(神代植物公園のバラ 令和4年5月17日撮影)
1972年4月○日、日付は忘れましたが、川崎に本社のあった自動車部品メーカーに入社しました。会社の名前は「トキコ株式会社」、入社してから知ることになりますが、過っては実業団野球で有名だったようです。そう言えば、会社の名前を教えた時、父が「どこかで聞いたことがある。」と言っていたのもそのためかもしれません。
入社式は、今はもうありませんが、本社の本館講堂で行われました。新入社員は全員で36名(学卒が30名、高卒が6名)でした。当時はまだ現業系の中学生卒業者の採用もあった時代ですが、中卒採用者の入社式は別に行われたようです。
入社式の様子は全く何も覚えていません。当然社長の挨拶があったと思いますが、当時の社長の名前も、当然ながら挨拶の内容も全く覚えていません。
余談ながら、高卒6名のうち4名の顔は今も覚えています。うち3名は女子で、いずれも配属先の庶務、1人は社長秘書、いずれも役目柄なかなかの美形でした。
同期であり、ある意味、出世街道のライバルでもあった学卒の30名の顔も数えたことはありませんが、ひとりひとり思い出すことが出来る気がします。
入社式が終わって、その日のうちに配属式が行われました。
今なら、新入社員教育がごくあたりまえにあるのでしょうが、当時は、教育は現場でということだったのでしょう。
配属式は、隣接する川崎工場の食堂で行われました。一人一人、名前と配属先が告げられ、その後配属先の先輩に連れられて、配属先の職場へと向かいました。
私の配属先は「本社・資材部・購買課」でした。購買課???、何の仕事?丁度食堂の一角に売店、つまりは購買があったので、隣の同期から、「あそこで仕事するんだ」と言われたのを今でも覚えています。半分本気で『売店の売り子か!?』とその時は思ったものです。
配属式が終わり、その後配属先の職場に連れていかれたのでしょうが、その時連れに来てくれた先輩も、配属先で上司や同僚に挨拶したのでしょうが、その時のことも全く覚えていません。
ということで、いよいよ社会人の生活が翌日からスタートすることになりました。
(つづく)