ナーバスのベクトル

憂いと喜びのベクトルが今日もあちこち上下する

占うということ

2005-03-11 19:48:40 | ベクトル→プラス
友達が占星術をしているので、岐路となる時期や大きな運気の流れのようなものを教えてくれる。
アドバイスをもらうと、だいたい当たっている。その通りの気分なのだ。私はとてつもなく素直な性格らしくて、普段から星のメッセージを自然にちゃんと受け入れているらしい。社会的には、気分屋のええかげんな奴となるが、自然界においては、運気の法則に逆らわない真面目な良い子なのだ。
今、占いを社会的な事柄でうまくいく方法(恋愛や仕事やお金もうけなど)に利用する人が多いが、本当は自分とって良い時期や悪い時期などを理解する、ことが大切らしい。
きつい時は軽く流し、チャンスの時はひと踏ん張りし、パワーの調整を自分で行い、スムーズな流れにすることで「常に自然でいる」ことが占星術の本当の目的だそうだ。
麻雀では、ツイてる時はどんどんツキに乗り、ツイてない時は最小の負けに押さえるのが、うまい打ち方だ。流れに乗り、逆らわないということでは、占星術の目的と同じではないか。でも、ツイてる時はポカをして、ツイてない時は熱くなる私は、麻雀が弱い。
ナチュラルでニュートラルでいる精神状態の工夫が、人生も博打も勝ちにつながるとは…。
「頭はボケてるけど、カンだけはえもんなぁ」
「というか、ピンチの時もあまりわかってへんから、ストレスたまらへん」
「天然ボケは、お得やわぁ」
「まっ、麻雀は一生やっても強くはなられへんけどな」
おいおい、脳がしっかりしてないから麻雀、負けるんやないの。
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懐かしいということ

2005-03-11 12:33:35 | ベクトル→プラス
ギャラリー回りをしていて、あるエレベーターに乗ったら懐かしい匂いがした。
陽は西に傾いていたが、赤い夕焼けになる前のギリギリの昼の光がさしこむ廊下を歩いて、エレベーターに乗ったらその匂いがした。
クリームソーダかサイダーのような、子供の頃によく嗅いだ匂いだ。
学校の下校途中で道草した匂いだ。
もっと遊んでいたくて、家に帰りたくない匂いだ。
毎日がキラキラしてたのに、それに気づかなかった頃の匂いだ。
匂いとか風は、一瞬にして昔のなにか切なくて懐かしい思い出の世界に巻き込む。
アロマを勉強している友達が、癒しとか和むという感覚は、この懐かしい感覚を思い出すこと、イメージが広がることだそうだ。だから人によって、琴線に触れる匂いは違うそうだ。
そんなこと考えると、街から匂いが減ってきたような気がする。家ごとにあった匂い、人の匂い、路地や道の匂い、犬の匂い、毛糸の匂い、髪の毛の匂い、草の匂い、土の匂い…。
今は消臭ブームだから、いろんな匂いが消されている。ほんで、アロマや香水、芳香剤などの匂いをふりまいているけど、匂いの画一化と言えるかもしれない。
傷みかけ寸前のお弁当の匂い、枯れた雑草の匂い、レコードの匂い、たき火の匂いのアロマがあってもいいのかも。
「あれから、子供時代の望郷に入ってしまいよった。いつまでボ~としてるんや」
「匂いが一番記憶を呼び覚ますいうから、ボケ頭の刺激にはなるけど、ボ~としてるのが、ひつこいなぁ」
「怠けるきっかけに食らいつくの、ほんま名人やからなぁ」
うるさいな脳。あんたが好きな匂いやろ。
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