間もなく4月、また一つ年を取ります。
今日、お客様幾人かでお祝いをしてくださることになり、美味しい日本酒の差し入れがありそうです。
お店主催で同人誌を発行していることは以前触れましたでしょうか?
それが第7号まで続きまして、5月末日が第8号の締め切りです。
はじめは何を書いていいやらと悩むばかりでしたが、発行期間が約一年に延びたことでゆっくり進めることができるようになりました。
それで、第7号では心の奥に秘めていた哀しみを書いてみようと思ったのです。
母の哀しみを書いてみました。
自分の昔話をよくしてくれた母でしたが、決して詳しくは話そうとしない哀しい出来事がありました。
それを書いてみようと思ったのです。
そして第8号では私の哀しみに向かうことに致しました。
不思議に書いていて感じたのは、過去の哀しみをもたらした時間や出来事が優しく見えることでした。
そのためか、文字になる内容が温かく変化して参ります。
年を重ねたということが大きな要因のように思えるのですが、どんな哀しいことも自分の人生と受け入れることができるようになったからでしょうか。
ふと、そんな中専ら読み進めている寡作作家ウィリアム・スタイロンの文章が思い浮かびました。
スタイロンは暗く深刻な問題を扱っているのですが、読むことに不快感は生じず、ただただ既に知っている問題でも角度が違うとこうも違うのかとの驚きをもたらすのです。
「ソフィーの選択」から始まりましたが、二冊目三冊目と読み進むにつれ、長い文章であり深刻な問題でありながら読者をしっかりとつかむ文章の力に圧倒されます。
今は「闇の中に横たわりて」を読んでいるのですが、場面や時間が頻繁に行き来しても迷わずストーリーについていけることにも驚くばかりでした。
読みやすさは、スタイロンが辛い哀しい問題を優しい目で見ているからなのでしょうか。
哀しみが優しく変化するなら、年を重ねることも悪くないなぁとつくづく感じる発見でした。
誕生日を目前に前向きな発見を致しました。