after-studio (画と本のある空間)

経営する喫茶店の名前です。

店のHPはこちら→ http://www.samatsu.info/cafe/

哀しみが優しく

2022-03-30 15:00:10 | 書物・文学・詩

間もなく4月、また一つ年を取ります。
今日、お客様幾人かでお祝いをしてくださることになり、美味しい日本酒の差し入れがありそうです。

お店主催で同人誌を発行していることは以前触れましたでしょうか?
それが第7号まで続きまして、5月末日が第8号の締め切りです。
はじめは何を書いていいやらと悩むばかりでしたが、発行期間が約一年に延びたことでゆっくり進めることができるようになりました。
それで、第7号では心の奥に秘めていた哀しみを書いてみようと思ったのです。
母の哀しみを書いてみました。
自分の昔話をよくしてくれた母でしたが、決して詳しくは話そうとしない哀しい出来事がありました。
それを書いてみようと思ったのです。

そして第8号では私の哀しみに向かうことに致しました。
不思議に書いていて感じたのは、過去の哀しみをもたらした時間や出来事が優しく見えることでした。
そのためか、文字になる内容が温かく変化して参ります。
年を重ねたということが大きな要因のように思えるのですが、どんな哀しいことも自分の人生と受け入れることができるようになったからでしょうか。

ふと、そんな中専ら読み進めている寡作作家ウィリアム・スタイロンの文章が思い浮かびました。
スタイロンは暗く深刻な問題を扱っているのですが、読むことに不快感は生じず、ただただ既に知っている問題でも角度が違うとこうも違うのかとの驚きをもたらすのです。
「ソフィーの選択」から始まりましたが、二冊目三冊目と読み進むにつれ、長い文章であり深刻な問題でありながら読者をしっかりとつかむ文章の力に圧倒されます。
今は「闇の中に横たわりて」を読んでいるのですが、場面や時間が頻繁に行き来しても迷わずストーリーについていけることにも驚くばかりでした。
読みやすさは、スタイロンが辛い哀しい問題を優しい目で見ているからなのでしょうか。
哀しみが優しく変化するなら、年を重ねることも悪くないなぁとつくづく感じる発見でした。

誕生日を目前に前向きな発見を致しました。


 


笑顔

2022-01-05 17:26:46 | 記録

毎年、一日違いではあれ新年を迎えるとなぜか新鮮な思いがしたものですが、今年は不思議にそれがなくただ時間の続きの新年でした。
人生に慣れすぎてしまったのでしょうか。

中島みゆきの歌に「体の中を流れる涙」という曲があります。
”涙が体の中を流れていて、どこを切っても涙が落ちる。
涙が私を動かしている、私は涙でできている。”というのです。
確かにあまりに悲しい時には体のどこを押されても泣いてしまう、ということがあるのではないでしょうか。
ただ私の場合、涙が体の中を流れているという認識はなかったように思います。
そして、浮かんだのは母でした。
母の一生を考えますと、なんて悲しいことが多かったのかしらとの思いが走るのですが、当の母は常に笑顔だったのです。
そして子供の私に、女の子はいつも笑顔よ、と幾度も繰り返し言い聞かせておりました。
今考えますと、あまりに悲しみが多く笑顔になることで活力を産み出していたのではないかと思います。
母の一言一言、子供のころ無邪気に聞いていたものが今になって大きな意味をなしております。
49歳という若さで人生を終えた母を思い起こすことがこのところめっきり多くなり、そこにこの歌が耳に入ってきたのでした。

娘に新年の目標を聞かれ、「何もないかも」などと答えてしまったのですが、今この曲を聴きながら母に思いを馳せ「笑顔」をより強く意識してみようかと思いました。

因みにに母の大きな悲しみの一つは、同人誌第七号に書かせていただきました。

 


