SYUUの仕事部屋:ものづくりの世界のしくみをもっと深く知ろう!

製造業(メーカー)の仕事の仕組みをご紹介しています。

転籍

2024-01-28 10:05:31 | 888私の履歴書ー仕事編-

(よみうりランドジュエルミネーションより    2023年12月19日撮影)

 

 メーカー勤務の27年半の中で、山梨工場での勤務は2年間と短いものでした。しかし、強い印象を残した2年間でした。

 その後の仕事の大きな手段となったコンピュータによるシステム化の方法を学んだこと、素晴らしい上司に巡り会ったこと、仕事以外でも、同年配の仕事仲間も多く、楽しい2年間でした。

 しばらく山梨も訪れていませんが、一度ゆっくり遊びに行きたいと時々思います。工場もどうなっているか見てみたいですね。独身寮から歩いて数分の所に小さな商店街がありました。レコード屋さんもあって、そこで買ったレコードを今も持っています。さすがにお店はもうないでしょうね。

 そんな山梨工場を去る時が来ました。

 本社の部長からは、少しの間勉強をして来いと送り出されたので、当然本社に戻るものと思っていましたが、結果は違っていました。営業に行くことになったのです。
 詳しくは、次回にお話ししますが、山梨工場は自動車部品の工場でしたから、営業も自動車部品の担当でした。しかし、私の行った営業は新設された特殊な部門でした。

 どうして、本社に戻らず、営業に行くことになったのか、どうやら上司の働きかけによるものだったようです。面談があったわけではありませんが、上司との雑談の中で、私の今後について話をしたことがありました。その時に、『工場は日々の変化があって面白い』といった内容のことを話した記憶があります。上司はそれを『本社は面白くない』と私が思っていると判断したようです。

 新設された営業部門では購買の知識が必要な業務があって、そのために購買部門から人を出す必要があったようです。その人材に私が向いていると上司は判断して強く推薦したようです。
 後で、本社の資材部に挨拶に行った時、苦々しい顔で部長から、ともかく仕事の段取りをつけたら戻って来いと言われましたが、結局、購買部門に戻ることはありませんでした。また、転籍した営業の部長からは、どうしても私を欲しいと懇願して実現したということでしたから、この転籍は結構もめたようです。

 とにもかくにも、1978年(昭和53年)12月に山梨工場調度課から、営業部門への転籍となりました。

 

(山梨工場時代:終わり)

 

 

 

 

 


上司交代

2024-01-21 11:48:06 | 888私の履歴書ー仕事編-

(よみうりランドジュエルミネーション・噴水ショーより    12月19日撮影)

 

 山梨工場勤務から1年ほどで上司の課長が交代となりました。新しい課長は購買部門内ではなく、他部門からでした。

 このため、購買業務の手続きについては、私が教える立場となりました。もっとも、新しい上司は室伏さんと言いましたが、この室伏さん、私の社会人人生では、仕事上の先生の一人として、尊敬する存在となりました。

 上司は、元は設計部門に所属し、見積業務を担当していました。ここで言う見積とは、製品の原価を算定する業務をさしています。会社としての利益計画の基となる原価を算定する重要な業務です。
 部品費や組立費用などを集計することで、一つの製品の原価が計算されることになります。このため、購買部門と見積部門は仕事上の繋がりがあり、見積部門からは部品単価の問合せがありますし、購買部門も新規の購入部品については、事前に見積部門に予定価格を聞いておいて価格交渉の参考にもします。交渉で予定価格を下回れない場合は、見積部門の承認が必要にもなりました。

 本社の資材部にいた時に当時の室伏さんとのやり取りが多かったのですが、特に、「原価低減プロジェクト」が出来、二人がそのメンバーに入った時には原価算定の方法など詳しく教えていただきました。
 すでにご紹介の生産管理マニュアルにも「原価管理」の説明がありますが、この内容のかなりの部分は、この時の室伏さんからの教育の結果でもあるわけです。

 それと、上司になってから教えられたことは「仕事は誠実に!」ということです。
 上司と部下としての山梨工場での直接の関係は、結果として1年だけだったのですが、その間に忘れられないことが一つあるのです。それは外注との関係でした。

 ある外注からの納入部品に不良が発生したのです。組立時にその部品が割れるという不良です。しかし、納入部品を図面と照合すると図面の指示どおりです。したがって、図面上は不良ではないのです。
 このため、外注より再納入させ、テストしてみましたが、やはり組立で割れてしまったのです。
 こうなると、外注は力関係でどうしても、不利になります。社内の各部門からは購買に圧力がかかります。「外注先」の変更要求があったのです。私もしかたがないと思っていました。
 しかし、新上司の対応は違っていました。「図面どおり出来ているので不良ではない」と突っぱねたのです。これも、後のテストで分かったことですが、図面指定の材料に問題があったのです。材料変更で問題は解決したのです。
 さらに、上司は社内稟議を書いて、不良となった部品代も外注での在庫分も含めて買い取る処理をしたのです。
 今の時代なら、下請法の厳しく適用される事案ですが、もう40年近い昔のこと、まだまだ下請けいじめが当たり前の時代でしたから、他の上司なら、なあなあで済ませてしまった事案だった気がします。

