milkの毎日

60歳の私が何気ない毎日の事をつぶやいて穏やかに家族と過ごしています

団地に住み続けて

2023-10-16 20:48:00 | 日記
20年以上

団地に住んで思うのは

ここに越してきた時

大変だった時に

助けてくれたと思う近所の人が

何の前触れも無く

引っ越したり

知らない間に顔を見なくなったり

親しくない方でも

ご不幸があり

お亡くなりになって

葬式に行く事はある。

だが

ただ

お隣に住んでいただけ。

あまり親しくない方の

葬式に行っても

そんなに話す事も無い。

祖母や母や父

夫の両親を見送り

段々と

私も

母や夫の母の亡くなった歳に

なっている事に気づいて驚く。

いずれ

私も

この世を去る日がくると

言う事だ。

私は

娘がまだまだ精神的に幼いし

私達亡き後

娘の兄が

面倒を看てくれると思う。

だが

娘自身が困らないだけの

身の回りの事を

自分で出来るように

なっていて欲しいし

3人で過ごした思い出の中に

娘が

思い出した時に

何か

生きていく時の

希望になるような

温かい

思い出を日々

作って置きたいと思う。

私が

先回りして

やり過ぎたせいで

娘は

SOSさえ

発する事も知らずに

ここまで来てしまった。

結局

先回り

し過ぎて

それが

娘の手足を縛ってしまったかも

しれない。

見守ると言う事が

いかに

難しいかと言う事を

今更ながら

痛感している。

徐脈と言われた2年ほど前から

私はエンディングノートもつけ始めた。

正直

財産なんて無いけど

無名の一般人の

学歴も何もそう大した

事のない自分の事を

そう書く事なんて無いけど。

ここまで生きてきたことは

私は奇跡のような気がする。

11月に実母の33回忌がある。

56歳で亡くなった。

皆に可哀想と言われる。

その事にすごく

残念な気持ちだが。

せめて弟や妹には

可哀想な人と言う

言葉を言って欲しくない。

母がいたからこそ

弟も東京に出て

大学に進学出来て

今があるのだから。

妹は

母の遺言のような

まだ高校生だった彼女の事だけを

心配して

亡くなった

事を

私は今

妹が50歳になり

優しいパートナーと仲良く

過ごしていると報告したいから。

母は

見守る事が

とても得意だった。

してあげる事よりも

見守り

その人の為になるように

励まし支える事の

方が難しい事を

還暦になっても

まだまだ

学び中である。

いつまで

生きられるか

わからないけど

私が出来ることは

娘が自立出来るよう

励まし支える事。

話を聞いて聞いて

56歳で

達観していた母を見習わなければ。

母が

兄弟仲良くと言い続けたように。

私もそれを信条として

生きる希望を与えられるように

生きて行こう。



公園

2023-10-16 01:57:00 | 日記
娘と最近

公園を

朝早くに歩く。


良く行くのは

孫が9月に

帰省した時に

毎朝行った公園。

そこに

孫より2〜3ヶ月早い

男の子が

歩きにきていて

お母さんと

白いふわふわの毛のワンちゃん。

だいぶしっかりと

歩けるようになっている。

孫も

保育園の運動会があり

そこに座って

お母さんが

抱っこしてゴールしたらしいが。