年になって急に食事が出来なくなり、みるみる御痩せになるお姿には、言葉に出来ない辛さを覚えました。
活字が大好きで、常に活字に触れていたかったのでしょう、手には常に本か新聞が載せられていたのです。
お盆過ぎ、急な入院になり点滴で命をつなぐようになりました。
今のコロナ現状もありお見舞いはかないませんでしたが、幸い携帯電話は使えるようでしたので、電話でお加減を伺う日々が続きました。
もう読めなくなった本を貰ってくれないかと電話で言われ、ドンと沢山の本が届きました。
それらを整理し、本のタイトルにまだまだその方を知りえなかった悔しさと虚しさを覚えたのでした。
生還して下さり、それらに関して語り合いたいと強く思うほどに。


今朝、戦死の知らせが入りました。


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ゴールデンウィークを終えて

2020-05-12 11:45:34 | 記録

自粛のゴールデンウィーク、皆様いかがお過ごしでしたでしょう。
殆ど快晴の日々でしたね。

広瀬川の河川敷は絶好の場所でした。
散策もいいですし、しっかり運動の身繕いでランニングを楽しむ方もたくさんいらっしゃいました。
勿論、マスクは離せず、でしたが・・・。
気の合う友人とも会うのを控えていたのですが、散策なら問題も無いでしょうと、久しぶりの語らいを楽しむことも出来ました。
そんな中、素敵なスポットを見つけました。
地下鉄国際センター駅2階のテラスです。
緑の中、地下鉄が走り抜けるのが見え、また、広瀬川の流れを身近に眺めつつ鶯の鳴き声に五月を満喫できました。
更に喫茶コーナーで求めた小瓶のビールを片手に、ゆったりした時間を楽しめます。

読書も少しづつ戻ってまいりました。
まずは乙川優三郎氏の小説を読み返し、更に今野敏氏の警察小説が気軽に楽しめて、この2種を読む事が朝晩の楽しみになっております。
今野敏氏は、先日「スイッチインタビュー」で村木厚子さんと出ておられ、冤罪で苦しんだ村木女史が警察小説が大好きで対談を希望されたそうです。
冤罪疑惑の渦中では大好きな警察小説が嫌いになるのではないかと、それが大きな不安だったそうですが、そうならずに済んだと喜んでおいででした。
そんなきっかけで読み始め、2冊目3冊目と進んでおります。

お店の方はすっかり通常営業に戻りました。
あのゆったりした時間は残念ながら過ぎてしまいましたが、日々のお客様との時間も又楽しい時間です。

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新型コロナ自粛の中で

2020-04-22 15:53:58 | 記録

本当に久しぶりになります。

新型コロナでの自粛で、街の中もひっそりとなりましたね。
本来来店数の少ないお店のせいか、常連さんが安心して来店してくださいます。
ゆっくり語り合えて、それはそれで充実感を覚える日々です。
やはり人は、人とのコミュニケーションが力になるのでしょうね。
メールがいつもより多くコミュニケーションをとってくれますが、返信がしばらくないと、もしや熱を出しているのでは…などと心配になります。
不安が常に思いに潜んでいるようです。

店をやりながらも半ば引きこもりのような時間ですので、読書には最適と思いつつも、なかなかはかどりません。
それは、このところ気に入ってしまった中国ドラマのせいのようです。
意地悪い人や策略家が出てくるのですが、正義も必ず存在するのです。
正義は世界共通ですね。
やはり、見ていて気持ちが良く、スッキリします。
「如意伝」から始まり、今では商人物の「月に咲く花のごとく」に魅せられております。
中国女性の美しさにも魅せられ、演技のうまさも感心しきりです。
上に立つ者の学識の高さと書の美しさ、女性であれば振る舞いの優雅さも目を楽しませてくれます。
今の中国からは遠くなってしまった昔の中国文化ですが、今の方々によって作られているわけですから決して遠いとも言えないのでしょうか。

