古墨染 枕屏風
久しぶりに 古墨を玉版二層紙(熟)に染めて見ました。
遊びに来た友人が 枕屏風が 欲しいとのことで 家の床の間の大きな古墨染の屏風を見るや、
この色で、枕屏風をとのことで・・・・・・
墨色は 磨られて姿は消えていきますが、色は永遠の命を創ります!
この屏風も あと何年後にはもっといい墨色を表現してくれると確信しています。
古墨染 枕屏風
久しぶりに 古墨を玉版二層紙(熟)に染めて見ました。
遊びに来た友人が 枕屏風が 欲しいとのことで 家の床の間の大きな古墨染の屏風を見るや、
この色で、枕屏風をとのことで・・・・・・
墨色は 磨られて姿は消えていきますが、色は永遠の命を創ります!
この屏風も あと何年後にはもっといい墨色を表現してくれると確信しています。
制作年 墨色パネル(2000年11月~2001年3月) 墨色の屏風(2010年11月~2011年2月)
2001年の墨色 2011年の墨色
この二つの墨色の変化は墨を使用して10年間の時間が経ています!(又この次は10年後)
墨を使用した後 その墨色は確かに変化しております!一般的に色は褪せる言われていまが、
幾度となくお話をしておりますが、墨色は 時間が経てばたつほど透き通った深い墨色になるのです!
使われた古硯と古墨文房四宝によっても かなりの相違はありますが
いかがでしょうか?
私達が 博物館などで見る名作(水墨画)の色は 制作者達が創りだした色よりも遥かに澄み切った墨色に変化し
現在の私達に感動を与得てくれているはずです!
古い日本画で昨日描いたような清々しい 冴えた色の作品に出会うことはありませんでしょうか
又、色が褪せてしまっている作品に出会ったことはありませんか?
墨は時間を経ればより澄んだ墨色を出すという事実!
彩墨の存在!私は古彩墨を手に入れて初めてこの疑問 謎が理解できたのです!
現代でも日本のあるメーカーで彩墨を造っています
中国の古い彩墨の色から見ますとシルクと綿(例えて見ますと!)ほどの相違があると私は思います ・・・・・・・
では!次回は 素晴らしい古彩墨の色と 造形を皆様にお知らせいたします!
王朝の雅 近衛家 千年の名宝展での興奮
近衛家千年の名宝展で未だに心に残っている作品が有ります。
王朝文化の冴えたる宝 料紙に和歌を書く
日本ってなんと素敵な文化を持っていたのでしょうか!
詠糸桜和歌巻 孝明天皇筆(1831年~1866年)
糸桜で名高い近衛家の花宴の感興(かんきょう:興味が わくこと)
を詠んだ懐紙に流麗なかな文字の書
近衛忠凞(このえ ただひろ)に下賜(げし)されたもので
金泥で、糸桜に雲と霞をたなびかせた華麗な料紙9枚を継いで
天皇の和歌31種を書した和歌の巻子
一緒に鑑賞に出かけた友人(いつもコンビで行っては一番のお気に入りを話し合う相手)
もやはりこの書でした
どうして感動したのでしょうか? あの料紙にあれほどの墨の線の美しい流れ
展示場には沢山の能書家の書が幾つも在ったのに どうしてでしょうか?
書はなんと 書されているか分からないのに
息もつかずに魅了されのは、私だけでしょうか!?
料紙も最高に素晴らしいものだったし、
今までに見たの書では一番の墨色の書でした
ず~と昔 水戸 徳川美術館で見た料紙展での 伊達正宗の扇面の書で興奮してから長い間
出合うことがなかった流麗な書!
それ以上の品格と雅の世界を見ることが出来 日本の文化・芸術の高さに誇りを持ちました。
中国・明時代にも佳墨で油煙墨はあったみたいですが
その時代に ここ日本に入っていたでしょうか?
きっとあの墨色は有名な中国の墨匠が創った素晴らしい墨だと
その日は興奮冷めやらず、の会話が続きました。
未だに私の脳裏にはあの作品がハッキリと映し出されております
料紙の世界をご存じない方々が多い昨今ですが 現代かな書展に於いても
素晴らしい料紙を見ることが少なくなってきております
当然ながら 料紙を加工する職人さんたちも 跡を継ぐ方々が居なくなっております
現代の日本は素晴らしいものを沢山 沢山 捨て去っております!
責めて沢山のかな書家さんが居るのですから展覧会ぐらい
素敵な料紙に素晴らしい墨色で作品を創って見せてほしいと願っています!
久しぶりに 粋な友人に頼まれた墨流しを搬入しました!
墨は婦人神話の古墨 李白飲酒の古彩墨 緑 爽やかな春を
感じながら弾む会話!
彼女曰く、このように作品(書と墨流し)を創った作家達?と桜を見ながら
お茶を楽しむなって、とても粋なことしていると思わない私達
(さわりかもしれないが、とても満足!)