冬の朝の楽しみ

2021-12-14 10:48:44 | 書物・文学・詩

夜長の読書、と言いたいところですが、私の場合は朝の読書が習慣になっております。

日の出のはやい時期にはその時間が多く取れたのですが、こう朝の明かりが遅いと読書の時間も削られてしまいます。

電気を点ければ、と言われそうですが、自然光で本を読みたいという変なこだわりがあります。

最近は自分の図書ではなく図書館から借りることが多くなりました。

きっかけは目的の本が書店でもアマゾンでも探せず、図書館を調べたところ見つけることができたことです。

白石の温麵発祥店に嫁いだ鈴木梅子さんに関する本を探していたのが始まりでした。

期間があるということも読書速度を速め、集中できる楽しみがありました。

それから読み終わるごとに、次は何を借りようかと楽しみになります。

このところ英米小説を楽しむことが多くなり、いつも二冊並行して読むもので、もう一冊は自分の本です。

昨日から読み始めたのがスタインベックの「チャーリーとの旅」と、乙川優三郎の時代物です。

言葉の流れがまるで音楽のようで、洋楽と邦楽を同時に楽しんでいるような錯覚を覚えました。

冬の寒い朝、こんな楽しみを味わっております。

 

 

 

 


ロックンローラー

2021-10-18 12:14:15 | テレビ

寒くなってまいりましたね。

もう暖房を使っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

アフタースタジオも今日から暖房にしようかどうか迷っております。

先週末野球観戦に参りました。

寒いので熱燗があるかと待っていたのですが、まだ出ていないようでした。

ホットワインがありまして、それを肌寒い会場で大変美味しくいただきました。

季節によって様々に美味しいものを頂けるのは、四季のはっきりしている日本ならではのことでしょうね。

寒いと家でテレビを見る時間も長くなり、数日前に録画しておいた樹木希林さんと内田裕也さんのドキュメントを見ることができました。

それまで内田裕也さんはあまりにも強烈なので避けてしまい、希林さんの生き方にばかりに感心しておりましたが、ロックンローラーを貫いたそれはあまりに美しく魅了されてしまったのです。

ほとんど別居生活のご夫婦とはいえ離婚を固辞した希林さんは、内田さんに惚れこみ、そのロックンローラー人生をご自身でも大切に思っていたのかな、と不思議な温かさを覚えました。

晩年に歌う「朝日のあたる家」は心に染みます。

「お金もどんぶり勘定、女性関係もどんぶり勘定・・・」と内田さんのいい加減な生活を希林さんが評しておりましたが、ロックだけは違ったのでしょうね。

 

 


一年ぶりに

2021-10-13 11:45:29 | 記録

スピード時代に欠かせないパソコン。

が、古くなればそれなりで、なかなか役目が果たしづらくなってまいりました。

様々な動作にあまりに時間を要するようになり、パソコンを開くのも億劫になりかけたころ新しいパソコンを買ってもらうことになりました。

新型のパソコンは速い速い!

これならブログもまた再開できるかとキーを打ち始めました。

 

同人誌7号の編集に着手しておりますが、パソコンの勝手が変わるとまごついてしまい若手の力を借りながらの進行です。

ジャンルなく年齢差も広い同人誌、新しい号を楽しみにしてくださる方もいらっしゃいます。

ご希望でしたらご一報くださいませ、お送りいたします。

 

前のブログは丁度一年前になります。

近しい方がお亡くなりになり、病気と闘っているお姿を拝見していたためか、まるで戦死のように感じたのでした。

その方は仙台の歴史に大変お詳しく、そんな話には花が咲いたものです。

その方とともに仙台の一つの記憶も消えてしまい、人の死とはある歴史記憶の消失でもあるのかと感じたのでした。

コロナで閉店のお店も多くなり、ますます仙台の様子が変わってまいります。

昔を語り合える人が少なくなることは残念でなりません。

第六波を憂える声も聞こえております。

どうか皆様、くれぐれもご自愛のほどを。

 

 

 


召集

2020-10-05 09:19:18 | 記録

二人に一人は癌になるという昨今、癌宣告は召集令状のようなものでしょうか。
闘病は戦地での闘い。
手術による闘い、抗がん剤による闘い、いずれも辛いものでしょう。
そして、生還する人あり戦死してしまう人あり。