武漢から始まった新型コロナウィルス、中国ドラマを観る毎に早い終息を願って止みません。

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真夜中の動物園

2019-08-27 20:19:15 | 記録

中島みゆきのアルバムに「真夜中の動物園」というものがございます。
真夜中の動物園で逢えない人を待つ、という歌詞です。
「逢いたい相手が逢いに来る、逢えない相手が逢いに来る」
「逢いたい相手に逢えるまで 逢えない相手に逢えるまで」
というサビが繰り返されます。
少し切なくなりますが、アルバムのタイトルになる曲ですので、作者の想いがあるのかもしれませんね。

先週末、八木山動物園が夜の開館をしており、行ってまいりました。
地下鉄を降りて地上に出ますと、入り口まで長蛇の列でした。
30分以上も待ったでしょうか、なんとか入いれて夜の動物園を歩きました。
やはり、中島みゆきの曲が頭の中に流れ、星空がきれいな夜の動物園で逢いたい人を待つ心境を想ってみました。
暗い中でも動物たちが呼吸をしているという安心感に包まれます。
会話はできない動物と空間を共にしながら逢いたい人を待つ。
なんて切なくロマンチックかしら、と、改めて中島みゆきの歌詞を味わいました。
気に入った歌もこんな風に体現することで、更に味わい深くなるものですね。

八木山動物園の年に幾日かの企画だそうです。
味わい深く、とても素敵な夜の時間でした。

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2年前の想い出

2019-07-18 16:08:19 | 美術・絵画

先日、2階の「スタジオ1951」で50人を超えるパーティーがございました。
主催者の方が早めにお出でになり、机や椅子の配置など、最終確認をなさいました。
その際、奥の壁際に置いてある前衛陶芸作品に目を止められました。
2年前行われた「I氏の肖像」という作品展に展示してあったものです。

2年前のその日、作品が運ばれ、作者はそれぞれを相応しい場所に展示されました。
あるべき位置に落ち着いた作品を見ながら「欲しいと言われる方がおいでの場合は?」の問いに、作者は「相談に応じます」とのお答えでした。
作品の中に「スタジオ1951」にスッと馴染んだものがあります。
割れたガラスの上に立つ紐靴を履いた足です。
左足は靴が壊れてしまったのか、足の指が見えています。
不思議に部屋に合い、部屋を進歩的に見せてくれます。
また、胸像なのか中が少し透けて見える胸から首の作品が妙に気になりました。
それが気になったのは、中にある赤い電灯が点滅するからです。
それはまるで坊やの心臓の心拍の様に規則正しく点滅します。
この点滅が続く限り、坊やの心臓は動き続けるのではないかしら、と確信に近い思いが生まれて参りました。
そして、売れずにあったならどちらかを買おうと心に決めていたのです。
最終日、作者にその旨を話し値段を聞いてみますと、けんもほろろに「売りません」との返答。
少々途方に暮れながら、売らないと言われると一層欲しくなるもので、時間をかけて交渉をしてみよう、とその時に思ったのでした。
翌日、片づけを終えた作者から会場の確認をして欲しいと言われ2階に上ると、綺麗に片付いた会場の奥にあの2点が置いてあるではありませんか。
「え? 売っていただけるんですか」と尋ねますと
「いえ、差し上げます」との答え。
それ以来、その2つの作品は「スタジオ1951」のグレードをぐんと上げてくれております。

パーティー主催者のお陰で、2年前のあの暖かい思いが甦ってまいりました。

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こころ

2019-03-19 16:29:30 | 書物・文学・詩

夏目漱石の「こころ」を久しぶりに再読いたしました。
読み終わり、思い浮かんだのは聖書の一節です。
エレミヤ17章9節に「心はほかの何物にも勝って不実であり、必死になる。だれがこれを知りえようか」とあり、それに基づいた話であるように感じたのです。
”あなたは真面目ですか”と繰り返し聞く先生。
良い叔父がお金でころりと不実になり、親友Kを助けたいと思った純粋な私(先生)の心さえ不実になり必死になるのですから。
Kの一番弱い部分にメスを入れ、お嬢さんへの想いを断ち切らせようとし、それでも信じられずKを自殺に追い込む。
その不実さにそれを背負って生きる辛さが伴います。
乃木大将の30年に及ぶ、死を考え続けた辛さを自分に重ねることに、更なる不実を感じました。
Kは不実ではなかったのかもしれません。遺書は私(先生)への感謝しか書いていなかったのですから。
或いはそれが、更に私(先生)の不実を思い知らされる要因となるのでしょうか。
毎月の墓参りの際、私(先生)の心は、不実なのでしょうか、或いは真面目なのでしょうか。
私たちは容易に不実になり必死になりうることを、改めて考えさせられた小説でした。