庭が大変気に入って購入した中古の家、庭には苔が這い
庭石の重さをも 柔らかい季節が包みます
落ち着いた日本の庭苑 騒がしい世の中から逃避するのに
最適な環境!
これからも私は足を向けて季節を喜びたいから 呼んでくださいね!
この家の前の所有者の方は大変庭を愛していた方でしょう!
(貴女の愛して創られたお庭を有難うございます
大切にしますから 友人共々感謝いたしております!)
いにしえの芸術家と旦那衆の会話もこうだったのか?
束の間の春の風が三人の頬を会話の隙間をうれしそうに通っていきました。
ミラノで頑張る二人の仲間!
弓子さんと麻紀ちゃん
世の中 便利なもので、パソコンをどうにか こなし始めて
やっとホームページを立ち上げ、初心者なりのテクニックで
自分の信じたことを話しかけて知り合った、メル友 麻紀ちゃん
あれからもう!9年は経ったよね!
彼女の指導で、スカイプの手ほどきを受け
今は、ビデオの中の彼女と、リアルタイムでお話タイム!
麻紀ちゃんの友人たちも、神戸・大阪から
去年の暮れの麻紀ちゃんとの”墨流し:小町の展”の
コラボレーションを切っ掛けに
遠路はるばるご観賞に駆けつけてくれた、友人二人!
井村さんと都築さん
我が家で 電話・スカイプで
ミラノとのリアル会話、
(その時には、ビデオのカメラがなかったのですが、)
彼女たちのプレゼントでそれからはビデオ会話
ミラノでの個展も麻紀ちゃんの勧めで成功に終わり、
その時に駆けつけてくださり、色いろ大変お世話になった
弓子さん、二人も素敵な日本女性
墨色発言で中々国内の支持が取れないときに
背中を押してくれ、理解してくれた大切な人達!
少しづつですが、信じ、理解する仲間が増えはじめております。
どうぞ皆様!彼女達の素敵なブログに
アクセスして、益々 心豊かな空間を!
現代社会に於いて、学ぶとは?
この四季折々の美しい日本に、
沢山の素晴しい芸術品が残されておりますが・・・・
技術の伝承は現代社会に於いて、無用の長物化され
伝承されていた技術例えば、
大工仕事・表装技術・指物仕事 その他諸々の
技能は、合理化され、便利さの追求?
職人気質は、特殊の分野に追いやられております。
教育の現場に於いても、役に立たないものは、
例えば習字:硯石が重いからとプラスッチクの硯を使わせたり
本末転倒なことを平気で、表面面の教育をする、
ここ日本に於いて、人間形成に文化・芸術は
必要がないとおっしゃるのでしょうか?????
国家の方針は何処を目指しているのでしょうか?
あの時代、明治の学芸美術院が創設された時代
師は、ありったけの知識・技術を、才ある学生に伝え、教えたと
私は信じられるのです、何故なら橋本 雅邦先生から次の世代の
日本画家達には、確かな墨文化の伝承があり、
明治・大正・昭和初期までのゾクゾクする作品が残されていますから!
又教わるほうも謙虚に 師との会話を一言すらも聞き落としないように
耳を傾け、先日の大観先生達のように
精一杯の努力をして、がんとした自分の進むべき道に
向かった情熱、創り上げたその時代!
東京国立博物館での 特別展時は
異常なほどの行列、美術鑑賞の雰囲気は!
マスコミに煽られた人々!
やっと観たいものの前に来たら
「立ち止まらないで下さい!」
テレビで 先進国の中でこの日本はとアナウンスしておりますが
恥ずかしくもなく使われる先進国日本というフレーズ???
私だけが違和感を感じるのでしょうか?
しかし先日樽職人の作品をヨーロッパに紹介した番組が有りましたが
とても素晴しい日本の線 そのもので創られていた、
ワインペール?の素晴しさに 心躍りました!
認められた日本の美と技術の高さに感動!
当然、創られた方も喜んでおられましたが、
その作品を見た部外者の私でさえも
大変 幸せな気持ちになりました。
有難うございます!
今夜は水帰洞端渓硯で、古墨・婦人神話を磨りながら、
遠い過去の文人との会話に花を咲かせ、
春の優しさを墨流しで表現でもして、
美しい墨色の世界で遊びたい気持ちになってます!
橋本 雅邦先生 と 横山 大観先生と・・・
あの時代、 橋本 雅邦先生が、東京美術学校で日本画を教えられていた頃
学生として学ばれたのが、横山 大観先生
又、偉大な岡倉天心と橋本 雅邦先生の信頼関係、云々・・・
画壇歴史に残っている偉大な方々が、この時代には沢山いて、日本画に関して、
多大なる向上心、変革を模索していられたことが、色んな資料に残されております、
2004年8月1日? NHKの アーカイブスを偶然 見ていた私は
生の横山 大観先生の
飄々とした会話の途中で ある有名な彫刻家の岡倉天心像を見て
線が違うと 激しく言われたのを見てとても驚きました!