知人が一年ほど前に召集されました。
放っておいたのが災いし、検査を受けたときにはステージ4で、手術も叶わない状態だったのです。
知人は自認温熱方法で闘い、その効果があったのか痩せた体に肉が戻ってきました。
その知人は30年以上も前から知っておりましたが、ゆっくり語り合うことも無く時間が過ぎておりました。
召集される二・三カ月前に再会し、毎日のようにお目に掛かる機会がありました。
30年前には話さなかった様々な話題に、その方の人生、そして苦しみを見たように感じたのでした。
学生時代から音楽活動をなさっていたらしく、年に2回のライブは毎回会場があふれ、あっという間に別世界へ誘うライブになっていたのです。
生き生きと楽しそうに歌うそのお姿は、30年前の気難しそうな知人とは別人でした。

今年になって急に食事が出来なくなり、みるみる御痩せになるお姿には、言葉に出来ない辛さを覚えました。
活字が大好きで、常に活字に触れていたかったのでしょう、手には常に本か新聞が載せられていたのです。
お盆過ぎ、急な入院になり点滴で命をつなぐようになりました。
今のコロナ現状もありお見舞いはかないませんでしたが、幸い携帯電話は使えるようでしたので、電話でお加減を伺う日々が続きました。
もう読めなくなった本を貰ってくれないかと電話で言われ、ドンと沢山の本が届きました。
それらを整理し、本のタイトルにまだまだその方を知りえなかった悔しさと虚しさを覚えたのでした。
生還して下さり、それらに関して語り合いたいと強く思うほどに。


今朝、戦死の知らせが入りました。



ゴールデンウィークを終えて

2020-05-12 11:45:34 | 記録

自粛のゴールデンウィーク、皆様いかがお過ごしでしたでしょう。
殆ど快晴の日々でしたね。

広瀬川の河川敷は絶好の場所でした。
散策もいいですし、しっかり運動の身繕いでランニングを楽しむ方もたくさんいらっしゃいました。
勿論、マスクは離せず、でしたが・・・。
気の合う友人とも会うのを控えていたのですが、散策なら問題も無いでしょうと、久しぶりの語らいを楽しむことも出来ました。
そんな中、素敵なスポットを見つけました。
地下鉄国際センター駅2階のテラスです。
緑の中、地下鉄が走り抜けるのが見え、また、広瀬川の流れを身近に眺めつつ鶯の鳴き声に五月を満喫できました。
更に喫茶コーナーで求めた小瓶のビールを片手に、ゆったりした時間を楽しめます。

読書も少しづつ戻ってまいりました。
まずは乙川優三郎氏の小説を読み返し、更に今野敏氏の警察小説が気軽に楽しめて、この2種を読む事が朝晩の楽しみになっております。
今野敏氏は、先日「スイッチインタビュー」で村木厚子さんと出ておられ、冤罪で苦しんだ村木女史が警察小説が大好きで対談を希望されたそうです。
冤罪疑惑の渦中では大好きな警察小説が嫌いになるのではないかと、それが大きな不安だったそうですが、そうならずに済んだと喜んでおいででした。
そんなきっかけで読み始め、2冊目3冊目と進んでおります。

お店の方はすっかり通常営業に戻りました。
あのゆったりした時間は残念ながら過ぎてしまいましたが、日々のお客様との時間も又楽しい時間です。


新型コロナ自粛の中で

2020-04-22 15:53:58 | 記録

本当に久しぶりになります。

新型コロナでの自粛で、街の中もひっそりとなりましたね。
本来来店数の少ないお店のせいか、常連さんが安心して来店してくださいます。
ゆっくり語り合えて、それはそれで充実感を覚える日々です。
やはり人は、人とのコミュニケーションが力になるのでしょうね。
メールがいつもより多くコミュニケーションをとってくれますが、返信がしばらくないと、もしや熱を出しているのでは…などと心配になります。
不安が常に思いに潜んでいるようです。

店をやりながらも半ば引きこもりのような時間ですので、読書には最適と思いつつも、なかなかはかどりません。
それは、このところ気に入ってしまった中国ドラマのせいのようです。
意地悪い人や策略家が出てくるのですが、正義も必ず存在するのです。
正義は世界共通ですね。
やはり、見ていて気持ちが良く、スッキリします。
「如意伝」から始まり、今では商人物の「月に咲く花のごとく」に魅せられております。
中国女性の美しさにも魅せられ、演技のうまさも感心しきりです。
上に立つ者の学識の高さと書の美しさ、女性であれば振る舞いの優雅さも目を楽しませてくれます。
今の中国からは遠くなってしまった昔の中国文化ですが、今の方々によって作られているわけですから決して遠いとも言えないのでしょうか。