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乙川優三郎

2019-03-13 15:51:27 | 書物・文学・詩

彼の作品は、あまり書店で見かけることがありません。
あるご縁で手にすることになり、知らない作家でしたので、しばらく机に載せたままにしておりました。
やっと手に取りページを繰りますと、活字がスルスルと心に入ってまいります。
まるで語り掛けられてでもいるように。
そのうち、私はその本と会話をしておりました。
作品からの返事に思いがけない発見や、成程、などと深く頷いたりしているのです。

今朝読んだ短編から少し。
「トワイライト・シャッフル」という短編集の「サヤンテラス」です。
サヤンテラスとは房総にあるインドネシア語のホテルの名前です。
そこのテラスでオリーというイギリス人女性は、毎日のように日本人夫の仕事帰りを待っていました。
二人はインドネシアで知り合ったのです。

やがて年老いて、一人暮らしになっても彼女はそのホテルのテラスで過ごすことを楽しみました。
そこにこんな一文があります。
「人には老いてゆく体の居場所と若い心の居場所があって、・・・」
ホテルのテラスは彼女にとってそんな場所だったのです。
読みながら、私にもそんな場所があるかしら、とふと考えます。

また、新たな出会いに心が揺れたときの、こんな一文です。
「曖昧な縁にすがるような生き方は性に合わないし、自分を誤魔化して人を恃めばいつか後悔することも分かっている」
異国で一人暮らす彼女の精神性が見えてきます。

私にとって、良い作家に出会いました。




 

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2本の映画

2019-01-06 13:11:10 | 音楽・映画

今大変な話題を呼んでいる映画「ボヘミアン・ラプソディ」。
お客様や知人からも強く勧められ、観て参りました。
クイーンについては名前を何とか知っている程度で何の前知識もありません。
フレディ・マーキュリーについてはなおのことです。
エイズで死んだミュージシャンが居たことはうろ覚え程度でした。
しかしこれほど多くの人を熱狂させる映画への興味が次第に深まり、かつてマイケルジャクソンの「this is it」に魅せられ、連日映画館に通ったことを思い出しました。
あんな情熱を持てる映画に再び出会えるかもしれないとの期待も少し持ちながらの鑑賞でした。
確かに素晴らしい映画で、「ボヘミアン・ラプソディー」の「ママ~♪」と流れたときには胸が熱くなりました。

そして、更に気になっていた「エリック・クラプトン~12小説の人生~」も観て参りました。
クラプトンは「レイラ」や「ティアーズ・イン・ヘブン」など好きな曲が数々あり、仙台に来た際にはライブにも行ったのでした。
中でも「レイラ」は以前PCのパスワードにするほど好きだったのです。
映画はそれらの曲が出来上がるまでを丁寧に記録し、クラプトンの人生が痛いほどに響きました。
マーキュリーもクラプトンも苦しい中から音と言葉を紡ぎ出し、それは聴く者の魂に響くのです。

言葉も音楽も人間だけができる表現で、それによってどれだけの人が救われ生かされてきたか。
使い方によってはその逆もありうるわけで、それを思いますと、身の引き締まる思いがいたします。

クラプトンの映画には少し通ってみようかと思いました。
良い出会いでした。

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良いお年をお迎えください

2018-12-31 16:35:41 | 記録

何年か前、ジュリアード音楽院を卒業されたバイオリニストが来店されたとき、ちょうどお店では(指揮者の名は忘れてしまったのですが)、ニューヨークフィルのCDをかけておりました。
突然彼女が「私、この指揮者で演奏をしたことがあるの」と言ったのです。
さらに、「この指揮者の指揮で演奏をすると自分のバイオリンの音色が変わるのよ。これは演奏する側でしか味わえない醍醐味ね」というのです。
その話は大変印象深く残っておりました。