 「誠実な仕事」、その後の私はそうできたかは甚だ疑問ですが、何か問題があると、同じような事案ではなくてもこのことを思い出すようにしていました。

 

 

(おわり)

 

 


コンピュータ学習3

2024-01-14 10:26:26 | 888私の履歴書ー仕事編-

(よみうりランドジュエルミネーション・噴水ショーより    12月19日撮影)

 

 システム作りのためのコンピュータ室通いが半年ほど続きました。
 当然毎日、一日中ということではありませんし、それなりのシステムで、しかも全くの初心者ですから時間がかかったのは当然です。

 時間はかかりましたが、一番良かったことは、単なるプログラミングの勉強というのではなく、システムの構想から、プログラミング、テスト、結果の検証と一貫したシステムの作成方法を勉強できたことです。
 事実、この後、コンピュータを利用した多くのシステム作りにかかわることになりますが、プログラミングをしたのは唯一この時だけでした。それと、プログラミングといっても、標準言語を勉強したわけではなく、ホストコンピュータに付属する簡易言語を利用したもので、汎用性のあるものではなかったのです。

 ただ、このコンピュータ学習は、私の仕事の原点になることとなりました。

 プログラミングもまともにできないのに、いつの間にか、「あいつはコンピュータに詳しいらしい」との評価になっていたのです。おそらく、システム完成から半年ほどの時に、社内の事務合理化の特別表彰があり、その最優秀賞を貰ったことが要因かと思います。
 先にお話ししたように、山梨での2年間の業務の後、購買部門を離れることになりますが、その後は、問題をかかえる部門の修繕屋役とでも言うことか、他部門に転籍となることとなりました。それも、この時のコンピュータ学習が元となったものです。
 そして、その後、IT企業に転職することになりますが、その原点もここにあったことになります。

 ところで、完成したシステムはどうなったかというと、結果的には本格的な利用は出来ませんでした。出来たのは一覧表ですから、カードの代用とするのは運用が難しかったのです。ただ、一覧表ですから、単価を調べる時など、カードを探すより、手元の置いて確認が出来るため、補助資料として活用することになりました。
 本来的には、オンラインの画面検索・ワークフローシステムが必要ですが、当時は端末が個人どころか、部門にもない時代でした。データ処理も紙テープ、プログラミング結果も紙テープに打ち込んでいた時代ですから、一覧表を出すのが精いっぱいでした。

 それでも、半年間はとても楽しかったです。夏休みには毎日会社に出かけていました。盆地で蒸し暑い山梨、冷房の効いたコンピュータ室は快適でした。山梨の2年間で一番の思い出かもしれません。

 

 

(コンピュータ学習:終わり)

 

 

 

 

 

 


コンピュータ学習2

2024-01-07 10:11:28 | 888私の履歴書ー仕事編-

(よみうりランドジュエルミネーション・噴水ショーより    12月19日撮影)

 

 山梨工場赴任当時は時別な担当もなかったため、まずはこの伝票処理の混乱のコントロールの担当を自発的に始めました。そんなわけで、コンピュータ室への出入りも多くなり、情報管理部門の担当者とも自然に親しくなりました。

 そんな折、情報管理部門の責任者から、プログラムの勉強を勧められたのです。コンピュータには全く興味がなかったのですが、基礎を知ったら、事務の合理化にも多少役立つのではとのことで、コンピュータ学習がスタートすることとなりました。

 その学習法ですが、コンピュータの仕組みやプログラミング言語を学習するというより、具体的な業務システムを作ってみる、という方法をとりました。そこで、対象を「単価カード」のシステム化としました。

 単価カードとは購入品目ごとの購入単価の来歴が記入された帳票のことです。特定の品目を発注する都度、そのカードに発注単価と数量、発注先を手書き記入して来歴を管理しているものです。

 このカードは、購買部門にとっては非常に大事な帳票ですが、管理の手間も大変です。
 その手順は次のとおりです。

  • 購買の依頼が購入依頼部門から「購買依頼票」として来ると、その依頼票の品目番号を見て、単価カードの保存されている引出しから、その品目のカードを取り出します。
  • カードにある過去の発注先と単価を見て、前回どおりの条件で妥当か判断して、依頼票に単価と発注先を記入します。(通常、「前値参照」と言って前回と同一条件で処理します。)
  • 上司の決裁を受けた伝票と単価カードが戻ってきますので、伝教はコンピュータ処理に回し、単価カードは元の引出しに戻します。戻す時に、次回取り出すとき困らないように、品目番号順になるように注意して戻します。

 以上の手順です。

 この単価カードのコンピュータ化、つまりは品目ごとの来歴(価格、発注先、発注日、数量など)を管理するシステムを作ろう、というわけです。

 そこで、システム化の概要を以下のとおり構想しました。

 ① 利用するデータ:過去の発注データの累積ファイル

 ② ①より、品目をキーとして、必要データを抽出しファイルを作る

 ③ ②のファイルより、単価履歴の一覧表をプリントする。
  (今なら画面検索のシステムを作ることになるのですが、当時はまだ端末が事務所にはない時代だったため、最終的にはプリントアウトして見るしか方法がなかったのです。)

 そして、いよいよシステム作りがスタートしました。

 

(「コンピュータ学習」つづく)