武漢から始まった新型コロナウィルス、中国ドラマを観る毎に早い終息を願って止みません。


真夜中の動物園

2019-08-27 20:19:15 | 記録

中島みゆきのアルバムに「真夜中の動物園」というものがございます。
真夜中の動物園で逢えない人を待つ、という歌詞です。
「逢いたい相手が逢いに来る、逢えない相手が逢いに来る」
「逢いたい相手に逢えるまで 逢えない相手に逢えるまで」
というサビが繰り返されます。
少し切なくなりますが、アルバムのタイトルになる曲ですので、作者の想いがあるのかもしれませんね。

先週末、八木山動物園が夜の開館をしており、行ってまいりました。
地下鉄を降りて地上に出ますと、入り口まで長蛇の列でした。
30分以上も待ったでしょうか、なんとか入いれて夜の動物園を歩きました。
やはり、中島みゆきの曲が頭の中に流れ、星空がきれいな夜の動物園で逢いたい人を待つ心境を想ってみました。
暗い中でも動物たちが呼吸をしているという安心感に包まれます。
会話はできない動物と空間を共にしながら逢いたい人を待つ。
なんて切なくロマンチックかしら、と、改めて中島みゆきの歌詞を味わいました。
気に入った歌もこんな風に体現することで、更に味わい深くなるものですね。

八木山動物園の年に幾日かの企画だそうです。
味わい深く、とても素敵な夜の時間でした。


2年前の想い出

2019-07-18 16:08:19 | 美術・絵画

先日、2階の「スタジオ1951」で50人を超えるパーティーがございました。
主催者の方が早めにお出でになり、机や椅子の配置など、最終確認をなさいました。
その際、奥の壁際に置いてある前衛陶芸作品に目を止められました。
2年前行われた「I氏の肖像」という作品展に展示してあったものです。

2年前のその日、作品が運ばれ、作者はそれぞれを相応しい場所に展示されました。
あるべき位置に落ち着いた作品を見ながら「欲しいと言われる方がおいでの場合は?」の問いに、作者は「相談に応じます」とのお答えでした。
作品の中に「スタジオ1951」にスッと馴染んだものがあります。
割れたガラスの上に立つ紐靴を履いた足です。
左足は靴が壊れてしまったのか、足の指が見えています。
不思議に部屋に合い、部屋を進歩的に見せてくれます。
また、胸像なのか中が少し透けて見える胸から首の作品が妙に気になりました。
それが気になったのは、中にある赤い電灯が点滅するからです。
それはまるで坊やの心臓の心拍の様に規則正しく点滅します。
この点滅が続く限り、坊やの心臓は動き続けるのではないかしら、と確信に近い思いが生まれて参りました。
そして、売れずにあったならどちらかを買おうと心に決めていたのです。
最終日、作者にその旨を話し値段を聞いてみますと、けんもほろろに「売りません」との返答。
少々途方に暮れながら、売らないと言われると一層欲しくなるもので、時間をかけて交渉をしてみよう、とその時に思ったのでした。
翌日、片づけを終えた作者から会場の確認をして欲しいと言われ2階に上ると、綺麗に片付いた会場の奥にあの2点が置いてあるではありませんか。
「え? 売っていただけるんですか」と尋ねますと
「いえ、差し上げます」との答え。
それ以来、その2つの作品は「スタジオ1951」のグレードをぐんと上げてくれております。