そしてつい先日、聴衆の側からそれを体験したのです。
ある大学の定期演奏会でした。
指揮者が前半と後半で代わりました。
この大学の演奏会は人気が高く、開場前から長蛇の列でチケットを買えないことも常になっています。

開演と同時に、当日の予定指揮者の体調が芳しくなく、前半だけの指揮となり、後半は別の者に代るとのアナウンスがありました。
前半の指揮者はまだ病み上がりのようで、車椅子での登場でした。

コンサートはいつも初めに、東日本大震災で亡くなった方のための鎮魂の曲が演奏されます。
演奏が始まり、澄んだ、それでいてピーンと張り詰めた音が会場を包みました。
毎回聴いているこの曲はこんなに美しいメロディーだったかしら、と今まで感じなかった感慨を覚えたのです。
演奏終了後、軽く黙とうを奉げプログラムに入りました。
いつにない優れた音が会場に流れ、全身が耳になっていったように感じました。
後半はいつもの指揮者が代わって指揮をなさったのですが、ああ、これがいつもの音だったわと確認したのです。
と同時に、指揮者によってこれほどに音が違ってくるものかと驚かされた体験でした。
改めて先のバイオリニストの話を思い出し、聴衆でもそれを楽しめる喜びを知りました。


今年一年、皆様にとってどのような年になったでしょう。

12月29日、2階のスタジオ1951でコンサートがございました。
ある音楽教室の先生たちによる演奏会です。
リードギター、ベースギター、ドラム、サックスの四人による演奏でした。
リードギターはボーカルも兼ねておりました。
歌が入る時に聞こえずらく、マイクが低いのではないかと気になったのですが、ある曲に入り、ボーカルの声が楽器の一つとして調和した時には驚きました。
人間の声は最も優れた楽器、といった方がおりましたが、本当に楽器として聞くと何とも言えない魅力的な音なのです。
今年の一年、いえこの年末になりますが、音に驚いた一年でした。

では皆様、良いお年をお迎えくださいませ。



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歌うこととは

2018-03-08 18:23:41 | 音楽・映画

日曜日夜に、音楽チャンプという番組があります。
歌手志望の若い方々が歌唱力を競います。
審査員やゲストの方々が、彼らの歌に嬉しさの笑顔を輝かせ、時には涙を流します。
これだけの影響を与える歌い方とは・・・と思わず画面にくぎ付けになります。
四人の審査員が様々な評を語ります。
それを聞いていると、歌うとはこういうことだったのか、と開眼させられるのです。

更に、今放送中の越路吹雪のドラマ。
実際の舞台を見たことはないのですが、こんなに人を夢中にさせる歌い方とは? と興味がわきました。
今は便利にYouTubeで当時の映像を見る事が出来ます。
あれだけ有名な歌い手でしたのに、歌を聴くのも映像を見るのも初めてでした。

参った!
が最初の印象です。
こんな歌い手がいたのだ。
訳詞、アレンジの素晴らしさも手伝ってか、越路さんならではの歌になっておりました。
明るい歌は、陽気ではちきれんばかりの明るい世界を、寂しい歌はすべてがグレーに見える世界を作る彼女の歌のうまさに唖然です。
彼女は歌でどんな世界も作り上げてしまう。
舞台で観たならきっと病みつきになったことでしょう。
日生劇場の1か月間のステージが、2日で完売という伝説も理解できる気がいたしました。

歌は好きでいつも口ずさみ、機会があればいつでも歌いたいと自負しておりました。
しかし歌うとは、音程が取れ気持ちが入っている、だけのことではなさそうです。
映像で観るだけの彼女の歌でさえ、その都度その都度完成、いえ、完了しているのです。
メロディーと共に歌詞が、その世界が、聴く者の心に届けられます。

歌う事の奥深さを思い知らされた、二つの出来事でした。

 

