サンチョパンサの憂鬱

サンチョパンサの食卓 (5)

多数派の犯す『愚』について嫌になるくらい書いて来た。

シングルマザーやヤングケアラーなど、救済の為の時間には一刻の猶予もない問題。何故なら?次の時間に『死の予約』の危険を孕んでいるからである。
今直ぐでも手遅れになりかねない火急のテーマなんだけど……。

貧困格差、貧困の固定化、弱肉強食社会……こういう流れは誰が悪いのか?

これに対して一つのアンサーになる亀井静香氏のインタビュー記事を友人が送ってくれた。
主犯は小泉純一郎、共犯は竹中平蔵である。
彼等が派遣を一般化させ、『非正規』なる新奴隷階級制度?とも言える社会構造に変えた。

キーワードは『自己責任』、『合理化、効率化による生産性アップ』である。
竹中平蔵は『労働流動性のアップ』なぁ~んて嘯いたけど、その後、パソナに職を得て、まぁアカラサマに錬金に精を出した。

しかしね?考えてみて欲しい。

その『小さな政府』を主張する小泉純一郎、竹中平蔵に拍手喝采を叫び大きな大きな承認と勝利を与えたのは……圧倒的多数派の貧乏人達だった事を……。

ヨーロッパは既にその時サッチャーイズムから脱却し再び『大きな政府』へと舵を切っていたというのに。
大きな政府という『大きな』は、財政規模である。その大きな財政の主たる使い道は『社会保障費』なのである。

人は必ず失敗を犯す。
失敗自体さしたる問題はない。ポイントとなるのは失敗に対する『検証力・反省力・内省力』なのである。

我々庶民は?と宣い、小間切れにした時々のリアルタイムの全てに『被害者としての立場ばかりを主張する』偽装善人達こそが、今の弱肉強食社会を作った主犯なのである。
失敗の活用という合理性高い復元力を手に出来ない原因はここにある。

失敗には『やった失敗』と『やらなかった失敗』がある。現実に犯してしまった明らかな失敗すら吸収しようとしない人間に、やらなかった失敗の理解なんて望み様もない。

宮迫にも渡部にも家族がいる。そういう『シンプルな事実』に思いを馳せられない人格。
カサカサに渇き切っている心……だからこそ『目先に弱い』のだという因果である。

そんな心理が生み出すお笑い?なぁ~んて子供染みた『悪ふざけ』しか無いんじゃね?

今のまんまなら、何が悲劇だ!アンタ等の自己責任で選んだ政治体制じゃないの!
そんな新自由主義者達の高笑いが聞こえ来る。

凡庸なる小市民達の失敗?

そう嘯いてニヒリストを気取ってる場合じゃないな?僕はそう思った。
ご飯が食べれない子供達が居るのなら一人でも多く食べさせなきゃ!……それなら?出来るぞ……と。

失敗に気づいたなら?
いきなりその失敗全てを取り返すことなど無理。
しかしね?『演らないより演った方が良い』……『これなら出来るぞ』は殊の外一杯あるのである。

食べ終わった子供達が向けて来る眼差し……コレこそが飲食店運営動機の原点となるモノだ。
『ホスピタリティ』、『思いやり』である。
それを失った人間は人間の群れの基本原理を失うことになる。

カネに追いまくられた長い時間の中で……『危ないところだった』……と感じている。
カネの寡多で人を助けないなら?俺もカネで態度を左右する人間になる?

そうやってギャンブル依存症の人間に数億円の死に銭を与え続けた『失敗』から得た教訓……、
モノもカネも本当に必要としている人に供したら『活かして使って貰える』という事だった。

『思いやり』ってね何も飲食業だけじゃなく人間の全ての職業の基礎となる絶対必要条件なのだという『学び』を得た。
失敗って奴は『使い方』によって大きな自己投資となるのである。

今の日本、再生へ向かうか?瓦解に向かうか?
その分岐点にある。
今より悪くない人間、方法をチョイスすること。ソレが害悪を少しでも減らす方法なんだろうなぁ?と思う……おそらく。
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