パーティー主催者のお陰で、2年前のあの暖かい思いが甦ってまいりました。


こころ

2019-03-19 16:29:30 | 書物・文学・詩

夏目漱石の「こころ」を久しぶりに再読いたしました。
読み終わり、思い浮かんだのは聖書の一節です。
エレミヤ17章9節に「心はほかの何物にも勝って不実であり、必死になる。だれがこれを知りえようか」とあり、それに基づいた話であるように感じたのです。
”あなたは真面目ですか”と繰り返し聞く先生。
良い叔父がお金でころりと不実になり、親友Kを助けたいと思った純粋な私(先生)の心さえ不実になり必死になるのですから。
Kの一番弱い部分にメスを入れ、お嬢さんへの想いを断ち切らせようとし、それでも信じられずKを自殺に追い込む。
その不実さにそれを背負って生きる辛さが伴います。
乃木大将の30年に及ぶ、死を考え続けた辛さを自分に重ねることに、更なる不実を感じました。
Kは不実ではなかったのかもしれません。遺書は私(先生)への感謝しか書いていなかったのですから。
或いはそれが、更に私(先生)の不実を思い知らされる要因となるのでしょうか。
毎月の墓参りの際、私(先生)の心は、不実なのでしょうか、或いは真面目なのでしょうか。
私たちは容易に不実になり必死になりうることを、改めて考えさせられた小説でした。


乙川優三郎

2019-03-13 15:51:27 | 書物・文学・詩

彼の作品は、あまり書店で見かけることがありません。
あるご縁で手にすることになり、知らない作家でしたので、しばらく机に載せたままにしておりました。
やっと手に取りページを繰りますと、活字がスルスルと心に入ってまいります。
まるで語り掛けられてでもいるように。
そのうち、私はその本と会話をしておりました。
作品からの返事に思いがけない発見や、成程、などと深く頷いたりしているのです。

今朝読んだ短編から少し。
「トワイライト・シャッフル」という短編集の「サヤンテラス」です。
サヤンテラスとは房総にあるインドネシア語のホテルの名前です。
そこのテラスでオリーというイギリス人女性は、毎日のように日本人夫の仕事帰りを待っていました。
二人はインドネシアで知り合ったのです。

やがて年老いて、一人暮らしになっても彼女はそのホテルのテラスで過ごすことを楽しみました。
そこにこんな一文があります。
「人には老いてゆく体の居場所と若い心の居場所があって、・・・」
ホテルのテラスは彼女にとってそんな場所だったのです。
読みながら、私にもそんな場所があるかしら、とふと考えます。

また、新たな出会いに心が揺れたときの、こんな一文です。
「曖昧な縁にすがるような生き方は性に合わないし、自分を誤魔化して人を恃めばいつか後悔することも分かっている」
異国で一人暮らす彼女の精神性が見えてきます。

私にとって、良い作家に出会いました。




 


2本の映画

2019-01-06 13:11:10 | 音楽・映画

今大変な話題を呼んでいる映画「ボヘミアン・ラプソディ」。
お客様や知人からも強く勧められ、観て参りました。
クイーンについては名前を何とか知っている程度で何の前知識もありません。
フレディ・マーキュリーについてはなおのことです。
エイズで死んだミュージシャンが居たことはうろ覚え程度でした。
しかしこれほど多くの人を熱狂させる映画への興味が次第に深まり、かつてマイケルジャクソンの「this is it」に魅せられ、連日映画館に通ったことを思い出しました。
あんな情熱を持てる映画に再び出会えるかもしれないとの期待も少し持ちながらの鑑賞でした。
確かに素晴らしい映画で、「ボヘミアン・ラプソディー」の「ママ~♪」と流れたときには胸が熱くなりました。

そして、更に気になっていた「エリック・クラプトン~12小説の人生~」も観て参りました。
クラプトンは「レイラ」や「ティアーズ・イン・ヘブン」など好きな曲が数々あり、仙台に来た際にはライブにも行ったのでした。
中でも「レイラ」は以前PCのパスワードにするほど好きだったのです。
映画はそれらの曲が出来上がるまでを丁寧に記録し、クラプトンの人生が痛いほどに響きました。
マーキュリーもクラプトンも苦しい中から音と言葉を紡ぎ出し、それは聴く者の魂に響くのです。

言葉も音楽も人間だけができる表現で、それによってどれだけの人が救われ生かされてきたか。
使い方によってはその逆もありうるわけで、それを思いますと、身の引き締まる思いがいたします。