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感動の伝達

2017-12-19 18:34:16 | 演劇・舞台

ご無沙汰いたしました。
先回からもう2カ月が過ぎてしまったのですね。
広告が入るようになるので、何も書かなかった長さを思い知らされます。

ホセ・カレーラス、行ってまいりました。
大ホールにマイクなしで響き渡るテノールには、胸にこみあげてくるものがございました。
また、舞台後ろに福島の中高合唱団が整然と並び、共に歌う美しさは見事なものでした。
惜しみなくアンコールを繰り返し、それにより聴衆の満足度は帰りの足の軽さに表れておりました。

良いステージを観る喜びに、より満たされていく自分を感じております。

もう一つ、素晴らしいステージがございました。
16日土曜日に、お店のお客様でいらっしゃるモレーナさんの、フラメンコ教室20周年記念公演を鑑賞いたしました。
何人かお誘いして行ったのですが、エネルギッシュで闘争的、それでいて優雅な舞台に圧倒され、「素晴らしかった!」と繰り返し語り合いながら、会場を後にしたのです。

今日、モレーナさんが来店されて聞いたところ、衣装はスペインに行って購入した生地で作ったものだそうです。
やはり、あの鮮やかな色はスペインならではなのだと。
フリルがたくさん付いていますので、一着の生地は10メートルほど使用するのだとか。
また、美しいショールを持っての踊りがあったのですが、それは糸から染め上げたそうです。
舞台づくりの真剣さはやはり見る者に感動をもたらすのですね。
衣装の一点一点にまで拘った見事な舞台づくりでした。
舞台脇で演奏をしていたメンバーが「アメージンググレイス」をフラメンコ調に歌った時には、うっとりと聞きほれてしまいました。
ホセ・カレーラスの時もそうでしたが、歌は伝達だと強く感じました。
心のこもった伝達は、聞くものに震えるほどの感動をもたらすものですね。

ブログを書く間を惜しんで、そのような感動に酔いしれておりました。

一年の終わりが刻々近づいてまいります。
皆様にとって、どのような一年だったのでしょうね。


 

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仙台フルートコンクール

2017-10-16 18:09:41 | 音楽・映画

時間が疾風のごとく過ぎて行きますね。
秋の紅葉もあっという間に過ぎてしまったようです。
栗駒山へ14日土曜日に登山したお客様の話によりますと、下調べに一週間前行った時にはまだ紅葉に早かったそうです。
それが、14日当日にはもう終わっていたというのです。
見ごろは2~3日しかなかったようです。

芸術の秋、青年文化センターで「仙台フルートコンクール」が開催されました。
10月12日から予選が始まり、15日の昨日は本選です。
昨日、午後の一般部門を鑑賞してまいりました。
このようなコンクールがあること自体初耳でしたし、入場無料とのことでしたので、あまり期待せずに行ったのですが、驚きました。
素晴らしい技術と音色だったのです。
うっとりと聞きほれ、素敵な秋の午後を過ごすことができました。
仙台は13回目になり、全国から演奏者が集まっています。
国籍不問ですので、韓国の奏者も本選に残っておりました。
素晴らしい演奏でしたのに、会場には本当に少数の観客しか入っておらず、もったいない限りでした。
情報を知らないために、見過ごしてしまう催し物がたくさんありそうですね。

昨日ロビーで見つけた情報ですが、福島復興祈念「ホセ・カレーラス チャリティーコンサート」が11月26日いわき芸術文化交流館アリエスホールであります。
チケットはかなり高いのですが、こんな機会はないかな、と迷っているところです。
その前にチケットが取れるかしら?   ですね。

急に寒くなってまいりました。
皆様、お風邪を召しませんよう、ご自愛くださいませ。

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続 I氏の肖像

2017-08-03 12:50:21 | 記録

成程。
前衛作品とはこのようなものであったか、との感想を持ちました。
前衛作品というものを明確に理解しているわけではなく居りました。
相澤氏にその点を尋ねてみたのです。
氏は、自身の場合”表現”であると語られました。
”表現”と聞き、八木一夫の「ザムザ氏の散歩」が浮かびました。