中々そのようなことを言える人はいないでしょう!
ぼくと菱田(菱田 春草)が居るとき
岡倉 天心先生が、
日本画は線でしか表現できないものだろうかと言われたそうで、
(若い横山 大観先生、菱田 春草先生、のいるところで、)
めんとしては何も教えてはいただけなかったけれど・・・・・・
只それを聞いた ぼく達はそれから、線で画かない画を模索し始めて、
朦朧体を、創り出したとの事、
アナウンサーが、その頃の画壇の反応はいかがでしたかとの質問に、
それは大変な非難を受けましたが
孔子が語ったといわれている言葉で
「自反而縮、雖千万人吾往矣」「自らを反みて(かえりみて)
縮くんば(なお) 千万人と雖も(いえども) 吾往かん(われいかん)」
自らを省みてやましいところがなければ、
千万人の反対者があっても恐れることなくわが道を進もう
と 朦朧体の画が出来たんだよと!
笑い飛ばした先生の顔を未だに鮮烈に覚えております!
意志の強い方で、自分を持っている人!
この時代の日本の芸術家達の師弟・同僚関係於いて、
なんと清清しい 強い信頼関係を築き上げていたのでしょうか!
新しい日本の夜明け、明治時代 しっかりとした、気高い日本人が
芸術の世界にも確かに存在していたのです!
橋本 雅邦先生は絵師の子供としての 環境で育ち、弟子としての
横山 大観先生、菱田 春草先生達 多くの選出された画家達がいて、
惜しげもなく道具・描写方法を教えられ守られ、 互いに助け合っていたことが
そのインタビュー以後 片っ端から彼らの資料を調べ、読み取り 私なりに
あの確かな日本画が、確実に次の世代に、受け告げられたことを私は理解しました
残念な事に大観先生達世代は、朦朧体という発想をその時代の日本社会に拒絶され、
生活をも余儀なくされ、食べる為に自ら 画を売りに海外に行かれたとの事で
伝承できなかったのでしょうが・・・・・
横山 大観先生の次の世代には、墨の文化が受け継がれなかったようで、
受け継いだ方々もいるのでしょうが、公には伝承されていないのではと
私には思われるのですが・・・・・
私は墨色に魅了されている人間ですから、せめて墨色だけは
素晴しい色を創りだし、見て頂いておりますが!
平成10年3月24日(火)~5月10日に、東京国立博物館にて
近代日本美術の軌跡の展覧会がありました
こんな素敵な企画をして下さった学芸員の方々、
作家の方々に未だに心からの感謝を致しております!
墨色に衝撃を与えられた私は夢中でこの展覧会に出かけ
沢山のことを学びました、心に残っている作品の一つ一つを
思い出しては、感動を新たにしているのです。
皆様の脳裏の中、心の中に
今尚 リアルに残されている作品は有りませんでしょうか?
美しい日本って何て素晴らしい国なんだろうと!
未だにリアルに残っている作品の一つ
橋本雅邦先生の “白雪紅樹”
美しすぎる透明な彩色と 墨色に出会った感激は!!!
静かな中、研ぎ澄まされた空気!
こんな世界に息を潜めて入って行きたい!
品格ある作品!
品格といいますと、私が若い頃、美術鑑賞について回った先生が
度々話された言葉、品格!!
即座に、品格ってどうしたら分かるのでしょうか?
笑っての答え:いいものを沢山見ていればいつか分かる!
きっと私は夢中に東京国立博物館に通っていましたから、
自然と良い物が眼に入っていたのでしょう!
今も 橋本 雅邦先生の作品は意識的に見に出かけておりますが
見るもの見るもの全て私の心を魅了し、
橋本 雅邦先生からも又、沢山のことを学び 吸収しております
例えば、金屏風に墨で作品を創る時、
その墨色で、使った硯のレベル、古墨のレベルを
推し量ることが出来ます
ある時、東京国立博物館で、同じフロアの同じコーナーに、
金屏風の作品が二点、
一番右の端と左の端に飾られました、一つは橋本 雅邦先生の作品
古墨に興味のある友人と見に出かけていたのですが、
即座に友人もその差を指摘したのです
橋本 雅邦先生の墨色は優しくてとても品格のある色の墨色です!
先ず墨色に興味を持たれた方には、先生の色を沢山見ることを
最初にお願いしております、基準がレベル高ければ、低いレベルの作品には
感動が起きませんから!
良い硯を持っていて、墨もそこそこのものを持っていて磨ってみて
金箔に線を入れてみてください! はじいてのらないのでは?
それは、墨の磨り方にも問題があるのです!
道具は使い方が正しくなければならないのです。