クラプトンの映画には少し通ってみようかと思いました。
良い出会いでした。


良いお年をお迎えください

2018-12-31 16:35:41 | 記録

何年か前、ジュリアード音楽院を卒業されたバイオリニストが来店されたとき、ちょうどお店では(指揮者の名は忘れてしまったのですが)、ニューヨークフィルのCDをかけておりました。
突然彼女が「私、この指揮者で演奏をしたことがあるの」と言ったのです。
さらに、「この指揮者の指揮で演奏をすると自分のバイオリンの音色が変わるのよ。これは演奏する側でしか味わえない醍醐味ね」というのです。
その話は大変印象深く残っておりました。

そしてつい先日、聴衆の側からそれを体験したのです。
ある大学の定期演奏会でした。
指揮者が前半と後半で代わりました。
この大学の演奏会は人気が高く、開場前から長蛇の列でチケットを買えないことも常になっています。

開演と同時に、当日の予定指揮者の体調が芳しくなく、前半だけの指揮となり、後半は別の者に代るとのアナウンスがありました。
前半の指揮者はまだ病み上がりのようで、車椅子での登場でした。

コンサートはいつも初めに、東日本大震災で亡くなった方のための鎮魂の曲が演奏されます。
演奏が始まり、澄んだ、それでいてピーンと張り詰めた音が会場を包みました。
毎回聴いているこの曲はこんなに美しいメロディーだったかしら、と今まで感じなかった感慨を覚えたのです。
演奏終了後、軽く黙とうを奉げプログラムに入りました。
いつにない優れた音が会場に流れ、全身が耳になっていったように感じました。
後半はいつもの指揮者が代わって指揮をなさったのですが、ああ、これがいつもの音だったわと確認したのです。
と同時に、指揮者によってこれほどに音が違ってくるものかと驚かされた体験でした。
改めて先のバイオリニストの話を思い出し、聴衆でもそれを楽しめる喜びを知りました。


今年一年、皆様にとってどのような年になったでしょう。

12月29日、2階のスタジオ1951でコンサートがございました。
ある音楽教室の先生たちによる演奏会です。
リードギター、ベースギター、ドラム、サックスの四人による演奏でした。
リードギターはボーカルも兼ねておりました。
歌が入る時に聞こえずらく、マイクが低いのではないかと気になったのですが、ある曲に入り、ボーカルの声が楽器の一つとして調和した時には驚きました。
人間の声は最も優れた楽器、といった方がおりましたが、本当に楽器として聞くと何とも言えない魅力的な音なのです。
今年の一年、いえこの年末になりますが、音に驚いた一年でした。

では皆様、良いお年をお迎えくださいませ。




歌うこととは

2018-03-08 18:23:41 | 音楽・映画

日曜日夜に、音楽チャンプという番組があります。
歌手志望の若い方々が歌唱力を競います。
審査員やゲストの方々が、彼らの歌に嬉しさの笑顔を輝かせ、時には涙を流します。
これだけの影響を与える歌い方とは・・・と思わず画面にくぎ付けになります。
四人の審査員が様々な評を語ります。
それを聞いていると、歌うとはこういうことだったのか、と開眼させられるのです。

更に、今放送中の越路吹雪のドラマ。
実際の舞台を見たことはないのですが、こんなに人を夢中にさせる歌い方とは? と興味がわきました。
今は便利にYouTubeで当時の映像を見る事が出来ます。
あれだけ有名な歌い手でしたのに、歌を聴くのも映像を見るのも初めてでした。

参った!
が最初の印象です。
こんな歌い手がいたのだ。
訳詞、アレンジの素晴らしさも手伝ってか、越路さんならではの歌になっておりました。
明るい歌は、陽気ではちきれんばかりの明るい世界を、寂しい歌はすべてがグレーに見える世界を作る彼女の歌のうまさに唖然です。
彼女は歌でどんな世界も作り上げてしまう。
舞台で観たならきっと病みつきになったことでしょう。
日生劇場の1か月間のステージが、2日で完売という伝説も理解できる気がいたしました。

歌は好きでいつも口ずさみ、機会があればいつでも歌いたいと自負しておりました。
しかし歌うとは、音程が取れ気持ちが入っている、だけのことではなさそうです。
映像で観るだけの彼女の歌でさえ、その都度その都度完成、いえ、完了しているのです。
メロディーと共に歌詞が、その世界が、聴く者の心に届けられます。

歌う事の奥深さを思い知らされた、二つの出来事でした。