初めて見ても理解できず、しかし、脳裏から離れない。
やはり、一つ一つ考え抜かれた作品と理解しました。
深さがあり、味わいがあり、作り手の渾身の思いがそこにあり、見る者に語り掛ける。

生活陶器で氏を知り、使って氏の陶器への想い、使い手への想いを感じ、温かく親切な作品であると感じておりました。
成程、料理であれ洋服であれ家具であれ、作り手の想いは食べてみて着てみて、使ってみて感じるものです。

その作家が使わないものを作りました。
それはただただ心に働きかけるものです。

9日間、この作品がアフタースタジオの2階、スタジオ1951にあるのです。
きっと見続けることで私の中の何かか引き出され、深い感動をもたらしてくれることでしょう。
よくぞこの段階に踏み入ってくださいました。
と、感謝の念が沸いてまいります。
すべてにタイトルがついており、作品の意味を、さらに見る者に投げかけてきます。

ありがとうございます!

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相澤智美 前衛作品展

2017-07-26 19:51:53 | 喫茶店「after-studio」案内

夏が前倒しになったように、すでに7月に30度を超す日が続きました。

市長選を終え、早速ある候補者のスキャンダルが紙面に登場いたしました。
前々から噂されていたこととは別の、市長選出馬に最も相応しくない出来事でした。
国会でも総理の問題が毎日取りざたされ、政治はどうなってしまうのかしら、いえ、政治家の倫理はどこへ行ってしまったのかしら、と情けなくなってまいります。

そんな俗界から離れて、しばし豊かな時間を共有してみませんか?
アフタースタジオ2階の「スタジオ1951」で、相澤智美氏の前衛作品展『相澤智美・陶・展・・・I氏の肖像・・・』が開催されます。
日時は8月1日から9日まで。
詳しくは(有)佐松のホームページから、スタジオ1951のブログをご覧ください。
作品展に合わせて、ライブなども楽しんでいただけます。
七夕の日に重なる日時もございますが、街中ですので、どうぞ足を延ばされて楽しまれてくださいませ。

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ラスコー展

2017-05-24 16:02:20 | 記録

5月ですのに暑い日が続きますね。
季節はどうなってしまったのでしょう。

土曜日に多賀城の東北歴史博物館で「ラスコー展」を観てまいりました。
2万年前の洞窟壁画です。
世界遺産でありながら、もう洞窟には入れず、再現されたもので思いを2万年前までさかのぼるしかありません。
牛や馬の絵が多く、不思議なことに人間は一点だけでした。
道具も一から作らなければならない旧石器時代。
クラマニョン人のそれは目を見張るものがありました。

展示方法が親切で、再現洞窟を暗闇から少しづつ明かるさを増し、壁画が明るさの程によってどのように見えるか上手に演出されておりました。
また数分の再現映像がさらにそれらをわかりやすくしてくれたのです。
私が何より惹かれたのは、クロマニョン人による道具の作り方の映像です。
再現映像とはいえ、旧石器時代の日常をすぐ近くで垣間見ている感でした。
それはそれは丁寧に、石刀や縫い針、錐、槍先、火皿などを作るのです。
石を使い、骨を使い、生活用品が出来上がっていきます。

街に出れば欲しいものがあっという間に手に入る今を思いますと、何か複雑な感じがいたします。
一つの道具がいかに大切に思われたことか、その物はもちろん、作り方も代々受け継がれたことでしょう。
時間をかけて物を作る際には、きっとそれが出来てからの便利さを考えたり、使う家族の笑顔を思い描いたりしたにちがいありません。

そういえば、そのような思いにふける時間が最近はなくなってきてはいないでしょうか。
生活の手仕事が次第に少なくなっている現在、思いを馳せる機会が失せてしまいましたね。
クロマニョン人のそれを見て、なぜか羨ましくなったのは私だけだったでしょうか?
そんな思いで東北歴史博物館を後にいたしました。


「ラスコー展」は今週末までですね。
まだの方は是非、お薦めです!









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