ナーバスのベクトル

憂いと喜びのベクトルが今日もあちこち上下する

試行錯誤ということ。

2005-03-30 21:44:24 | ベクトル→マイナス
昨日は、昔の編集仲間の友達らが来てくれた。
ロンドンから来た子もいたので、今の日本の話になった。イギリス人というのは、ああ見えてすごくいい加減らしい。日本に帰って来て、全てが機能的、合理的、能率的でびつくりしたらしい。
で、日本在住のわてらは、この機能的、合理的、能率的が腹立たしいと抗議した。
その昔、印刷物を制作するには、まず、原稿用紙に書かなければならず、200字とか400字とか決められた文字数ピッタリに納めるには、ちょい下書きもし、辞書も引き、校正もし、あまりに赤だらけの原稿になったら清書もしいと、なかなか手間のかかることだった。
デザインも、写真を複写機で縮小拡大したものを台紙に貼り、文字を指定し、写植を打ち、版下に貼り、文字校があれば一字一字を切り貼りし、マゼンタ何%、シアンが何%と色指定し、紙焼きならトレぺをかけてアタリの指定をしいと、相当じゃまくさいことだった。
そんな手間暇かかる作業の中で、それぞれが機能的、合理的、能率的にするための試行錯誤を実績と呼んでいたような気がする。
今はパソコンのおかげで、めちゃめちゃ機能的、合理的、能率的にできるようになり、昔に戻れと言われたら絶対嫌だ。
しかし、はじめから機能的、合理的、能率的なパソコンというツールを使いこなしている、若い世代の人たちは、機能的、合理的、能率的があたりまえなので、ちょっと枠からはずれたことを頼むと「できません」と言う。「それは手間がかかります」と言う。それは「作業が増えます」と言う。
機能的、合理的、能率的があたりまえなので、機能的、合理的、能率的じゃないことは悪だと思っているかのようだ。
仕事量に合わせた料金体系や進行管理のシステム化は、機能的、合理的、能率的かもしれないけど、そのシステムの流れに合わせるだけでOKの人たちがいる。
友達は、「私、デザインの仕事は好きなんですけど、時々、いつもと違うことをやらせれる時があって、それが嫌なんですよ。考えるの得意じゃないんで」と、普通に言う若い女性デザイナーと会い、目が点になったそうだ。
「それはあんた、デザイナーと違いますから。オペレーターと言うんです、残念!」と、突っ込みたいのをぐっとこらえて「それは、たいへんねぇ」と答えたそうだ。
パソコンやシステム化は、機能的、合理的、能率的だけど、それが目的ではない。機能的、合理的、能率的だから、じゃまくさいことや手間暇かかることをプラスできる。昔より、ずっと楽に試行錯誤できるはずなのに。
「試行錯誤は名人やけどな」
「パソコンの機能性、合理性、能率性を理解しとらん。デスクトップをファイルだらけにして、机の上と同じ状態にしとる」
「脳の機能もほとんど使ってへんけど、パソコンも同様やな」
うるさい脳ちゃん、昔に比べたらずっと機能的、合理的、能率的なんやからいいやん。
「いや、いや、こんがらがっとる。ベクトル、マイナスや」

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